Entries by yokichi

英才教育

仲良しのMattとまた食事に行ってきた。Mattは有名なクリステンセン教授の長男で、NBAに行くのはやめてMBAにいくことにしたというへんなひと。 以前、天才は遺伝するのか・・・みたいな話をブログでしたが、興味があって彼にまたクリステンセン一家の教育について聞いてみた。 子供のころから大人として扱われていた。4歳ごろには、大人とまったく変わらない言葉で話しかけられていた。子供のころは親の言う単語の意味がわからなくて、いつも辞書をもっていた。 親は、子供たちにいろいろな事に興味を持たせるのが上手だった。バスケットは、父親といつも一緒にプレイしているから好きになった。コーチもしてくれた。7歳のときに、NBAの試合に重要な試合に別の会社の役員と3人で連れて行ってもらった。自分にとっては刺激的でとても重要だったし、自分がそんな大事なイベントに大人と一緒に連れて行ってもらえたことで、自分が一人の人間として尊重されていると思った。 父は仕事の悩みなどをいつも家族に打ち明けていた。若いときから、親から仕事の話の相談をされていた。前提として、子供たちにも理解できる、という期待があったと思う。 学校が終わってからは、母親が勉強を教えてくれた。ドリルを「終わらせる」というのが楽しかったので、苦ではなかった。 などなど・・・。話を聞いていて思ったのは、おそらくポイントは、 勉強を教えるのが上手なのではなく、勉強が楽しいということを教えるのが上手である必要がある 言葉、態度など、全てにおいて子供を最初から大人として扱い、尊重する 子供向けにレベルを合わせてあげたりせず、間接的に高い知的レベルを要求する 親が直接一緒に何かをすることで教える といったところでしょうか。 もうすぐ親になるということで、僕も非常に興味深い。

Boston Celtics NBA Finals

はろー、みなさん。 現在、友達と会ったりしながら、最後のボストンライフを楽しんでおります。 ボストンはとても寒くて大変だったけど、こうして夏を迎えてみると、本当によい町だと思う。町並みもヨーロッパ調できれいだし。暑くないし、いまのところ。そして、スポーツが強い!あと、今このタイミングでボストンにいることができたことは、とてもラッキーだったと思う。今までボストンという町は日本ではそんなに有名ではなかったと思うけど、Red Soxに松坂が来て、しかも優勝した。ゲームを見に行ったら、シーズン優勝の瞬間もたまたま見ることができてラッキーだった。 しかし、僕がすきなのはバスケットボール。そんな中、最近の楽しみはNBA(アメリカのバスケットボールリーグ)のボストン・セルティックスのゲームを見ることだった。いつもは日本で見ていたけど、さすがに本場のアメリカだと、NBAの番組もいっぱい見ることができてとても楽しい。 ボストン・セルティックスは優勝回数最多の非常に伝統あるチームなのだが、1986年以降、一度も優勝していなかった。僕としては地元セルティックスにがんばってほしいと思っていたのだが、去年セルティックスのゲームを見に行ったときは、ポール・ピアスというスタープレイヤーが一人で奮闘していたものの、30チーム中最下位という悲しいチームであった。 ところが、去年の夏に、スリーポイントシューターのレイ・アレンと、高身長のフォワードケビン・ガーネットの二人をトレードで入手し、セルティックスは一気にリーグトップに躍り出た。アレンもガーネットも優れたプレイヤーでありながらチームメイトに恵まれず、優勝には遠かった。 がんばってきたけど、これまで報われなかった3人が集まったチームだっただけに、すばらしいチームワークと情熱で、ついにプレイオフのファイナルにまで突き進んだのだ!僕としても、10年も地道にボストンでがんばってきたポール・ピアスにはどうしても優勝してほしかった。 ファイナル第6戦。ロサンゼルスの第5戦には負けたが、コービー・ブライアント率いるレイカーズを3-2でリードし優勝に大手がかかっている状態で、ここボストンでのホームゲームだ。 これがコービー。 photo by nba.com 以前、チケットを買いに並んだものの、どうしても手に入らず・・・。しょうがないので、これまたCraigslistでチケットを2枚調達!高かったけどどうしても見たかった。そして、奥さんと一緒に見に行った。 セルティックス選手紹介で、ポール・ピアス登場。 photo by nba.com せっかくチケットを手に入れたのに負けたらどうしようかと心配していたが、ボストンは打つシュートの全てが入るという感じで、僕たち観客は大盛り上がり! レイ・アレンのスリーポイントは半端ではなかった。9本中7本成功。 photo by nba.com ケビン・ガーネットも26点の大活躍。 photo by nba.com ファイナルでは調子が悪かったポイントガードのロンドも今日は大活躍。 photo by nba.com 勝利を確信するピアス。 photo by nba.com ここまで強いと応援していて楽しい・・・10点差、20点差、30点差、40点差とどんどん差がついていく。結果はNBAの歴史に残る大勝の39点差でボコボコにレイカーズを叩き潰し、優勝してくれました。 22年ぶりのボストンの優勝! photo by nba.com 本当に、楽しかった! photo by うちのデジカメ

