Network effect and Ladies Night のオチ(?)

先生が授業中に言ったのは、

「私も答えは知らないが、ある生徒が以前こういった。

男にとっては(女の)量が重要で、女にとっては(男の)質が大事なのだ、と。」

つまり、お金をもった男性は、無料につられて女がたくさんきている(量)ところに寄り付く。そして女は、高い酒をおごってくれる男が好き(質)。そして高い酒をおごってくれる男がくるから、さらに女が行く・・・ということらしい。

まあ、本当かどうかは僕もしらないけど・・・。もしこの組み合わせが本当だと、本能に従えば、「質の高い男×大量の女性」の組み合わせが残されるので、質の高い遺伝子が大量に残る、というシステムになります。こうなると、男が優位なようにも思えるけど、唯一遺伝のメカニズムから取り残されるのは、男(質の低いほう)となるので、全体としては女性が優位にも思える。さあ、どうなんだろうね!?

Network effect and Ladies Night

先日のおばさんの話でも出てきた「Managing Networked Business」の授業での話。

Ladies Nightとは、そのまま言えば女性が優遇される何らかの夜のイベントを指している。例えば、いわゆる「女性は入場無料」のバーでのイベントとか。あえて女性だけ優遇するというのは、単に女性がネットワーク・エフェクトを拡大させる重要な要素だからである。つまり、夜のバーに若い女性がいっぱい来れば、男が集まってきて喜んで女性に高い酒をおごるので、女性も喜んで来るし、店としてもハッピー。というのを踏まえて、昨日の授業での教授からの質問。「なぜMen’s nightではネットワーク・エフェクトは成立しないのか?」

うーむ。確かに、こういうことはいろいろなところに見られる。ソーシャルネットワーキングサービスにおいてのMixiの勝利にも関係があるのではないだろうか。僕は最初、Greeしか使っていなかった。そのころはGreeはMixiよりもユーザー数が多かったので友達が簡単に見つかるから・・・というネットワーク・エフェクトの基本セオリーからだ。しかも、実は2つのサイトは機能面ではほとんど同じだったので、僕はMixiに乗り換えるつもりはなかった。しかし、結局みんながMixiに移動してしまったので、Mixiが中心になってしまった。なにが違ったのか?今思えばGreeはウェブのデザインも青が基調の男向けであったし、実際に見つかるのは男の友達ばかりだった。一方、Mixiのウェブサイトの色・ロゴ・入り口ページのデザインなど、どこをとっても明らかに女性向けにデザインされていた。そして、女性を中心にユーザーを伸ばしたMixiは、結局男性のユーザー数でも、Greeを超えてしまった。

なぜ結局、女がいるところがネットワーク効果の中心となるのか?単に男がエロいという話もあるわけだが、女だってある程度は男を求めているはず。では、本能的に男と女が相手に期待するものにどのような違いがあるのだろうか?

スノーモービル

週末、セクションのみんなとスキーに行ってきたのだが、はじめてスノーモービルなるものを体験してみた。面白かった!なお、うちの奥さんはスピード狂だということがわかった。

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NBA観戦

去年見に行ったときはピアスが一人で奮闘しているという感じだったけど、今年はケビン・ガーネットとレイ・アレンを加えて大躍進!去年はあんなに弱かったセルティックスが、今はブッチギリでNBA1位!

レッドソックスの優勝もうれしかったけど、バスケ好きの僕としてはセルティックスがついに返り咲いたのはうれしいなー。ラリー・バードが引退してからというもの低迷していたけど、僕がボストンに来た今になって急に盛り上がっているのは、とてもうれしい。

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つかみ男

僕の週の前半の時間割には、一コマ空きがあるので、いつも教室の横の自習スペースで、学食で買った手巻き寿司を食べながら勉強する。寿司のお気に入りは、サーモンとホワイトツナ(実際にはツナといってもマグロではなく、バラムツという深海魚。有害として日本では売買が禁止されているが、うまい)である。今日もいつもどおり、サーモンとホワイトツナを食べながら、ルンルンと次の授業のケースを読んでいた。

