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Day 5 – TieCon

タイコン、というのは、インド人を中心とした、シリコンバレー最大のアントレプレナーシップのイベントである。これまた、先日出たKeizai SocietyであったFuture Venture CapitalのFさんからこのイベントの話を聞きつけた。このイベントは学割がきくので安く参加することができた。 いろいろなアントレプレナーのプレゼンテーションがあるが、やはりアメリカのアントレプレナーはスケールがでかい。やりたいことであれば宇宙船でも作るわ、人のためになると思えばインド中に図書館を作るNPOを立ち上げるわ。あと、プレゼンのスキルがすばらしいよ。まるで、エンターテイナー。僕も、でっかいビジョンのプレゼンができるようになりたいなー。 一応日本人の方でもプレゼンしていた方がいらしたが、(その方特有の話ではなく)日本人のプレゼンは、妙にプロセスと詳細にこだわって、ズドーンと驚くビジョンを語るというのがないので、ちょっとさびしい。いや、すごくいいことを言っているんだけどね。 ところで、イベント会場を歩いていると、ここ数日の間に出会った人と何度も出会った。若者アドバイザーのSさんとか、いろいろ。世間は狭い! あと、夜はGoogleでGoogle MapsのProduct Managerをやっている、HBSの1年先輩、Googleのけいちゃんの家に遊びに行く。一緒にフォーを食べて、楽しく過ごした。どうやらけいちゃんはMountain Viewの仕事が終わり、これから日本に帰国しちゃうらしく、さびしい限り。でも、日本で輝かしいキャリアが待っていることは間違いない。がんばってね!

Day 4 – Email day

今日は1日、Mountain View駅の近く、Castro StreetのStarbucksで、メールだけして過ごす。 出会った方に、お礼をする時間が必要だ。

Day 3 – NetService Ventures & NeuroSky

今日はNetService Venturesという会社の校條さんという日本人の方とお会いした。 就職活動で大変なことになっている僕のために、アクセンチュアの同期のふくちゃんことF氏がNSVの校條さんを紹介してくれたのだ。ふくちゃんが、ブログでぼくのピンチっぷりをみてMixiで「紹介してあげるよ」というメッセージを送ってくれて。ふくちゃんありがとう。愛してる。 Mさんはとても暖かく迎えてくれた。「古賀さんは、自分でやる(起業する)タイプだね。経験もあるし、私がしてあげられることは特に無いけど、いろいろなひとに会ってみるといいよ。」と、暖かいお言葉。超やさしくていい人。無計画にシリコンバレーにきちゃったけど、なんとか面白そうなベンチャーで働けそうな気がした。話して、すごく元気になった。うんうん。 そして、そこでベンチャーの立ち上げをしているSさんという女性と出会う。My Digital Lifeというベンチャーの立ち上げをしているのだが、非常に面白いコンセプト。ここで書いていいのかわからないから書かないけど、こういうイノベーティブな仕事ができるのが、シリコンバレーのいいところだ。 帰ろうかな、というころに、校條さんに、「古賀君、そういえば、今日うちでバーベキューパーティやるんだけど、来る?」と、お誘いいただいた。どうも、日本人の人だけでなく、ベンチャーに関わる様々な人が参加するバーベキューらしい。もちろん、飛び入り参加。 そこでいろいろな人と会うことができた。昔僕が働いていた古巣、ネットエイジのがこちらに進出するらしく、ネットエイジの人にまで会った。それから、H村さんという方とも会った。僕の子供のこと、保険のことなど、家族のことをとても心配してくれて、いい人だなぁ~と感激。IMDのMBAで、Bainでコンサルティング、AppleでマーケティングVP、Video Streaming起業&Sonyへ売却、など、キャリアもすさまじい。 そのH村さんからのアドバイスは、健康保険のこともあるだろうから、今は子供のことを優先しなさい、ということ。仕事はいくらでもあるが、生まれてくる子はその子しかいないから、と。うーむ!まったくそのとおり。確かに、今は仕事でぜいたく言うよりも、子供が無事に生まれることのほうが大事だ。守りは、しっかり固めていこうと思う。 金銭的に成功している人って、僕の中ではほとんどの人がカッコ悪い。だって偉そうにするばかりで優しく無いじゃん。でも、H村さんは、カッコイイ。 その後夕方から、NeuroSkyというベンチャーのO田さんに会いに行く。先日のKeizai SocietyのセミナーであったFuture Venture CapitalのF尾谷さんに紹介して頂いた方だ。 NeuroSkyというのは、超低コストの脳波測定機器。今は、大型の検査機器ほどの制度はないが、ゲームなどへの応用を検討されている。会社にてデモを 体験させていただいたのだが、これまたぶっとんでいて楽しい。「集中」とか「心を無にする」みたいなことで、キャラクターを動かすとか、新しすぎ。しかし HBSで学んだChristensen先生のDisruptive Technologyの理論に当てはめて真面目に考えると、脳波を低コストで調べられるというのはかなり将来性が期待できるビジネスモデルだ。ベンチャーとしては、かなりスジがいいと見た。 そんなすごいところで仕事しているO田さんは、お金とかキャリアとか度外視。半端じゃない。で、やりたいことをやっていたらいつのまにかそこにいた、という感じらしい。自分というものがすごくしっかりしている。一方で、人の心というのを深く理解する力をもった愛のある人という印象。かなり気があって、再び夜中まで話し込んでしまった。 そんなところで今日は終了。これが就職活動なんだから、楽しくてしょうがないな。