ハーバード・ビジネス・スクールを卒業しました!

本日、晴れて卒業となりました。これで ようやく、Master in Business Administrationを獲得! 朝5:30におきて、着かたもよくわからない卒業用のレンタルガウンを羽織って、6:30にHBSのキャンパスにクラス別に集合。 車を降りて、いってきまーす。 魔法使いのようなガウンをきたお互いの姿を笑い合ったり、写真を一緒にとったり。 そして、チャールズ川をみんなで歩いてわたってHarvard Yardに移動した。Harvard Yardでは、Business Schoolだけでなく、Law School, Public Schoolなどの院生だけでなく、Harvard College(学部)からの卒業生も全てが集まっていた。 もうずっと人大杉。 メモリアルチャーチ(教会)の前の広場に全学部・院の卒業生が集まる。しかし卒業生が多すぎて、家族がとった写真からは僕の姿など見えるはずもなく。 いくつかのスピーチの後、各学部長が順番に、「ここにいる男性・女性諸君の全てが、卒業に必要な条件を全てクリアした。ここにいるすべての学生の卒業を許可する」というと、ハーバード全体の学長が「ここにいるすべての学生の卒業を許可する」、と繰り返す。すると、卒業する学生たちが「うおー!」と、ほかの学部や院に負けないように大きな声で騒ぎたてる。 一通り、Harvard全体でのイベントが終わると、今度はHBSに移動。家族と食事をとってから、卒業証書の授与式へ。 セクション別に、ラストネームのアルファベット順に、名前が呼ばれていく。僕のセクションの番がまわってきて、ついに僕の番が! HBS学部長のLight氏より、卒業証書を受け取る! これが卒業証書。古賀議員のように、「卒業したつもりだったんですが」ということがないといいのだが、どうやら本物の様子・・・。同封の紙には、「再発行費は115ドルです」と書かれていた・・・オイ! 最後に、「おめでとう、Section D!」という声がかかると、僕たちは大きな声を上げて、帽子を空に向かってぶん投げた。 これで卒業式は終わり。式が終わると、みんなが家族のもとへと挨拶に向かう。僕も、両親と妻のもとへ行ったのだが、やっぱり、家族が卒業式にいてくれるというのはうれしい事だ。こんな遠いところまできてくれた両親に感謝。その後は、ハリーポッターの作者のスピーチなどもあったようだが、友達とのお別れの挨拶に忙しくてそれどころではなかった。妻も、僕のセクションメイトと涙の別れ。そして、みんな、家族と一緒に世界にちらばっていった。 ふう、長い一日でした。 次に会うのは、5年おきにあるリユニオンという会合だ。行けるかどうかわからないが、そのときには、僕たちはすっかり違う道を進んでいることだろう。これからみんながどうやって世界を変えて行くか、とても楽しみだ。もちろん、ぼくがどうなっているかも、とても楽しみ。 というわけで、2年間続いた愛の日記も、「@HBS」をそろそろ外すときが来た。次は何というタイトルにしようかな? P.S. 帰ってからの妻の一言。「これで、明日起きたら受験の前夜で、これまでのこと全部夢だったらどうする?」と聞かれた。さすがに、ここまできて「夢オチ」だけはやめて欲しい!

