Willingness to lose
人から信頼を得るためには、枯渇しているものを与えられなければならないのではないだろうか。
例えば、金がないなら喜んで金を渡せなければならない。時間がないなら喜んで時間を使えなければならない。逆に、余っているものをいくら与えても、そこには犠牲が伴わないので、愛情のにおいがしない。
金銭的に成功しているのに家庭が不幸なのを見かけるのは、そういうことなのかもしれない。
金銭的な成功者には時間がないことが多い。よって、家族が求めるのは金ではなく時間だ。家族だってその人が忙しいのは知っている。それでも、その人自ら家族のためにお土産を買う時間を使ってほしいものであり、子供は一緒に遊んでほしいものなのだ。逆に、あり余ったお金をいくら家族に注ぎ込んだとしても、家族の寂しさは本質的には満たされない。もし、成功者が「金は出した。責任を果たしている。家族に文句はないはずだ。」と思うのであれば、その思考回路自体が家庭を不幸にしてしまうかもしれない。確かに言っている事は論理的には正しいと思う。でも、人の寂しい気持ちというものは、そういう論理では片付かないのものだと思う。
一方で、本当に時間がない成功者が、非常に明るく円満な家庭を持っていることもある。先ほどのパターンと違うのは、本人は日ごろは仕事を優先していたとしても、「いざとなったら」家族を優先する覚悟が明確にある。
実は、普段何かを与えているかよりも、その覚悟そのものが大事なのだと思う。家族だって搾取したいわけじゃない。わかってほしいだけなのだ。いつか何かあっても、いざという時に信じられる相手だと思いたいのだ。人というのは、平穏な日常では本性がでないものだ。でも、いざとなった時、欲望や恐怖と向き合った時に、覚悟が行動を左右する。そういう時に何を優先する人なのか?そこで日ごろからしっかりとした覚悟を持っている事が大事になるのではないだろうか。そしてそういう覚悟というのは、普段の何気ない言動から伝わるものなのだと思う。
今回はたまたまお金と時間の話をしたが、枯渇しているものが何であっても、余っているものが何であっても、同じことだと思う。いざという時相手のために自分のために大切なものを失う覚悟がない人を信頼するのは、誰にとっても難しいものなんじゃないかな。
大切なものを失えるのは、相手がもっと大切だから。だからこそ、喜んで失おうとする態度が、信頼を生み出すのだとおもう。
僕はまだまだ未熟者だが、これから例え何を手に入れたとしても、大切な人のために、枯渇した大切なものを、迷うことなく失える人でありたい。
いいね。
自分もいざって時には躊躇なく覚悟決められる人間になりたいと思ってます。
たまに自分はそんな行動ができる人間か自信が揺らぐ時もあるけれど。
初めてコメントしました。
これからも楽しみにしています。
ブログいつも楽しみに拝読しております.
今回のエントリー特に感動しました.
つい最近,身内が大病で手術しました.今もあまり良い状況
ではありません.日頃は「忙しい」を半ば言い訳にしている
感もある自分ですが,今この時はできる限りのことをやりた
いと改めて強く思いました.ありがとうございました.
michiyukiさん、
コメント有難うございます。これからもよろしくお願いします。
シゲさん、
僕も自戒をこめて書いておりますが、お互いできることをがんばりましょう!
高宮君の所から来ましたピアノ教師と保育士をしているものです
素敵なブログと文章の内容に感動
またお邪魔します
ありがとうございます
> あこたん さん
またどうぞ!
同感です!時間がないは理由になりませんよね。
時間は作るものor作ってもらう?ものなんだ!と再認識しました。
彼=(私が日本から太平洋を渡り会いに行った)、には私に会う時間を作る覚悟がなかったのかと、、やっとあの時の恋愛の答えがでました!
yokichiさん、ありがとうございました!