原発というお化け

「原発は安全」「原発は危険」といった議論が続いている。双方もっともな意見だけど、いくら議論しても、平行線になると思う。

原発って、僕を含めて、多くの人にとっては怖いんだよね。これは客観的な危険度に基づく恐怖じゃなくて、「何だかよくわからないから怖い」という主観的な恐怖だと思う。そしてそれは、生物として、とても自然な、自己防衛のために備わっている本能的な反応なんだと思う。ちなみに僕は、人間は本能レベルの恐怖に最終的に逆らうことはできないと思う。

子供のころ、暗闇ってお化けが出るから怖いって思ってた。暗闇を恐れなくなるためには、自分が自分自身で電気を何度もつけることで、「あ、お化けは出ないんだ」と自分の肌感覚を通じて理解するしかなかった。大人が「お化けは出ない」と論理的に説明したところで、「そうか、だったら安全」とは子供は思わないし、「怖いものは怖い!」と逆に不安になるかもしれない。

こういうことって、世の中には多くあることだと思う。例えば日本の移民受け入れの話。「日本は人口が減るんだから、移民をつれて来い」という議論は、きっと論理的に正しいんだけど実行できないと思う。多くの日本人にとって、外国人というのは「暗闇の中のお化け」だから。外国人と多くの時間を過ごして、「実は外国人は怖くない」と多くの日本人が肌感覚を通じて理解するまで無理だと思う。海外に住んでた「大人」が、論理によって無理に推し進めようとしても、怖いものは怖い。

話を戻して、原子力とか放射能って、何回説明聞いても、どういう仕組みで危険なのか、よくわからないんだよね。まさに暗闇の中。原子力発電より車を運転するほうが危ないと言われても、たぶんそういう問題じゃない。車にはねられたら死ぬのはどういう仕組みなのか理解できるけど、放射能で死んだり子供が奇形児になったりする仕組みはがよくわからない。だから、やっぱり、どんなに「大人」である原発識者が論理的に説明しても、怖いものは怖い。

もし、原子力とか放射能というものが肌感覚で理解できるようになれば、ある程度怖くなくなると思う。核反応が、氷が水になるみたいに見てなんとなくわかるとか、放射能が色や匂いでわかるとか。原子力発電が「お化け」じゃなくなったら、きっと原子力発電の時代になるかもしれない。でも、無理だとしたら、きっと人類は長期的には原発の何だかよくわからない怖さに耐えられないと思う。そして、人類はきっとより新しくて、優れたエネルギーの源を探し続けると思う。まあ、今ある原子力は、長い人類の歴史の中でたった数十年しか使われていないし、「今あるベスト」に過ぎないし、きっとまだ「正解」じゃないよね。

結局何が言いたいのかというと、

  • 暗闇に対する恐怖の反応がなければ、人類は早く絶滅することになるから、「一般人」にとって、よくわからないものが恐ろしいというのは本能的に避けられないし、生物として自然な防御反応だと思う。
  • 一方で、そういう恐怖を克服し、科学的根拠や、論理的正当性によって行動できる「識者」がいなければ、人類は進歩しないと思う。

  • ただ、「お化けなどいないから大丈夫」「お化けがいたらどうする」といった、相手の立場を尊重しない議論をしても、お互いの考えを変化させることはできないと思う。きっと、原発を感覚的に理解できるものに変化させるか、原発以外の何かを見つけることが、僕たちにとって大事なんだと思う。

そんなわけで、原発に限らず、本能的な人や科学的な人が、相手の立場の違う人を不用意に批判したり見下すようなことがもっと減るといいなあと思っています。

明治大学 「留学のすすめ」 講演動画

去年やった明治大学の授業「留学のすすめ」で行った講演の動画がアップされているのに気づいたので、共有しておきます。

大学1年生ぐらいをターゲットに、留学についての考えを説明しているものです。留学に興味がある若いみなさんのご参考までに。ところどころ、明治大学しかわからないようなネタもありますが、それはお許しを。

ちなみにボストンで夜中の3時ぐらいからビデオ会議でやってたので、他の動画に比べると画質も悪いし音声も聞きにくいしテンション低いかもしれませんが、夜中の3時から講義させる明治大学が悪いと思います。

リンクはこちら!