Day 2 – おじいちゃんとの出会い&モバイルベンチャー

■Sおじいちゃんとの出会い 午前は、昨日のイベントであったSさんというシリアルアントレプレナー(起業することを仕事としている人の職種名)のおじーちゃんが、キャリアの相談につきあってくださるということで、お昼からMountain Viewの駅のそばの喫茶店に行った。 おじーちゃんは70歳はいっている・・・という感じの人で、若い人材をいろいろサポートしている、ということらしく、見ず知らずの僕の話を聞いて親身に相談にのってくれた。DVDのオーサリングツール事業を立ち上げて、Steve Jobsと直接交渉しAppleに売却したとか、破天荒な人生を歩んでらっしゃる方だ。そのせいかこの僕のリスクテイカーっぷりを気に入ってくれたようで、すっかり話し込んでしまった。ただのおじいちゃんではないようなので、これからいろいろ教えてもらおうと思う。すごく、いい出会いだった気がする。ぼくは、世の中でカッコイイと思う人は皆無なのだが、このおじいちゃんはカッコイイ、と思った。 ■モバイル広告ベンチャー・AM社 午後は、とあるモバイルベンチャーAM社に呼ばれて顔を出す。ここは、SちゃんというHBSの同級生→インターン先のベンチャーキャピタルのKさんのつてで紹介してもらった会社だ。セコイアとかアクセルといった、かなりいいVCから資金調達している、伸び盛りのベンチャーである。モバイルなので必然的に日本市場に進出を考えているが、実はかなり慎重な姿勢。というのも、日本で成功させるのはかなり難易度が高いビジネスモデルだからだ。 ここの副社長(VP)とは以前からちょこちょこ電話していて、今回シリコンバレーに来てますよと挨拶メールしたらいきなり呼ばれた。よく状況はわからないが、とりあえず行ってみようかという感じで顔を出した。ついたら、今は忙しいからディレクター達と会え、といわれる。従業員はだいたい、HarvardとStanfordのMBAばかりだが、シリコンバレーのベンチャーではよくあることだ。 ディレクター「やあやあ。君に会えって言われたんだけど、なにこれ?面接?」 僕「いや、どうなんでしょう?呼ばれて、来たんですけど。違うんじゃないですか?」 ディレクター「はっはっは。わからないねえ。まあいいかー。」 みたいな意味不明の会話が続く。うける。 で、副社長登場。いきなり、年棒の話に入る。年俸は、まあふつうの金額(*)だが・・・。しかし、まずはインターンから初めてくれというのであまり良い話ではない。 ちなみに余談だが、シリコンバレーベンチャーでのMBA卒の給与は、$100,000(約1000万)とだいたい相場が決まっている。これは、他の業界と比べてメチャクチャ少ない。ここは生活費も税金も高いので、新卒エンジニアでも1000万スタートとかの世界である。借金を返さなければならないMBA生の生活レベルは、学部の新卒1年目を下手すると下回る。ちなみにこれは、シリコンバレーでの給料は、年棒ではなくストックオプションで払う、という文化だからである。昇進してもたいして給料はそんなに上がらずストックオプションが増えるという構造。つまり、会社が成功しないかぎり、生活に余裕は生まれない。 で、すぐ決めてねという雰囲気になってきた。僕は、「僕のVisa(F-1のOPTというやつ)では8月になるまで働けないんですけど」と言っておいた。働く開始日を変える申請ができるか調べてみるが運次第だ、と答えておいた。面白そうなベンチャーではあるが、現実的には日本進出の壁も高いし、Visaの問題もあるので無理とみた。しかし、非常に面白かった。 手探りの日々の2日目。明日何があるのかもよくわからないけど、すげーワクワクする。