Class Day Ceremony

今日は、卒業記念のスピーチがある日。全学生と家族の前で行う学生代表スピーチの大役には、うちのセクションのDavid Rawlinsonが選ばれた。おかげで、われらがセクションは鼻高々だ。 で、肝心の彼のスピーチの内容は、HBSに来て最高の瞬間を3つ語る、というものだった。そしてその中のひとつは、僕の結婚式についてだった。 それがいかにすばらしかったかについて、セクションが家族のように一つになったことについて、僕の結婚式を通じて彼はアツく語ってくれた。ほかの友達も、HBSで最高の瞬間は僕の結婚式だったよと言ってくれた。もしうそだとしてもうれしいものだ。 僕も、みんなが楽しい結婚式をと思っていたけれど、最後にこうして多くの人の心に残せる結婚式ができたのは、とてもうれしい事だ。 おかげで、会う人会う人に、「お、有名人!」とか、家族連れの友人と会うとき、「これがスピーチにでてきた友達だよ」などと紹介してもらったりして、なんだか照れくさい思いだった。 夜は、HBS日本人学生のみんなと最後の会食。 Pier 4 という有名なレストランにて。僕の横で最高の笑顔を切り出すK氏のお母様。かなりのツワモノです。 みんなのスピーチは、とても心に残るものでした。うーん、やっぱりHBSの日本人のみんなはすごいよ。やっぱり大物ぞろいだなあ。 今日が、ハーバード・ビジネス・スクール学生としての最後の日。明日は、卒業式です。

It’s a boy!

今日、妻と両親とともに、産婦人科に行って、超音波検診をしてきた。 そして、うちの子が男の子であることが発覚!うーん、とても楽しみです。 勝手に病院の前の風船で記念撮影。 夜は、セクションのみんなとリトル・イタリー(イタリア人街)でディナー。 さらにその夜は、HBS主催の最後のパーティ、Graduation Galaに行き、ガンガンと音楽が鳴り響く中、声をからして夜遅くまで友達と語り合った。

Section Reunion

今日は、期末試験の後初めてセクションのみんなが集まる日。 まずは、セクションで子供がいるメンバーが集まって、Baker Libraryの前で記念撮影。大人は「D」のシャツ、子供は「d」のシャツで記念撮影した。うちの場合はまだ生まれていないのだが、ご好意で声をかけていただいた。 というわけで、肝心の主人公はまだTシャツだけ! セクションで、一年生のときに毎日使っていた教室(Aldrich 108)に集まって、お遊びプレゼン(Skydeck)などで一通り笑った。ちなみにこうしているうちに、二学期の成績発表があった。もしこれで、とんでもない成績を取ると卒業できなくなるわけだが、恐る恐るチェックすると、なーんだばっちりじゃん。 気をよくして、セクション・ソフトボール大会へ!一発ヒットかましておきました。   夜は、セクションメイトAmyの家の庭でバーベキュー。夜までみんなで「試験の後は何してたの?」みたいな話で盛り上がった。みんなと過ごす最後の数日、楽しみたいと思います。

