シリコンバレーネットワーキング (無差別攻撃)

現在、シリコンバレーに来て、いろいろなベンチャーキャピタリストたちと会っている。いわゆる、ネットワーキング(知らない人と知り合うこと)、というやつである。

アメリカの仕事の多くは、実はネットワーキングを通して決まる。人に紹介してもらって、そのつてで仕事を探す・・・つまりコネみたいなもんである。でも、
コネといっても、実力がないと紹介してはくれないので、コネさえあれば決まるみたいな話では決してないが、アメリカこそコネ社会であるということは否めない。

もちろん、つねにネットワーキングが重要というわけではない。あまりネットワーキングがいらないのは、戦略コンサルティング、投資銀行、プライベートエクイティ、ヘッジファンドあたりだ。これらの会社は、お金があるのでHBSのジョブバンク(企業が従業員を募集する掲示板)で求人を出し、キャンパスまでわざわざやってきてTシャツだの傘だのバッグだのペンだのポストイットだのを大量にばらまいて去っていき、ご丁寧に「このホームページから応募してくれ」みたいな手紙を年がら年中おくってくる。さらに、学生の名簿をまるごと買って、個人のメールアドレスに大量に「応募はコチラ!」みたいなメールを送ってきてくれる。なので、メールに返事を出せばあとは決められた面接プロセスに乗るだけである。「なんでもできる人が100人ほしい」みたいな業界なので、求人側も告知するだけの規模のメリットがあるわけだ。

しかし、特にベンチャーでの就職活動においてはネットワーキングをするしかない

まず、ベンチャーにはわざわざHBSに来てお金をばらまくような余裕はない。さらに、やったところで、効果がない。ほしい人材があまりに具体的であるため、求人に投資しても、ヒット率が低すぎるのだ。さらに、僕のような働く側からしても、HBSの掲示板や求人サイトなどを見てもいいベンチャーが見つかる可能性が低すぎる。こちらとしても、トップクラスのベンチャーキャピタルから資金調達していないようなところに入るのは、かなり微妙である。まして、僕のようにヘッジファンドを除いて日本でしか勤務経験がない場合、そんな人がほしいというベンチャーの求人はかなーりニッチになるわけで、そんなところが求人広告で僕のような人材をほしがっているはずがないのだ。

しかし・・・・

はっきりいってどうやっていいのかさっぱりわからない。

アントレプレナーシップ(起業学)の教授に相談にいくと、ベンチャーキャピタルのウェブサイトを見せられる。たとえばコレとか。で、そこから、ポートフォリオカンパニー(投資先)の一覧を見ろ、といわれる。そこで気に入った会社があれば連絡しろと。さらに、VCのサイトにはたまにポートフォリオカンパニーの求人を乗せていたりするからそこから調べろ、といわれる。まあ話はわかるが、僕はアメリカ人じゃないのでヒット率低すぎるだろ、と。

ベンチャーでは、ネットワーキングとやらで探さなければならないのだろうなーというのはぼんやりわかるが、いきなり知らない人に会ってくれといって、この
中途半端な英語で何を話せというのだ?引っ込み思案な日本人(?)の僕としてはけっこう億劫な話である。すごくめんくさい(=面倒くさい、古賀語)。

しかし、なんかよくわかんないのでベンチャーキャピタルで働いている卒業生の皆さんに片っ端からメールしてみることにした。

・おれ、日本人で、こんな経歴

・こんな仕事したい

・相談させてくれ

と。しかも、冬休み旅行先のヨーロッパから(笑)。

ものすごいたくさん返事がきた。HBSの卒業生ネットワークはすばらしいと聞いていたが、こんなにすばらしいとは思わなかった。

会ってくれるという人、メールでアドバイスをくれるひと、人を紹介してくれる人、レジュメを送ってくれたら、知り合いに送ってあげる、という人。「お前の英語力では無理だ」みたいなお叱りのメールが一通しかこなかったのに驚いた。

というわけで、会ってくれる、という親切な人たちに、冬学期が始まる前に会ってみるために、モロッコから帰ってきた翌日から会ってみることにしたのである。とにかく、会ってくれるという人には会ってみて、紹介してもらえる人には紹介してもらう。何もわからないのでとにかくそれだけやってみることにした。

トップのベンチャーキャピタルや伸び盛りのベンチャーのひとたちと会い、話をする毎日。もちろん知らない人に会いに行くのは気苦労もあるのだが、やってみるとなかなか面白い。すごく親切にいろいろアドバイスをしてくれる人もいて、よい出会いもたくさんあった。