新年のご挨拶

今年は喪中につき、寒中お見舞い申し上げます。

もう2012年ですね。アメリカに来たのが2006年ですから、アメリカ生活ももうすぐ6年です。そろそろ、日本の詳しい事がわからなくなりつつある気もしますが(笑)、今後も見捨てずにいて下さいね。

さてさて、ボストンの今年の冬は比較的あたたかくて、雪も積もっていないので、すごしやすいです。このまま暖かいことを祈るばかりです。

年明けは、暖かい南に逃亡することも考えましたが、結局娘が小さいということもあってあまり外出しませんでした。で、何をしたかというと、家族でずっと一緒に過ごしながら、大掃除ということでアメリカ生活でたまりきったモノを捨てまくり、ついでに「冬のソナタ」をついに全部見てしまいました!地味ですけど、楽しかったです~。

去年は結局ブログをほとんど更新できませんでしたが、今年はもうちょっと書いていきたいと思ってます、いまんところ。

今後とも、愛の日記をよろしくおねがいしまーす。

2012年1月3日

先日、ボストン・コモン公園にて



若者たち、ボストン来訪

最近、世界一周中という若者がよくGlobespanのオフィスを訪ねに来る。ボストンで働いている日本人は数が少ないので、必然的に僕のところに来ているのだろう・・・あるいは、僕はボストンの観光名所になってきてるのか?(笑)

てなわけで、ちょっと彼らをご紹介。(会った順)

一人目は、太田 英基(おおた ひでき)君。

彼に受けた僕のインタビューはこちら

インタビュー中ほとんどメモしてなかったくせに、お前よく書けたな・・・。

1985年生まれ。サムライ・バックパッカー・プロジェクトという、海外で働く日本人にインタビューしまくるというプロジェクトを立ち上げて、ウェブサイトツイッターで情報発信中。ユウニ湖訪問の写真・動画はすばらしい。

二人目は、三好大助(みよし だいすけ)君。

1988年生まれ。僕が立ち上げた飲茶会に来てくれたという感じなので、インタビューは受けてません。今は世界一周を終えて、バングラデシュで現地大学生と共に教育ベンチャー立ち上げに挑戦しているらしい。気合入りまくりのまっすぐな男。ウェブサイトツイッターで情報発信中。

三人目は、成瀬勇輝(なるせ ゆうき)君。

彼に受けた僕のインタビューはこちら

早稲田大学5年? 彼はボストンにあるバブソン大学(アントレプレナーシップで有名)に一年通って、現在は「世界一周ノマド起業家の旅」を行っている。お辞儀するときに、角度と腕の位置が体育会系。ノマド、アントレプレナーシップの切り口から世界を旅する。ウェブサイトツイッターで情報発信中。

四人目は、渡辺祥太郎(わたなべ しょうたろう)君。

1994年生まれ。世界一周ではないのだが、高校生iPhoneプログラマーだ。高校1年で「借金時計」というiPhoneアプリを作成。「借金時計を高校生が作る」というところがグッジョブすぎる。高校生で、一人でボストンに来て、うちのオフィスまで到達しただけでかなり凄い・・・。彼も、ウェブサイトツイッターで情報発信中。大学はMITに入りたいということなので、このタイミングでボストン視察にやってきた。

てなわけで、思うところ。

僕の感覚からすると、大学生など若い時は時間があるのだから世界一周するのが普通だし、高校生がMITを目指すのも普通だ。僕のまわりは、実際そういう人たちばかりなので、日本の若い人が内向きだとか言われてもさっぱりわからんのですが、僕のまわりがおかしいのでしょうか?(笑)

しかし、ソーシャルメディアは、世界を小さくしたね。僕が20代の時は、世界のどこかにいっても、現地にいる人から直接何かを学ぶなんてできなかった。

でも、今は違う。ボストンにいると、ブログ、Twitter、Facebookなどを通じて、いろんな人からどんどん会いたいという連絡がくる。人脈なんて、すごく偉い親戚なんていなくても、自分で簡単に誰でも作れるようになったのだ。あとは、主体性、勇気と、「情報発信力」さえあればいい。

今の彼らの情報発信力はすごい。ウェブサイトも良く出来てるし、ツイッターも面白い。ちゃんと自分自身の中身で勝負して情報発信し、「面白い」とさえ思ってもらえれば、どこの馬の骨とも分からない若者よりよっぽど人と出会いやすくなるのだ。ちなみに僕の学生世代では、「情報発信力」なんて概念はほぼ存在すらしなかった(アグレッシプなタイプでも、せいぜい変な名刺作って自己アピールしてた程度)。これが、「進化」だなと思うよ。

というわけで、みなさんも、新しい時代を切り開く若きリーダーたちを応援してあげて下さい!