Day 1 – Door Opener

シリコンバレーの友達の家に到着。なんとなくウェブサーチをしたら、シリコンバレーにはJPTAだとかSVJENだとかKeizai Societyだとかいろいろ日本人のコミュニティがあるらしい。以前やったHBSの卒業生ネットワークからのネットワーキングだけでなく、日本人コミュニティからも攻めてみようか、ということで。 そのKeizai Societyのイベント”Ingredients for Successful Entrepreneurship with Innovative Technologies”というセミナーみたいなものがシリコンバレーのPalo Altoであるらしい。んじゃ、いくか、ということでさっそく出発。法律事務所の一室でイベントは行われるようだ。タイラさんという有名な方がいらっしゃるとのことだが、ここシリコンバレーでだれがどうすごいのかは、僕にはよくわからない。とにかく、出てみようと思い、受付へ。 女性「申し訳ありません、今回は定員オーバーになってしまい、もう受け付けはできません」 僕「そうですか、でも、どうしても出たいのです!お願いします!このために、ボストンから来たんです!どうしても、出たいのです!!!」 女性「ええっ、ボストンから・・・そうですか・・・。入っていただきたいのですが、消防法の都合で、あの部屋には20人までしか入れないんです。ごめんなさい。」 僕「じゃあ、外から見てもいいですか?」 女性「えっ・・・。外からですか。それならなんとか・・・」 と、いうわけで、僕は部屋に入ることができないまま、セミナーが始まった。しかしセミナーには空席があり、親切なコーディネーターの方が小声で「ほら、あそこあいてるから、入っちゃいなさい」と耳打ち。後から来る正規の参加者がいるかもしれないが、僕は図々しくも空席に忍び込んだ。 参加者は20人ほど。全員が少しずつ自己紹介するように促された。参加している方々は、大手テクノロジー企業の人(AMDとかNECとか)や、日系/米系ベンチャーキャピタルの人、ベンチャー向けコンサルタント、シリアルアントレプレナーなど、シリコンバレーっぽいメンバーがそろっている。若い人からおじいちゃんまでさまざま。 僕も自己紹介。「えー、古賀です。もうすぐMBAを卒業します。とある会社さんに内定をもらっていたのですが、その会社と喧嘩してしまったのでとりあえずこちらに飛び出してきてしまいました、ハッハッハ!!え~どなたもしらないのでよろしくお願いします。」と自己紹介。 セミナーが終わると、いろいろな人が名刺交換しに来てくれた。「私もMBAをとった」とか「うちの娘も今ハーバードを受験する」とか「私はこういうビジネスをやっているのだが今度話をしよう」とか「私はいろいろな若い人にアドバイスをしているので、明日相談に来なさい」などなど、いろいろな人が見知らぬ僕に興味を持ってくれたのだ。なんと、うれしく、心強いことか。 身寄りのない30代前半を不憫に思ってくれたとか、キャラ的に笑えるとかそういうところもあったのかもしれない。でも、実際には、こんな短期間で僕のことなどわかったはずもない。どちらかというと、僕の力よりも、ハーバード・ビジネス・スクールのブランドの力による部分がとても大きかったと思う。 なぜ数あるMBAの中からHBSを選ぶか、という議論になったとき、HBSの「Door Opener」としての力、つまり、「可能性という扉を開けてくれるブランド力」のためだ、とよく聞いた。これまでそれを実感したことはなかったが、ぼくもそういうものに期待して、HBSに最終的に賭けたところもあった。卒業して初めて、ようやくそのメリットを実感した気がする。 可能性を広げたいからHBSに入りたい、なんて言われても、普通は「可能性って、なんの可能性?具体的な必要性がはっきり見えていないのに、意味があるの?」と、思うかもしれない。しかし、可能性が必要な重要な局面なんて、だいたい事前にはわからないのだ。物事がうまくいった・・・という結果の多くは、不確実な可能性の連続を潜り抜けることができた結果であり、振り返って初めて、何が重要な可能性だったのかわかるもの。その扉の先を見ることなく過ぎ去った可能性については、語られることも、振り返られることもなければ、そこに扉があったことすら気付かれない。だから、このDoor Openerが、僕をどう助けてくれるのか、具体的には見えていない。でも、きっとこの扉を開ける力に感謝するときが来るような、気がする・・・というか、たのむ、なんとかしてくれ!(笑) セミナーのあとは、京都のFuture Venture Capitalからいらした方々と遅くまでまで話し込んだ。すごく親身に相談に乗っていただいて、後日Neuroskyという会社で働いている日本人女性にあわせていただけることになった。 というわけで、明日は前述のように、若い人にアドバイスをしているというSさん(70歳ぐらい?)とお会いすることになった。 僕には知っている人もすることもない。とにかく、お会いしてくれる人にお会いさせて頂く中で、道を模索してみよう。