直近で何か実ったものがあるかといわれると、それはよくわからない。でも、ネットワーキングなんてそんなものなのかもしれないな。というわけで、アメリカでの就職活動らしい就職活動をちょっとしてみた、というお話でした。

冬休み旅行19日目: アメリカ帰国

■カサブランカ 早朝

というわけで、とても楽しい冬休みの旅行もこれで終わり。ボストン行きの飛行機に乗って帰国した。さすがモロッコ、結局飛行機はかなり遅れ、大規模なLost Baggageになった。

■ボストン、到着

飛行機がずいぶん遅れてしまったにもかかわらず、ボストンに戻ると、向かいに住んでいる、とてもやさしい日本人のカップルの二人が、疲れた僕たちを迎えに空港まで来てくれていた。

あ~、こういうことができる暖かい人がそばにいてくれるだけで、幸せ・・・、と、心から思う。その後、おなかに優しいものがほしいと思って、と、おなべを振舞ってくれたのだ。明日から仕事で一週間サンフランシスコだけど、優しさパワーをもらって、まだまだ元気が出せそうだ!

というわけで、冬のヨーロッパ・モロッコ旅行は無事に終わったのでした。・・・もし、これを全部読んだとすれば、あなたはかなり根性あることを僕が証明いたします!

冬休み旅行18日目: カサブランカ

■マラケシュ 朝

マラケシュ最後の散歩ということで、おみやげを買いに出かけた。奥さんが色々買っていたが、僕は正直言って自分が買いたいものがほとんど見つからず、自分すらほしくないものを人にあげるのはいやなので、結局買わなかった。

■カサブランカへ

カサブランカ行きの空港に行くためには、電車の駅までタクシーで行かなければならない。もちろん、僕がタクシーに乗せてくれといえば、めちゃくちゃな金額を言ってくる。じゃあいいよほかの人のタクシーを使うから、というと、ほかの運転手は、「あいつ(最初に話しかけた人)のタクシーに乗れ」と言ってくる。組織的にぼったくってくるので、手に負えない。どうせそんな金額払うわけないんだから、とっとと安くしてほしいと思いつつ、結局交渉していてもらちが明かないので、市場価格の数倍払った。出発直前にぱっと相乗りしてきた現地人には、当然のように現地人価格を請求。ふぅ・・・。

■カサブランカ 到着

カサブランカに到着して気づいたのだが、ホテルの予約を間違えていたらしく、泊まるところがない!そんな時、あやしげな男が近づいてきた。英語が通じるらしく、「おれが安いところにつれていってやる!」とのこと。

ほかにもあやしげなタクシーの運転手がいっぱい寄ってくるのだが、彼はほかの運転手を追い払って、「おれが助けてやる」といっている。彼は「ここから歩いていけるホテルは空いていない。信じないなら、言ってみろ」という。実際、信じられないので行って見たが、確かに空いていなかった。

僕は最初は彼の話を一切信用していなかったのだが、冷静に考えて、実際に英語が通じるような人はほとんどいない。それに、結局ここでどれかのタクシーに乗らなければ、どこにもいけない。そして、タクシーの運転手は全部あやしい。だったら、英語がわかる怪しい車に乗ったほうがましかもしれない・・・。ということで、だまされたという前提で、彼の車に乗ってみた。

そしたら、彼は本当に、すごく安くていいホテルに連れて行ってくれたのだ。そして、翌日のボストン行きの飛行機に乗れるように、空港にも翌朝連れて行ってくれる、という。やばい、あからさまに疑い続けちゃったけど、本当にいい人だった、ごめんなさい!

だまされ続けてモロッコ人を信じられなくなっていたけど、そういえばアイシャさんは正直な人だったし、みんな疑っちゃうのはよくないよね!と反省し、快適なホテルで眠りについたのでした。

■カサブランカ 泊 (本旅行、最後の宿泊!)