自分が一生やりたい仕事

先日、学生さんに「これが自分のやりたい仕事なのかわからない」という話をされた。でも、学生時代は、そういうものじゃない?全然、心配ないと思うなあ。

考えようによっちゃあ、たとえ新卒の大学生が「自分が一生やりたい仕事が見つかった」と言ったとしても、それは離乳食が終わったばかりの2歳児が「カレーの王子様は世界で一番おいしい食べ物である」というのと同じぐらいかわいい話かもしれないよ。それぐらい、普通は、「知っている選択肢の幅が極めて狭い時点でベストな選択肢を見つける」のはとても難しいものだと思う。

というのも、僕が新卒の時を思い出すと、そもそも世の中にどんな仕事があるのかも全然知らなかった。とりあえずいろんな事をやりながら、たまたま学生時代に働いてたベンチャー界隈が戦略コンサルティングやってた人ばっかりだったから、他に何があるのか知らなかっただけだった。まあ面接では知ったような事を言ったが、カレーの王子様レベルだったと思う。

その後社会に出て数年後、多くの人と交流するようになって初めて、世の中にどんな仕事があるのかが「実感として」わかるようになってきたし、学生時点の圧倒的な見識不足と世間知らずっぷりの中では、フィットした仕事を見つけるなんて、どう考えても無理だったことがわかってきた。

そもそも、ふつーに学力に合わせて高校や大学を選んできただけの学生時代の僕は、「無限の選択肢の中で、自分の人生に関して意思決定をする」という経験がなかった。こんな難しいことを、経験も必要な教育もない状態で、トツゼンやれって言われても普通は厳しいでしょう。

社会人だって難しいというのに、大学生や高校生の時点で、ずっとやりたい仕事が見つけるなんて、よほどの天才か何かじゃない限り、ほとんどの人には無理だと思うんだよね。そもそも、やりたい事がいきなり出来る才能があり、かつ実際にやってみても「やりたい」と思い続ける事ができるとしたら、相当ラッキーだと思う。ま、ぶっちゃけ普通は、気の迷いか、親に言われて適当に決めたとか、当時わかる範囲で決めちゃったとか、常人に関してはその程度の話が普通だと思う。

そもそも、一生やりたい仕事なんて、僕は今もわからない。成長するまで価値が見えてこない新しい世界というものがあるのだから、成長し続ける限りはどんどん可能性が広がり続け、新しい魅力的な選択肢について学んでしまう。そして、知っている仕事の種類も、世界が広がるにつれて、今後とも増えていく。そして、世界は想像以上に広い。

だから、僕の場合は、新しい発見の中で、死ぬまで自分の「その時点で知っている限りでの」ベストを探し続けていくしかないと思ってる。「今やっている仕事だけが全て」って思うと、新しいチャンスを見逃してしまうし、概してチャンスというものは、成長してからじゃないとやってこないし見えてこない事が多い。

だから、それなりにやりたい仕事をやるということ自体はできたとしても、そこで立ち止まらず、「もっとやりたい仕事は無いのか?」、という問いに、これからも、ゆっくりと、いつも悩んでいたい。

それから、人というのは、色々な人に出会ったり、色んな新しい事をやってみることで、自分のことがわかるようになる。「自己分析」なんて、内部を考えてわかるものだけじゃなくて、社会人として歩み続ける中で、外部からの刺激で少しずつ深まっていくものなんだと思う。新卒時の浅い自己分析が面接にどう役に立つかなど、まあ細かい話なんじゃないかな。

それに、目の前のことをがんばって、オープンな気持ちで学び続け、それで新しい挑戦に常に興味を持ち続けていれば、自然に次のドアが目の前に現れるものじゃないかな。現れなければ、それまでかもしれないし、それはそれでいいんじゃない?やりたいことがないなら、それはそれで重要な発見だと思うし。しょせん仕事だし。