すると、自称中国人のおばはん(30代後半ぐらい)が登場。「エクスキューズミー?」

話を聞くと、どうやら授業中に勝手に教室に入り込んだらしい。「授業を受講するために来たのに追い出された(当たり前!)のだが、どういうことなのか。自分はナントカという町から来た、その学校で中国語とビジネスを教えているのだから、受けてもいいはずだ、私は教授に教えることがあるはずだ」みたいなことをずっと言っている。しかも途中で中国語を織り交ぜて話しかけてくるというすごさ。会話開始直後から、ハテナマークが僕の頭上に大量に浮きはじめ、一分後には僕の中での意味不明度はマックスに到達。

「受ける授業を決めるからシラバスを見せてくれ」といわれた。「学生じゃないのに、受けられないと思いますけど・・・」というと、「なぜですか?」と聞いてくる。とりあえず何から説明していいのかわからんので時間割を見せてあげた。すると、ビジネス用語がわからないらしく、質問攻撃が始まった。。「Managing Networked Businessという授業は何ですか?」「それはネットワークエフェクトをベースとしたビジネスの授業ですよ」「ネットワークエフェクトって何ですか?」「(ビジネスの基本用語なんだけどなー?)いや、プラットフォームを使う人が増えると相乗効果があるというビジネスの話です」「たとえば?」「ソーシャルネットワーキングサービスとか・・・。ごめんなさい、勉強してもいいですか?」「そういう授業で使う本はどこで売っていますか」「いや、ケースなので・・・」「ケースって何ですか」「こんな冊子です・・・これをディスカッションして授業が進みます」「ええっ、ディスカッション?じゃあ何か言わなければならないんですか?私の成績はどう決まるんですか?」「ええーっと。あなたの成績が決まるというか・・・。学生の成績は授業での発言とファイナルで決まります」「授業の発言って何ですか?」「いや、発言内容の質で成績の半分が決まるんです・・・、すみません、勉強してもいいですか?」「ええー!じゃあファイナルはどうなるんですか?」「ケースを読んで、あなたならどうしますかという質問に答えるだけです」「ええっ、そんなのなんですか。いったい授業料はいくらですか」「高いですけど・・・」「私は授業を受けたいだけなのですけど?」。

なんだこのおばはん!?かみついたスッポンのごとく、離れない。勉強してもいいですかと何度も言ってみるんだが、「あっごめんなさい」といったん向こうに行くものの、すぐに「あーそうそう、ちなみに、どうやったらHBSに入れるんですか?」みたいなおもーい質問を持って再登場してくる。先日ファミコンのスパルタンXというすばらしいゲーム(今発売したら間違いなくクソゲー)を友達とやったが、そのゲーム内で、弱いのに大量に現れ続け、くっついては離れない「つかみ男」を思い出した。ちなみに、くっつかれると徐々に体力が減り、死に至ります。

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左がつかみ男。「つかむぞー」という風に手をあげて大量に現れます。パンチとキックでどんどん倒します。なお15人目をとび蹴りで倒すと高得点(5000点)ですがそれは本日記とは関係ありません。

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しばらくつかまれると体力がゼロになって死にます。

結局30分ぐらい時間を使うことになった上、倒しては現れる彼女の攻撃のためにケースに集中できず準備が進まなかったため、次の授業で発言することができなかったのは言うまでもない。

SAVE OUR DIRECTORS

2008年1月末に、僕がオレゴン大学に交換留学でいたころ(1998-1999)にお世話になった、国際交流センターのディレクターが、新しく来たばかりの責任者によって、理由も公開されることなくクビにされた

オレゴンの新聞によると、以下のとおり。

For undisclosed reasons, two long-standing directors within the Office of International Programs will not have their contracts renewed. The dismissals have launched an outcry among students, and faculty are hesitant to discuss them with the Emerald.

The employees are Magid Shirzadegan, director of International Student and Scholar Services, and Kathy Poole, director of Study Abroad Programs.

Provost Linda Brady is prohibited by law to release any details pertaining to the directors, but she did say she thoroughly considered the decision and is confident it is the appropriate one.