親子水入らず アメリカ大陸ドライブ旅行 後半

■5/26 ワイオミング州ジャクソン →同州 グランドティートン国立公園→イエローストーン国立公園 まずはグランドティートン国立公園を散策。父がどうしても「シェーン!カムバック!」といった場所を見たいということで、西部時代にあった村から大平原を観察。 とにかく平原が広い。そのへんの小屋にも味があります。 そしてイエローストーンに到着。 いきなり、湖が、凍っているではありませんか・・・。さすが標高2500超え。空気も薄くて息が切れます。 Old Faithful という間欠泉。いつ出るか正確にはわからないということで、ある程度の予測時間を事前に聞いて間欠泉の前で待っていたところ、確かにお湯が吹き出した!イエローストーンは間欠泉が有名で、歩いているとそのへんに数百個ある間欠泉からブシューとお湯が噴出す。 Old Faithful近辺はこんな湧き水がボコボコいっている。硫黄のにおいがすごい。でも誰も温泉卵を売っていないし、温泉にも入れてはくれない・・・。もっとも、めちゃくちゃ熱いのでとても入れないが。 イエローストーン国立公園はとても広いので、とても一日では見切れない。ここに3泊します。今日は、国立公園内のグラントビレッジというホテルに宿泊。 ■5/27 イエローストーン国立公園 2日目 今日も間欠泉まわり。写真では伝わらないけど、こいつはすごい音とスケールだ。湯気が立ち込めて前も見えない。泥のかなからポコポコいっているところもあれば、たてに高く吹き出しているのもあって、飽きない。 Artist Pointから見た滝。とてもきれい。やっぱりスケールがでかいわ、こっちの滝は。近くで見てみたが、かなり大きい。こんなのを見慣れると、日本の山奥の滝とかは悲しいほどに小さい。 本日もグラントビレッジのホテル泊。これは湖畔のレストらんだが、相変わらず湖は凍っております。 ■ 5/28 イエローストーン国立公園 3日目 本日も温泉がいっぱいです。熱くて触れない。 中はこんな感じ。真っ青できれい・・・。 硫黄と微生物のせいで、不思議な模様ができる。 湯気が本当に青かったりピンクだったりする。水面や地面の色を反映しているみたい。 野生動物もいっぱいです。 マンモス・ホット・スプリングスに到着。 階段状に白い石が連なっている。なぜだかはよくわかりませーん。 ■ 5/28 ワイオミング州イエローストーン国立公園 → ワイオミング州デビルズタワー → サウスダコタ州ラピッドシティ 本日は移動日。早朝からラピッドシティに出発です。 鹿も早起き。 道路を横断してから、何事もなかったかのように草を食べている。 バイソンだって横断します。 そして、イエローストーン国立公園を抜けた。これから、東の山を越えてラピッドシティに向かいます。 山を登っていくと、いつの間にか標高3000メートルを超えた。完全に雪国。数日前まで砂漠の中にいた気がするのだが・・・。 雲が本当に手が届く距離でぷかぷかしている。 山を降りて行くと、 雪が消えて、草原になってきた。 もうすぐ地表に到着です。 まっすぐな道と3人のサングラス。左から母、私、父のもの。窓は大量の虫をパチパチと跳ねているせいで、汚れております。 デビルズタワー到着!ネイティブ・アメリカンにとって重要なものらしい。かなり大きいです。 夜は、ラピッドシティで宿泊。 ■ サウスダコタ州ラピッドシティ (ラシュモア山→クレイジーホース) […]