だから、まだわからないなら、あせらず、ゆっくり時間をかけていけばいいよ。そもそも、「やりたいことがみつからない」なんて、大した悩みじゃないし。「プレステ買ったんだけど、やりたいゲームがない」って、相談されても、別に困ってないじゃん、って思う。それと一緒。困っているって言うのは、「やりたいことがあるのに、できない」って時じゃないかなあ。

ただね、「足るを知れ」なんて言葉と共に、よりよい人生を模索する努力をやめて、「今やっていることで幸せなんだ」と自己洗脳してしまえば、そこで終わりなんだ。新しいドアが現れても、自分で目を背けてしまう。だから、ぼくはそこはちゃんと考えて生きていきたい。大人ぶって、楽しい人生を諦めるなんて、僕は嫌だなー。

まあ、人それぞれ考えはあるだろうけど、僕個人はそういう風に考えている。人生、そんなに一発勝負じゃないよ。まして、まだスタートラインに立ったぐらいの時点でそんなに焦る必要はないんじゃない?

(しかし、ナメちゃいけないけどね。スタートラインは決めりゃすむが、社会人生活ってのは、始まってからの成長と実績との長期的な戦いなんだ。いうなれば、就職活動は、「受験」ではなく、「予備校の選択」にすぎない。「気に入った予備校に入ったからTOEIC満点確実!」なんて話はないわけで、どんな環境にいようと、入った後の成長と実績だけが自分らしい道を作っていくということを忘れないでいたい。)

てなわけで、まずはやってみて、ゆっくり自然体で悩み続けていけば、それでいいと思ってます。


お茶の出ないお茶会 雑感

先日行った、お茶の出ないお茶会の感想です。

2006年に日本を離れてちょうど5年ほど経ちました。

日本に帰ると実家の近所の様子が変わっていたり、新しい地下鉄の駅があったりして、驚くことが多いです。なんだかすっかり日本との距離ができてしまった気がして、さびしい気分になりますし、「もう日本の皆さんには忘れられちゃったんじゃないか」と思ってしまいます。

そんな中、日本に待っていてくれる人が1人でもいるというのは、とても幸せな事です。というか、講演もあわせると、500名ほどの方に会いたいというご連絡を頂きました(抽選だったので、実際には半分もお会いできませんでしたが・・・)。ちょっと、「今夜だれかご飯たべますか」と声をかけると30人ぐらいがあっという間に申し込んでくれたり、突然の召集に、抽選が当たるかもわからないまま、単に「お茶する」ために北海道から飛行機に乗って来てくれたり。

それと同時に、一人で家路につくとき、みなさんに来て良かったと思って頂けたのか、いつも心配です。わざわざ会いに来て頂いたのに、人数も多くて直接話せるのは良くて数分。がっかりした人も多いのではないかと思い、なんだか申し訳ない気もしています。

ただ、僕はさておき、参加者の多様性が半端ではなく、そのへんの異業種交流会よりもはるかに多様で、ユニークな人ばかり。前向きで、未来にあふれていて・・・。だから、もし僕がつまんなかったとしても、他の参加者の皆さん同士でのつながりを大切にしてもらえればと思います(笑)。

少なくとも僕は、笑顔でアツく夢を語る皆さんや、将来性にあふれる大学生・社会人の皆さんのすごいエネルギーを貰って、元気になって帰っています。

日本にいない僕が、こうしてみなさんに集まってもらえることが、僕にとってどれだけ支えになっているか、みなさんには知る由もないでしょう。でも、僕はこうしてみなさんに支えられて立っているのだな~と実感しています。とっても特別なこと。これだけで、大変なことがあっても勇気がわいてきて乗り越えられそうだ!

そんなわけで、みなさん、ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。

お茶の出ないお茶会 2011 開催しました!

今更の更新となりますが、7月の日本出張時、お茶の出ないお茶会 2011(僕が世界のどこかに出かけた時やってる、単なるオフ会)を行いました!今回の運営ボランティアは、佐藤あかねちゃん北川くん渡慶次(とけし)くん。どうもありがとう!