おそらく、新しく来た責任者と、方針が合わなかったためにまとめてクビにされたんだろう。ここまでなら、よくある話だ。しかし、話はここでおわらない。クビになった二人は、僕たち留学生たちにものすごく優しくしてくれていたので、すでに卒業している僕たちInternational studentの卒業生たちはまとめてキレたのである。

僕たち卒業生たちがここまで怒ったのは、単にディレクターへの感謝の気持ちだけではない。そのディレクターたちの方針を否定することは、彼らを信じてオレゴン大学のためにいろいろな活動に打ち込んできた僕たちを否定することであり、ひいては僕たちの愛するオレゴン大学の文化を否定することにつながったからだ。「絶対に彼らをクビにはさせない。ディレクターは、自分たちが守るのだ!」ということで、卒業生たちがオンラインで集まった。その中で、僕ももう10年近く交流すらなかったなつかしいメンバーとの再会などを交えつつ、International Student Associationのコアメンバーを中心とした怒涛の抗議が始まった。

上記のニュース記事のコメント欄には怒りのコメントが連なり、今回の意思決定に抗議するウェブサイトまで立ち上がり、アメリカのソーシャルネットワーキングサイトであるFacebookに立ち上がった“”SAVE OUR DIRECTORS MAGID @ KATHY””というグループには数百人の卒業生が集まり、学長への抗議のメール送信、署名活動、新聞記者へのコメント、募金中止の呼びかけなど、などあらゆる手を使って、今回のクビという意思決定の信憑性を厳しく問いただし続けた。”

その結果、先ほど、「オレゴン大学がディレクターのクビを撤回した」という正式な知らせが!やった!ああ、よかったなぁ、と、メールを見つめてひとりにっこり。

一方で、こう思う。大学職員がクビになるなんて、ある意味ありふれた出来事だ。でも、情熱をもってしてきた小さな行動の積み重ねが、すごい力を生み出したんだなあ、と実感した。情熱なんてありふれた言葉だけど、しっかりと行動に移すことができれば、僕たちも、すごい何かができるのかもね!

まだまだ続く、勉強の日々

こうして毎日、ケースを見ながら、僕は生きてる。最初のころは一週間一週間が永遠のようだったけど、もうこれが生活そのものとして定着した。

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日本を離れてもうすぐ2年。日本で電車のつり革をつかむ日々も、見上げると鳩がとまっている電線も、ママチャリにのったおばさんが買い物袋をかごに入れて横切る姿も、いつの間にか実感がわかなくなり、なんだか特別な世界なような気すらする。

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会社の仲間は別の会社に移り、会った事のない甥が生まれ、いつも一緒だった地元の友達同士が喧嘩していたのに気付かなかったり。

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この2年でいろんなものが変わったみたいだが、僕はずっとこうして、ケースを読み、線を引き続けている。

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でも、信じられないことに、永遠だったはずの日々がもうすぐ終わる。でも今はまだまだ気合は抜けない。頑張っていこう。

モルモン教会に行ってみました

先日のエントリーででかくてナイスなマット君と一緒に食事をしたことを書いた。で、その彼に誘われて、日曜日のモルモン教の教会に出席してみた。そもそも、うちのセクションには筋金入りのモルモン教徒が多く、僕としてもどんな感じなのか知りたくて、以前からお邪魔してみたかったのだ!

モルモン教っていうのはキリスト教の分派で、大きな特色は教義そのものにあるのだが、そのへんはよくわからないので表面的な特色を書いてみよう。全員が2年間、海外でミショナリーとして布教活動を行う義務があるということ、収入の10%を教会に寄付するという習慣があること、すごく家族を重視していること(教会でもいつも赤ちゃんがいっぱいいるので、常にアーアーきこえる)、お酒・タバコ・カフェインの入った飲み物・婚前交渉などは厳しく禁止していること・・・などなど。人間面では、おっとりしている人の率が高い気がする。