親子水入らず アメリカ大陸ドライブ旅行 前半

と、ゆーわけで。 アメリカに来た両親をつれてドーンとアメリカ大陸旅行に12日間できています。 LAをでて、サンタ・バーバラ、ラスベガス、モニュメントバレーやイエローストーンなどの国立公園を回り31日にボストンに戻る予 定です。 旅行は、そろそろ半ばを迎えました。みんな体調もよく、毎日たのしくやってます。とりあえず、これまでの写真をいくつか・・・。 ■5/20 カリフォルニア州ロサンゼルス→カリフォルニア州サンタ・バーバラ 両親をロサンゼルスで拾ってすぐ、サンタ・バーバラに行きました。 サンタ・バーバラの海岸線 やしの木がならんできれい。 まずはLAで父の免許を僕のレンタカーに登録してから、サンタバーバラへ。一応カーナビがついているのだが、父はまったくカーナビの指示を理解しようとしないし、標識もちゃんと読んでいない。こりゃ、僕が運転していないときも、気が抜けないぞ・・・。 途中でベトナム料理を食べた。砂浜を3人で歩き、埠頭につくと、エイをつっている人がいてびっくり。その後、カフェでのんびりしたりして過ごし た。夜は日本食の店に入ったが、店員がスープを口をつけて味見をしているのを見て唖然。クレーム言っといたけど・・・。 一日が終わって、泊まるところを探すべく近くのホテルを適当にまわる。財務大臣(母)が気に入ったホテルに決定。 父が歯ブラシを忘れたので買いにいってあげたり、ラスベガスのホテルを探したりと、家に帰ってからも親のお守りが大変!彼らはほとんど何も計画せずに来ちゃったので、行きながら僕が計画を立てることになりそう。がんばるぞうっと。 ■5/21 カリフォルニア州サンタ・バーバラ→ネバダ州ラス・ベガス 今日はサンタ・バーバラからラスベガスへ。 朝はIHOPでパンケーキ。IHOPは日本のファミレスっぽいので日本人を連れて行くにはちょうどいい。野菜のオムレツを食べたが、なかなかうまかった。 ラスベガスへ続く道には、砂漠があったりする。 休憩所に入るたびに父はソフトクリームを欲しがる。ソフトクリームなんて、日本ほどあちこちにはないので、探してあげるのも楽じゃないな。 そして、ラスベガス到着。 ニューヨークがあったり、 パリがあったりします。 市内観光で一日終了。 ラスベガスのホテルは、安いものでもかなりゴージャス。母は、こんなところに泊まった事がないといって大喜び。やっぱり女性はいいところに泊まりたいものだよね。そういう女心を父は一切理解しないのであった。かわいそーな母よ・・・。 夜はマジックショーにつれていった。ランド・バートンとかいう人のマジック。面白かった。 ■5/22 ネバダ州ラス・ベガス 続・ラスベガス観光。 朝は再びIHOPで食べた後、父の願いであった1ドルショップにつれていく。連れて行ってあげているのに「ふん、こんなレベルか」みたいなせりふをはいている。置いてあるものが日本人が好きそうなものじゃなくて、アメリカ人が好きそうなものなので、父からすると「レベルが低い」というわけだが、そういうもんじゃないんだけどな・・・。 ホテルに戻ってプール。水にぬれると、父の髪の毛がウスイ!!!これも我の行く道よ・・・。まあちゃんと残っているだけいいか・・・。 町のど真ん中にもホテルが大量に作られていて、工事がすごい。 Mirageというホテルでビュッフェを食べて、The Forum Shopという巨大ショッピングセンターをひたすら歩きまくった。 ラスベガスの夜景。夜になると父が一切うごかなくなるので、母と二人で散歩した。 ■5/23 ネバダ州ラス・ベガス→アリゾナ州→ユタ州モニュメントバレー 朝はマクドナルドで食べて、モニュメントバレーへ向かう。(ちなみにIHOPとかマクドナルドとかで毎回済ませるのは、父の趣味である。僕のせいではない。) モニュメントバレーに行く途中の道。グランドキャニオンみたい。 途中で、父のわがままにより、アーチズ・ナショナル・パークに寄り道。「また寄り道して・・・いつになったらホテルに着くの!」と怒れる母。 これは、バランス・ロックという石。 穴があいた巨大な岩がいっぱいあった。そして寒い。 今日はモニュメントバレーまでは届かなかったが、近くのBlandingという町に泊まった。これまた激安のMotel 8に泊まろうとしたが、「今日、あなたが電話して、キャンセルしたので部屋はない」という返答。うーん、さすがアメリカ、していない電話すらしていることに。でもこんなので怒っているときりがないので、さっさと別のホテルを探して移動。こんなトラブルでびびっていたら気ままなドライブ旅行などできん。 ■5/24 ユタ州モニュメントバレー 朝からモニュメントバレーへ。 モニュメントバレーに向かう道。 まっすぐな道が続く。 モニュメントバレー到着! 色々な形の岩がある。 記念碑みたいに並んでいるから、モニュメント(記念碑)バレーというらしい。 レストランも絶景。 そして、足元ではリスがおこぼれをおねだり。 […]