今年は、募集から締め切りがかなり短期間でしたが、講演とお茶会6回で200名以上の皆様にお会いさせて頂きました。できるだけ多くの人にお会いできるようとしましたが、あまりに申し込みが多くて、どうしても時間や会場の制約上抽選となってしまいまい、お会いできなかった方のほうが多く、申し訳ない限りです。

とまあそんなわけで、とっても楽しいお茶会でした!

当日の様子は、Twitterで実況されたり、ブログで紹介されたりとしています(内容は重複)

飲み会で個別に話した内容もアップされています。

まとめていただいた皆さん、ありがとうございました!

参考:昔のお茶会

お茶の出ないお茶会 2010年9月 (そのときのお話 by Togetter)

お茶の出ないお茶会 2010年4月 (そのときのお話 by 石倉さん)

*告知ページは非公開にしたので、そちらに頂いたコメントはこちらに移動してあります。

奥さんと不思議な豆

久々のブログ更新なわけだが、久々に更新する時にはなぜか奥さんネタを書きたくなる。そう、すし太郎の時のように。

今回は、世にも不思議な豆のお話です。事情があり、クソ忙しいのに、挿絵も描いてみました。

8月の後半、家族みんなでロンドンに行ってきた。

僕たちは今回、「世界級ライフスタイルのつくり方」で有名な、くろーでん葉子さんの家に泊めてもらいました。それに関するブログも書いていただきました。ちなみに、彼女とは、ツイッターで話しているものの、直接会ったことはないです。今回ようやくお会いできるかな?と思ったら、ちょうどクロアチアに行っているというので、「んじゃ泊めて」と言ったら本当に泊めてもらえたと言う、何その神展開。本当にありがとう。

そんなこんなで、出発当日。行きの空港で、奥さんが「売店で前から欲しかった靴下を見つけた!買いに行きたい」と言い出した。

「急いでいるから早く行ってきてね」

奥さんは走って売店に行き、息を切らせてギリギリに戻ってきた。

奥さんはなぜか靴下を買ったつもりで「ひざあて」を買ってきた。奥さんは間違え方のスケールがいつもでかい。ちなみに、人間としては相当小さい。

しかし奥さんは転んでもただでは転ばない。ついでに何か買ってきた。目をキラキラとさせて。

「すっごく面白いものを見つけたの!」もったいぶりながら、嬉しそうに茶色の紙袋を開くと、そこには透明のプラスチックケースに収められた豆っぽいモノが入っていた。

「・・・ナニコレ?」

「Jumping Beans(飛ぶマメ)だって!そこの売店で売ってたの!すごいんだよ!動くんだよ!」と興奮する奥さん。

見てみると・・・確かにカタカタと動いている!!!ナンダコレ!

↓動画はこちらをどうぞ

なんか不思議な形の豆が、透明のプラスチックケースの中で動き回り、ケースに当たっては、カチャカチャと音を立てている。

すげー。これ、どうやって動いてるの?」僕が聞くと、

「知らないの。Jumping Beansって何?って売店の人に聞いたら、Jumping BeansはJumping Beansだって言われた。これ、すごくない?不思議じゃない?」

この不思議な存在によって、奥さんの中の「メルヘンスイッチ(仮称)」がオンになったらしく、奥さんはこのビーンズ君たちを異常にかわいがり始めた。

僕が、「こいつが何で動いているのか調べようよ」というと、「あなたはすぐそういう夢の無いことをしようとするのよね。わかんないのが楽しいんじゃない。静電気かな~磁石の力かもな~不思議~♪」と、取り合おうとしない。

そして、古賀家とビーンズ君たちのロンドンでの共同生活が始まったのだった。

朝を迎えるたびに、ビーンズ君たちはカチャカチャと音を立てて僕たちを迎えてくれた。奥さんは家を出るたびビーンズ君たちに挨拶し、観光から帰って家に着くと、カチャカチャと出迎えるビーンズ君たちに喜んでいた。「新しい家族だ」そう言って、奥さんはビーンズ君たちを日に日に愛でるようになっていた。

・・・だが。

僕は知りたかった。こいつは一体、何なわけ?大体、永遠に動くはずがないし、一家の主として、奥さんが家族とまで言って愛している彼らの正体を知らずにはおれん。

すまん、妻よ・・・僕はこっそりと調べるッ!

ウィキペディア先生・・・・カモン!