世界のバイオテクノロジーの本社が集中する中にひっそりと立った建物。全然教会に見えない・・・むしろ体育館みたいなところだ。入ってみると、建物は明らかに昔工場だった掘っ立て小屋を使っているのが見て取れた。普通イメージする教会とはかけ離れていて、四角い部屋にいすが並んでいるだけ。

朝9時になり、礼拝が始まった。まずは、全員参加のセッション。最初に、新しく生まれた子供を抱えた親が祝福を受ける。歌を歌ったり、お祈りしたり、話を聞いたりしながら、時間が過ぎる。途中で、細切れにしたひとつ?のパンをみなで少しずつ分け合うなど、儀式的なものもあった。ちなみに、ちょうどその日は、クレイトン・クリステンセン教授によるスピーチがあった。教授は神を感じたときの経験や、また聖書の解釈についての意見を述べ、その結果導きだされたアドバイスを、感情的に、時に涙を交えながら、参列している人たちに伝えた。その話はすごくみなの心に響いたようで、その後の別の人のスピーチでも何度も引用されていた。ちなみにクリステンセン教授だけでなく、スピーチをする人はかなりの率で泣いていた。「神様が優しくしてくれて・・・」みたいなところで毎回泣くので軽くびびるが、きっとこういうものなんだろう。でも聞いている人が同調して泣いているかと言うと意外とそうでもなく、あんまり聞かずに子供をあやしていたりしている人もいた・・・。

次のセッションでは、聖書の教義のクラス。今日は、Fastingについてのディスカッションらしい。Fastingっていうのは、どうやらプチ断食みたいなものらしく、決められた日に2食抜くらしい。で、当の女性がディスカッションをリードの中で、参加者たちがなぜFastingをするのか、なぜ重要なのかを話し合う。聖書を引用してこうだと言ったり、独自の解釈(心を清めて神に近づくようにするんだ、食べると言うことを謙虚に見つめるんだ、とか)を述べるなど、なんだかHBSのディスカッションみたい。僕はひそかに、身を清め、謙虚になりたいなら、日本人のように冬に滝に打たれるぐらい気合入れろ!などと、思ったとか、思わなかったとか・・・。

最後のセッションは、男女に分かれて再び決められたテーマについてディスカッション(またディスカッションかー・・・アメリカ人はやっぱりディスカッションが好きだからかな?)。僕は男編に参加したので、父としてどうあるべきかみたいな話をキリストのあり方に交えて話をするのが多かったかな。

というわけで、日曜日の礼拝はめでたく終了。いろいろと考えさせられる体験でした。みなが、「私たちはこうする・・・それはイエス・キリストの教えがこうだからだ」という話をする度、僕は、「なぜ、イエス・キリストの教えはそうなんだろう」って自然と考える。そう考え出すと、「では、この教えがない僕はなぜ同じ事をする?」とかどんどん考え事が進むのであった。

人間の行動規範はいろいろなものに左右されるけど、宗教というのは人間の根本的なものの見方をものすごく変える。神を信じる人にとって、世界はどのように見えるのか、僕には興味がある。僕には彼らの世界が見えるようにはならないだろうけど、いろいろなものの考え方を理解し自分以外の人の気持ちがわかるように、他の人が信じるものを受け入れる努力はしておきたいな。また、行ってみようっと。

さあ、ヨーグレットでも食って勉強するか。明日のケースも熱そうだぜ!

ハーバード式極論の技術と、橋下知事

ハーバード・ビジネス・スクールの授業は、よくこうやって始まる。

「このケースを読んで、ジョンはマネージャーとして優れていると思うか?どれかに手を上げなさい。まず、最高のマネージャーだと思う人?15人ね。優れていると思う人?40人ね。悪いと思う人?30人ね。最悪だと思う人?3人ね。じゃあ、最高だと思うエリック、君の意見は?」

指名されたエリック君は、そのマネージャーを褒めちぎる。「彼は間違いなく最高のマネージャーだと思う。彼がネットワークを生かして経営陣を作り上げ、ゼロから売上げを10億円まで伸ばしたのはすばらしい。特に長期的な視点で顧客を選定し、安定した顧客ベースを作り上げたのは今後の成功にとって最大の資産になるはずだ。それに彼の人を選ぶ力には目を見張るものがある。前の会社でも似た事業を成功させているし、彼以上にこの仕事が上手にできる人はいないだろう。」