冬休み旅行17日目: 日本食

■マラケシュ 朝

やはり体調が悪く、今日はおとなしく夜まで寝ていた。そして、夜になってから、そろそろおなかにやさしいものが食べたいということで、日本食を食べに行くことにした。食事はおいしかった!・・・のだが、近くの席にすわっている30台後半ぐらいの日本人カップルの、女性の声が、うるさかった。マラケシュに似合わない真っ赤なブランド物のコートを着て日本食おいしいわ~このワインはどこどこのなんとかでどうだわ~あのお酒はあるかしら~みたいな話をしている。あの声の大きさは、こちらに気づいてほしいといわんばかり。僕がボストンからきたという話を店員さんとしていたら、あらそうなのー私たちもこのあたりから来たのよー、XX商社で働いているからぁ~と、くらいついてきた。そうなの~学生さんなの~ウーン、大変なのねぇ~。・・・うるさくてせっかくの久々の日本食に集中できないではないか・・・。そもそも、あなたのほうが年上だとは思うけど、こっちがおだやかにしているからって、なんで初対面の僕たちにタメ口かつ上から目線なんだ、アンタと。だんなが貧しい国で重要な仕事をしているのだからこそ、自分の金銭的立場に驕らず、どんな立場の人にも優しくなれるように努力しなきゃだめだろ、普通に・・・と思ったが、こういう人ってけっこういるし、ここでむかついても僕の力がもったいないので、すごいですねーという感じでやりすごしておいた。


その後、軽く買い食いして、


魔法のランプを買ってから、ホテルに戻った。

■マラケシュ 泊

冬休み旅行16日目: ついに体調を壊す

■マラケシュ 朝

早朝になると、なんだか意味のわからないあ~あ~歌う声がかなりうるさい。あれはいったい何なのか・・・と思うが、そもそもほかにも異文化からくる疑問が大量にあるので、あまり気にならないといえば気にならないのであった。

朝から、買い物をしに市場に行く。

スパイス屋さんの楽しい話に乗せられて、ついでにいろいろなことを教えてもらった。話がとても楽しかったので、お礼にちょこちょこと買い物をしておいた。記念撮影もしてくれた!

実は今夜は、おいしいクスクスを出すというお店に行く予定だったのだが、そもそも試験が終わってからというもの一切休むことがなかったせいもあって、ついに体調が悪くなってきた。というか、今まで悪くなかったことのほうがおかしいのかもしれないが・・・。

結局僕は、夕方からすっかり寝込んでしまった。

そんな僕に、奥さんが食べ物を買ってきてくれた。クスクスを食べにいけなかった僕のために、近くのレストランかでクスクスを皿ごとテイクアウトしてきたのだ。本来はテイクアウトなどないお店なので、無理を言ってお願いしてお皿を借りてきた、というわけだ。ありがとうござーますだー・・・。おいしくいただきました。

■マラケシュ クスクスを食べて幸せに就寝

冬休み旅行15日目: ぼったくりの町、マラケシュへ

■ワルザザートから、マラケシュへ

朝、アイシャさんにお礼を言ってから、買い物の町であり、モロッコ最大の観光名所のひとつであるマラケシュに旅立った。


出発前に、アイシャさんと記念撮影。


タクシーでマラケシュに向かう。窓のハンドルなど、ない。


石と砂の道が続くばかりだったが・・・


ようやくマラケシュ到着!

ホテルまでの行き先がわからず困っていると、おじさんが荷台に僕らの荷物をのせ、ホテルまで案内をしてくれた。「ハイ、3000円。」

お前・・・この数分で、3000円って・・・特にこっちの物価を知っていたら、ありえない金額だ。しかし、これがマラケシュなのだ!とにかく、金を出せ、出せ、出せ。そもそも定価というものがないので、タクシーに乗ったら現地人の10倍取ろうとしてくるし、何を買うにもとんでもない値段ばかり言ってくる。毎回断らないと、だまされ続けるしかない。うーむ、毎回戦う必要があるのは、多少面倒くさいが、せっかく来たのだから、マラケシュに合わせてこの交渉を楽しもうではないか!


ホテルはインターネットがつながるのでとても助かる。奥様の努力のおかげでございます。

■マラケシュ ホテル泊

冬休み旅行14日目: 初日の出

■サハラ砂漠 遊牧民テント 朝


朝が来た!テントからのそのそと出て、砂丘を登り、サハラ砂漠から、グリニッジ標準時の初日の出を見に行く僕たち。




2008年の夜が、明けた!



朝日を受けて、足元の砂漠が二色にきれいに分かれていく。





美しい砂漠の夜明け。




ちなみに、テントはこんな感じだった。

軽く朝ごはんを食べる。




さあ出発だー!