そして、奥さんの知らないところで・・・彼らの正体が判明してしまった・・・

Wikipedia より:

メキシコトビマメとは、蛾の幼虫に寄生された種子が生きているように動き回るメキシコ原産の植物である。

これは、ヤバイ。

生き物が入っていた。それはいいとしよう。なんとなく予想通りだし。それが幼虫だった。まあ、それもいいとしよう。

問題は、このヒトである。

なんでかっつーと、世の中に奥さんが死ぬほど嫌いなものが二種類あり、それは、

だからである。

まあ、ゴキブリが嫌いな女性というのは多いだろうが、それと同じレベルで嫌いであるということは、まあ多くの女性にとってゴキブリが中に入っていたのと同じと考えて頂きたい。ちなみに今回、写真ではなく挿絵なのは、本物の写真を入れたら奥さんが倒れるからである。

僕は秘密を知ってしまったわけだが・・・奥さんは相変わらずビーンズ君に愛情を惜しみなく注ぎ続けている。

「おはよう♪ビーンズくぅん」

お前それ、だぞ。

「家族が増えた!」

お前それ、だぞ。

おでこに乗せている。

お前それ、なんだぞ。

かくして、僕は奥さんの「正体を調べるな」と望みもあって真実を言うこともできないまま、アメリカに帰国する前日を迎えた。

僕は聞いた。「君、それアメリカに持って帰るつもりなわけ?」

奥さんは、「当然じゃない。」と気にも留めない。

「君、それ、いつまでも動き続けているわけじゃないぞ。どうするつもりなんだ。」

「何、その言い方。あなた調べちゃったのね!なんでそんなつまんないことするの!あなたってほんと、そうよね~」

「本当に正体を知らなくていいんだな?本当に持って帰るんだな?」

「うん。家族だもん。」

・・・待てと。・・・ここで持って帰るということは、このヒト、そのうち、豆から出てくるわけですよ。マジで。そうなったらたぶん地球は崩壊する。

僕は、渾身の力を込めて言った。

「知らんぞ。」

知らんぞ・・・知らんぞ・・・知らんぞ・・・

僕がそういった瞬間、奥さんの中で何かが一気につながったらしい。

→知らんぞ

→いつも面白がるだけの夫が異常に警戒中

→何かがおかしい

→危険

→地球上で危険といえばゴキブリか蛾の二つ

→ゴキブリが入っているはずはない

→蛾が入っている

その瞬間、奥さんは

・・・投げた。

何の罪も無いビーンズ君は、壁に打ち付けられ、部屋の床に落ちて、さびしそうにカタカタ言っていた。

それを見た奥さんは、

「そんなの、家族じゃない・・・」

と、震えながらつぶやいた。

お前が一方的に家族って言ってたくせに何と言う勝手な・・・

「どうするんだよ、これ。逃がそうか」と僕は尋ねた。

「外のゴミ箱に捨ててきて。外来種をイギリスに蔓延させるのはイギリスにとって良くないから。じゃ、あなたお願いね。」


・・・こうして、何の罪も無いJumping Beans君たちは、家族ばりのステータスを手に入れた後、哀れな末路を辿ったのでした・・・

くろーでん葉子様。今まで言っていませんでしたが、捨ててもらったであろう家の外のゴミの中には、大西洋を渡ってまでやってきた、ビーンズ君たちが入っていました。後になって考えてみると、その処理、何にも関係無い君にしてもらいました。アイ・アム・ソー・ソーリー・・・

敬具

講演 『20代、自分らしい選択!』 動画アップしました

先日、日本に出張に行った際に講演を行いましたが、その際の動画がアップされたので置いておきます。

参加した皆さん、ありがとうございました。話は、自己紹介が終わって、留学のきっかけになった大学時代のパートから公開されています。





AXIOM CAREER FORUM 7/9
『20代、自分らしい選択!』~MBAグローバルキャリア世界を目指す人と企業について~ Globespan の古賀洋吉氏、Terra
Motoersの徳重徹氏のお二人から20歳の方に熱いメッセージを語っていただきます。