マネージャーがさんざんほめられたあと、教授は別の人を指す。「デイビッド、君はジョンが最悪のマネージャーだと言うけど、それはなぜだい?」

そして、今度はデイビッドがこういう。「エリックの言っていることには全く反対だね。まず、資料5の純利益を見てみて欲しい。3年連続で赤字じゃないか。それに、直近の2004年の利益率はむしろ低下している。彼は全く結果を出せていない。それに、2億円しか現金がないのに、短期的に利益になるような顧客がぜんぜんいないじゃないか。これじゃすぐ倒産だよ、僕は一刻も早く彼をクビにして、新しいマネージャーを探すべきだと思う。」

そしてまた教授が言う。「ふむ、エリック、デイビッドがこういっているよ。どう思う?」そして、エリックとデイビッドの熱い議論が始まる。そのうち、まわりの学生もあっちが正しいとか、こっちが正しいとかいう議論をぶつけ始める。

こうして、まず学生にどちら側につくのかはっきりとスタンスを取らせた上で、最初に極論同士をぶつけ合うのはものすごく普通の授業の進め方である。こうした極論同士をぶつけ合うと、一方が持つロジックの強み・弱みがどんどんさらされていく。片方が主張の中心となると思っていた根拠も、反論されまくる中で実は視点を変えると弱いロジックだということが見えてきたりする。こうして、双方の意見の良さ・悪さが出つくしてから、はじめて教授はこういうのだ。「じゃあ、何が大事なのか、考えてみよう。まず、顧客についてだ。短期・長期の話がでていたけれども、この業界において顧客のスイッチングコストは高いのだろうか?」

こうして教授は、極論の中から見出された疑問を解きほぐすように、学生たちを誘導していく。そして議論は深まっていき、最初の極論の時点でははっきり見えなかった本当に重要な論点に近づいていく。そのころには、最初は角張った形でしかなかった極論もたたかれまくってカドがとれ、有意義な議論が残るのだ。

とはいえ、意図つつ極端な意見をおおっぴらに言うことも、極端に反論するのもとても日本人である僕には難しい事で、僕も最初はとても苦労した。でも、この議論のスタイルは、日本人にとっても、思考停止から抜け出すのに非常に有効な手段なんじゃないかと思う。誰しも、反論されないと、何も考えないようになってしまうし、健全に反論し、反論されることで思考も深くなり、合理的な結論に達することができるのだ。

そう考えると、「府債をじゃんじゃんつかえばいいや」と思考停止した大阪府にとって、橋下知事の極論はすばらしく効果があるように見える。「大阪府債ゼロ」とか「図書館以外は全て不要」とかいう極論が疑問視(確かにとんでもない)されているが、知事の意図は、本当に極論を実行することではないと思う。むしろ、思考停止した人たちに「俺は“ぜーんぶ”が非合理的なお金の使い方だと思う!」という極論をぶつけることで、しっかりとした根拠をもって「いいや、合理的に考えれば“これ”にはお金を使うべきだ!」と反論してもらいたいのではないか。税金の使い道について本当に健全な議論が始まりさえすれば、「仕方がないから府債をじゃんじゃん使う」という極論と「大阪府債ゼロ」という極論の間にある、現実的なお金の使い道を見極められるようになるだろう。

そう考えると、「大阪府債ゼロ」が撤回されたというのは当然の結果であるし、「図書館以外は全て不要」もおそらく実現しないだろう。その結果、知事は「公約違反だ」と怒られまくるだろうけれど、本質的には府民の税金が合理的に使われる事のほうが大事だと思うよ。結果が出るまで大変だと思うけど、これからも橋下知事には建設的な極論を駆使してがんばってほしいな。

妻の大切な夢

今、奥さんに電話したら、「大事な夢を見ていたところなのに、何の用なの!」と、怒られた。