ラクダを飼っている遊牧民を見つけて・・・


ラクダに乗らせてもらった。もちろんお金は払います。

■ワルザザートへ


途中の道で、井戸を発見!こんな砂漠の真ん中に、井戸水がでるなんて驚き。



ドラゴンボールに出てきそうな山。



町にもどってきました。


食事をとって、また出発。

ふたたび夜になって、ワルザザートのアイシャさんの家に戻ってまいりました。

夜は、アイシャさんのところに泊まっていた、青年海外協力隊メンバーの3人とハマム(サウナ的なもの)に行ってから寝た。

■ワルザザート 快適なアイシャさんの家に戻ってきて さらに一泊

冬休み旅行13日目: サハラ砂漠で年越し

■ワルザザートの朝


目が覚めた。朝になったら、結構暖かくなっていた気がする。すごいなあ、モロッコの家は。きっと夏向けに作られているのかもしれないな。さあ、トイレにでも行きますか・・・


で、どうすんのこれ?


ここに、こう、乗せろ、と?入り口に振り返る感じで?手前のバケツで・・・流す?うーむ、戦いのルールがわからない時点で、僕の負けだ。恐るべしモロッコ。

■サハラ砂漠へ

僕たちは、年越しをサハラ砂漠でするために、4WD車を借りて、ドライバーとガイドを雇って、サハラ砂漠へと向かった。サハラ砂漠に近い町まで4時間、さらに砂丘まで4時間かかるという。

サハラ砂漠への道のりは遠く、砂丘に入るまでだだっぴろくてゴツゴツした道を、僕たちは延々と進み続けた。


おそらく遊牧民に飼われているヤギが歩いていた。



今年最後の夕日!

■サハラ砂漠到着

サハラ砂漠についたときには、もうすっかり暗くなっていた。天の川がきれいに見えて、月明かりで砂漠が照らされているので、歩き回るには問題ないぐらい明るかった。(歩き回れないと、”トイレ”にいけないからね!)




夕食は、ガイドの人がタジンという料理を作ってくれた。

そして、ドライバーを含めて、みんな楽しそうに歌い始めた。天の川の屋根の下、アラブの聞いたこともない歌に包まれて、夜は更けていった。

■サハラ砂漠 遊牧民テント泊

冬休み旅行12日目: モロッコ・ワルザザートへ

■ローマを早朝に出発

今日は一日移動。朝から電車で空港に向かった。

ローマからモロッコ・カサブランカまではそこまで遠くないのだが、乗り継ぎが少ないのと、遅延のせいで、カサブランカでかなり待たされた。


ワルザザート行きの飛行機。アラビア文字が書いてあるが、さっぱり読めません。

■ワルザザート、深夜に到着

ワルザザートについたのは、結局真夜中になってしまったのだが、それにもかかわらず、ワルザザートでのホームステイ先の主人であるアイシャさんという女性と、息子のシンヤ君が空港で僕たちを待っていてくれていた。アイシャさんは、日本人の建築家と結婚したモロッコ人。日本語が話せるというわけではないが、片言の単語を駆使して、ほとんど何でもコミュニケーションするものすごい力がある。というかそれ以前に、なんというか、ものすごく愛にあふれている人だ。こりゃ、二本人の建築家の方である森分さんが結婚したのもしょうがないな。

アイシャさんは、夜中について疲れた僕たちに、クスクスという料理をふるまってくれた。この、出てきたクスクスの、大量なこと!!!これいったいどんな食べ物!?しかもこんな夜中に食べられるはずがない・・・


ウソ。ごめん。めちゃめちゃおいしい。これなら食べられます!


感動のあまりに記念撮影。クスクスうまいぞ気をつけよう!

そして、部屋に案内され、ふとんの中に。はっきりいって、これまでで一番寒い。キャンプ状態です、これは。外気温より寒いのでは?結局、凍えるないように、持っている服を大量に着込んで眠った。

■ワルザザート 愛にあふれたアイシャさんの家 泊

冬休み旅行11日目: バチカン市国

■ローマの朝

今日は、ローマの中にある「国」、バチカン市国へ。これは世界最小の国らしいのだが、実質的にはローマの一部であり、ローマ教皇というえらーいお方が住んでいるらしく、カトリック教会の総本山でもあるらしい。


途中でこんなもの落ちてた。うそつきが手を口に入れると、手がなくなるらしいぞ!


バチカン市国、到着!これがサン・ピエトロ広場ですな。




バチカン博物館の中。


博物館を出て、サン・ピエトロ広場に戻る。もう夕方。



サン・ピエトロ大聖堂に入る。

■ローマ 自閉症っぽい青年の家 泊

おまけ:帰り道に見たなんかすごい建物