第一部  基調講演  14:00~15:00 「20代、自分らしいキャリアの選択!」

古賀 洋吉 氏


自身のご経歴から、MBA留学を目指したころから、ハーバードビジネススクールへの留学、そしてベンチャーキャピタリストとしてのキャリアの選択をどのよ
うにしてこられたか、そして今、ボストンから日本を見て、何を感じ、考えているか、歯に衣をきせぬお話をしていただきます。

第二部  パネルディスカッション  15:00~15:45

古賀 洋吉 氏 + 徳重 徹 氏 + 渡邊 光章(モデレーター)

MBAホルダーでもあり、グローバルにチャレンジされている、起業家精神旺盛なお二人に、MBAの価値や意味、リーダーシップ、ベンチャー企業の可能性、起業家の条件、20代の可能性、世界をめざす人と企業の条件などについて、掘り下げて伺います。

第三部  Q&Aセッション  15:45~16:30

A letter from Clayton Christensen

クリステンセン教授からの手紙 「人生のジレンマ」を乗り越えるために

日経ビジネスニューヨーク支局の水野様より、クレイトン・クリステンセン教授に「被災で苦しんでいる日本のためにメッセージを」というご依頼がありました。

先生は、執筆にあたり、日本の皆さんを元気付けられるように、そして傷つけないようにととても気を使っておりましたが、とても愛のあるメッセージとしてすばらしくまとまっています。

英語になりますが、ぜひ皆さんに「生の声」を見て頂きたいと重い、教授の許可を頂いて、英語の原文をこちらに公開させて頂きます。(日本語版は日経をどうぞ

日本のために、本人も大変な状況の中で執筆してくださったクリステンセン教授、および、このような企画をして頂いた日経の水野様にお礼を申し上げます。

28 May
2011


I wish
to express my sincerest condolences to the people of Japan who are suffering,
physically, emotionally, or economically, as a consequence of the recent
natural disasters and the ensuing problems with the Fukushima Daiichi nuclear
plant.  While much of the world’s
attention has moved to other events, I know that the personal loss that many
people have experienced as a consequence of these tragedies goes on.  Many of us around the world have been deeply
saddened to see what the people of Japan are going through, and wish to lend
our support in whatever ways possible.


As a
business and administrative issue, there are many questions regarding what
steps Japan should take to respond to this crisis.  What should be rebuilt?  How long will it take?  What should the rest of the country do to prepare
for the possibility of similar natural disasters?  Can Japan safely rely on its nuclear power
energy infrastructure?  These are
difficult, complicated questions, which will take great work from the
government, businesses, and individuals to solve.


However,
much like you, I was happily living my life, and then events occurred which
drastically changed things for the worse, through no fault of my own. I would like
to offer some personal advice.  One of
the most challenging parts of this tragedy is its seemingly arbitrary nature:
people who were happily going about their business one day found that their
lives had changed drastically for the worse the next day, all through no fault
of their own.


In the
last three years, I have experienced a variety of health challenges that
presented significant obstacles, both on a personal level, as well as to my
family.  About three years ago, I
suffered a sudden, completely unexpected heart attack.  I had recently had a visit with my doctor
where I was given a thorough physical examination, and there were no signs that
indicated that I was at risk of a heart attack. 
In fact, the typical indications of heart attack risks were all lower
than average.  And yet, when I had the
heart attack, the physicians found that I had a 100% blockage of a major artery
in my heart, a type of heart attack that is often fatal.  Fortunately, in the hospital the doctors
acted quickly and were able to remove the blockage and insert a stent before
much serious damage occurred.


Two
years later at about the same time of year, my doctors discovered that I had an
unusual form of cancer, called follicular lymphoma.  This cancer had been unusually aggressive,
and by the time it was discovered, I had several large tumors in my body,
including one about the size of an American football in my abdomen.  My doctors attacked the cancer aggressively,
treating me with chemotherapy.  Thanks to
the skill and attention of these doctors, and the power of the medication that
they gave me, I was able to overcome the cancer, which seems to have gone into
remission.


Shortly
after I finished with my chemotherapy treatments while I was in the process of
trying to recover, I suffered a stroke while at a Sunday morning church
meeting.  I was very close to
Massachusetts General Hospital when it happened, and was able to receive
medical care quickly, which reduced the amount of damage to my brain.  In spite of the speed with which the doctors
were able to act, they weren’t able to prevent me from having some
complications.  The part of my brain that
was affected by the stroke is the part that controls my ability to
communicate.  So, while I still have full
control over my motor function, it is almost as if someone shuffled my
vocabulary around, so that occasionally when I am looking for a word, I simply
cannot find it.  Though I haven’t done so
yet, I am optimistic that I will make a full recovery.