Day 7 – LAに向けて出発

午前中は、数日前に話したMy Digital LifeのSさんの紹介で、同社のCEOと話をすることになった。どうも、テクノロジー系のプロダクトマネジメントとマーケティングができる人が近いうちに必要になるとうことで、お会いさせて頂く事になった。再びビジネスモデルの話になったが、今日も面白かった! そして、午後はNeuroskyのO田さんのご紹介で、平木さんという方がやっていらっしゃる環境ビジネスのお話を伺うことに。 これは、有機廃棄物のリサイクルビジネス。僕も以前、コンサルタントをする傍らでグリーンエナジーベンチャーの立ち上げに参加していたので、なじみのある領域ではある。この話も、とても面白かった。平木さんはこのビジネスの立ち上げにすごく情熱をもっていらして、ずっと長いことがんばっていらっしゃるとのこと。限られた情報をもとにすると、技術的にはスジがいいし、ゴールにも共感できる。平木さんの情熱にも感銘を受けた。ただ、Fund raisingに相当苦労されている模様。やはり技術者の方なので投資家の視点でプレゼンのが難しいということと、英語が苦手ということで全ての情報が日本語しかないこと。どなたか環境ビジネスの立ち上げを手伝ってもいいという人は平木さんにつなげるので、ご一報を! と、いうわけで、怒涛のシリコンバレー滞在が終わった。ゼロからはじめたわりにはすごく充実していた。 明日、両親がアメリカ、ロサンゼルスにやってくる。ずっと前に約束したアメリカ大陸ドライブ旅行に出るのだ。荒野のまっすぐの道をひたすらドライブする・・・というのは男のロマンだよねえ。ということで、これが父の昔からの希望だったので、よっしゃ息子がつれてったる!ということでこうなったわけです。というわけで、再び荷物をまとめて、ロサンゼルスに向かって車を走らせた。 就職活動ぅ?そんなもんは、後で考えるよ!それよりデッカイ旅行をしに行こう!

Day 6 – ソフトウェアの世界展開 & 子供たちに囲まれて

午前: 再びSおじいちゃんに誘われて、Mountain Viewの駅のそばのカフェで待ち合わせ。今日はSさんと、Sからのご紹介で日本発のソフトウェアベンチャーの立ち上げのために渡米しているKさんの2人とお会いする。 Kさんは日本発のソフトウェアをシリコンバレーから世界展開させるべく、すでにこちらの法人の設立を進めていらっしゃるとのこと。KさんがCTOとしてステップダウンし、SおじいちゃんがCEOとして参加する流れらしい。このベンチャーのビジネスモデル自体はよくわからないけど、Sさんと仕事できるなら面白そう。 Kさんからは一緒にやりたいというようなお話をして頂いた。Kさんはもうすぐ結婚するということで、渡米されるとのこと。おめでたい!それにしても、30歳ぐらいですごい根性してるなぁ。 午後: 先日のバーベキューで出会ったカッコイイ人、H村さんにディナーにお誘い頂いた。何もわからず言ってみると、ふつうのアメリカ人の家。どうやら、ご親戚のおうちらしい。 H村さんのお子さんたち、ご親戚のお子さんたちなど、ワイワイガヤガヤ。おじいさんとおばあさんは普通の白人アメリカ人で、すごくおおらかな感じ。なんか、魔女の宅急便とかにでてきそうな雰囲気。でも、ご家族の経歴もすばらしい・・・。 H村さんとはずっと一緒にいたが、H村さんは子供のお世話が忙しく、僕と話をする時間はほとんどなかった。なんだか、普通に、楽しくディナーをしてから、H村さんは「じゃっ」といって、子供たちと一緒にご自宅に出発。もちろん、キャリアの相談とかはゼロ。 H村さん、子育て、がんばってるなあ。子供を育てるって、こういうことなんだな。これが、H村さんからのメッセージの一つだったのかもしれないなあ。 今日も、刺激的な一日だった。