I share
all these personal details because I suppose that on a much smaller scale,
after all my health travails, I felt some of the same emotions that may be
familiar to many of you.  I have done my
best to live a healthy life, to eat well and get exercise.  I visited with my doctors regularly.  And yet all my best efforts seem not to have
made any difference in my health outcomes, which has been very frustrating.


Though I
recovered fairly quickly from the heart attack, cancer was a more difficult
disease to face.  The stroke I
experienced was the most difficult: As a professor, everything I do is about
communicating with my students, or writing and publishing research.  My stroke specifically affected the part of
my brain most critical to those tasks. 


As I
struggled to recover my ability to communicate, my frustration caused me to
turn inwards, and focus on myself.  Why,
I wondered, did I have to go through this? 
What did I do to deserve such challenges?  As I focused more on myself, on my problems,
and the seemingly slow pace of progress that I was making, I became more
frustrated, more desperate, and even struggled with depression – something that
I hadn’t felt my entire life.


Then, I
had an epiphany.


As I
turned my focus more and more on myself and the problems that I was facing, I
had spent less time thinking about others, and how I could be of service to
them.  Rather than spending time thinking
about how I could improve other people’s lives, I was focused on my problems,
my wants, and what I thought I needed.  After
great personal reflection, I realized that this selfish focus was the recipe for
my unhappiness.  I realized that
happiness was in fact to be found in forgetting about myself, regardless of how
hard it was, and in spite of the temptation to think that because of my unique
situation a self-centered focus would be okay.


I also
realized that life is a series of extenuating circumstances, and that there
will always be justification to turn our focus on to ourselves, onto our wants
and needs.  But the truth that happiness
is to be found in the service of our fellowmen is universal, and not contingent
on the idiosyncrasies of our circumstances, be they comfortable or difficult.


Many of
us make the mistake of thinking that we can postpone serving others until later
in our lives.  This is not the case.  Time and time again, I have seen first my own
classmates from when I was a student, and now my own students since I have been
a professor, claim that they would focus primarily on their own careers for a
period of time, and then when they had “made enough money”, they would shift
gears, and go into a mode of giving back to their community and focusing on
their families.  This rarely (if ever)
works out the way that they imagine.


There is
always more money to be made, always more deals to be done, always more
products to be launched.  Once you have
already made the decision to put what you believe to be your highest priorities
behind something else, it is always easier to make that decision again,
rationalizing that you’ll do it “just this one last time,” until the next “last
time” comes along. 


Additionally,
some of the people who need our service the most – our families – are growing
and changing.  Even if we do make
decisions later in life to make them a priority, many of the best opportunities
to have a big impact with them may sadly have passed.


Instead,
may I suggest a few things that have brought me happiness and joy as I went
through my own rebuilding process. I have made a commitment each day, to choose
to serve, to seek to understand what my families, friends, neighbors, even
strangers need from us to be happier.  I have set a goal to do some act of service
for someone each day.  Doing this requires
that I consider the physical, mental, emotional, and spiritual needs of those
around me: how can I help others if I don’t know what they need?  Focusing on others will help you put your own
situation in perspective.  Even if your
circumstances are difficult, there is surely someone else whose lot in life is
worse, someone who you could help directly, somewhere where you could make an
impact for good.  Focusing on others may
also help you realize that you have been blessed in ways that you may be
inclined to underestimate.  Counting
these blessings and realizing the things that have been done for you will ease
your burden.


As I
said at the start, I think that decisions about how to respond to this crisis
are best left to the people who are dealing with their reality on a daily
basis.  Still, I feel that there are many
lessons to be learned in the tragic series of events that have hit the people
of Japan which are relevant to all people. 
They are a reminder that our lives are fragile, that our time on Earth
is brief, and that we never know what twists and turns our lives will take, and
when they will end.  As a consequence, we
cannot count on being able to take care of the important things in life at some
later date which may never come.  We
should decide now to pour our energies into helping each other and building our
communities up one relationship at a time.

Clayton Christensen