シリコンバレーへ

前述のように、期末試験は終わり、家を片付けています。20日に両親と一緒にロサンゼルスからアメリカ大陸ドライブ旅行に出るという約束をしているので、それまでは時間がある。 奥さんは日本に帰っていて、いない。同級生たちは卒業旅行に出かけていて、いない。学生生活で借金をかかえている身分で、かつ子供ができそうだというのに仕事を断ったぼくは、もちろん卒業旅行なんて行けるはずもないのであった・・・。 で、これからどうするのか? そんなに難しい話ではない。元から、やっぱりテクノロジーオタクとしては、シリコンバレーで仕事をしたいと、もともと思っていたのだ。シリコンバレーというのは、日本にもっと近い西海岸の、サンフランシスコの南のほうに広がるハイテクベンチャーがたくさんあるエリアだ。Google、Yahoo、Appleなどの企業はすべてそこに本社があるという、最先端のテクノロジーが集まるエリアだ。年中すがすがしく晴れていて、夏は涼しく、冬は暖かい、住むには最高の場所だ。 8年ぐらい前だが、僕も大学生のころ仕事の出張でシリコンバレーに来たことがあった。そして、このすばらしい環境で、テクノロジーのベンチャーで働いてみたいと思った。でも、どうやって?まだ20歳ちょいの僕には、当時、道が2つあった。 ひとつは、ゼロからはじめるパターン。英語が話せないままとりあえずシリコンバレーでできる仕事を探して、させてもらえることをしながら成長する、という道だ。 もうひとつは、マネジメントポジションで入るパターン。まず、日本でビジネススキルを確立してから、強みを活かして一気にマネジメントポジションで入ることで、英語ができないとか関係なくするパターン。 そして、僕が選んだのは後者のパターンだ。理由は、前者の場合、英語ができない人を雇うような企業では自分の成長が見込めない。だから、まず学生当時やっていたベンチャーでのエンジニアの仕事をやめて経営コンサルタントになり、MBAをシリコンバレーに引っ越すための橋に使おうと思った。そしてこの8年は、地道にその実行をしてきた。8年もかかったが、ようやく近づいてきたのだ。 では、なぜボストンの会社を考えたのか? それは、正直言って、子供ができたからだ。仕事の理念も大事だが、家族にリスクを負わせるほどのリスクはとってはいけない。仕事はしょせん仕事なんだし、なるようになるでしょう。 シリコンバレーでの就職活動はボストンからでは遠すぎて難しい。授業があるので面接にいくこともできない。しかし、卒業後に就職先がないと健康保険がなくなる。ボストンでの仕事は給料もそれなりによかったのだが、中期的にはどちらにせよシリコンバレーでの仕事につなげるためのものでしかなかった。だから、安定のために、直近で確実なものを考慮したのだ。仕事など所詮仕事だし、転職などいつでもできる。夢など、あきらめなければかならず実現するものだ・・・8年も待ったのだから、家族のためにもう少し待つことなどたやすいことだ、というのが僕の考えだった。 とかいってみたものの、なんかムカっときてやめてしまった。アホだと思うかもしれないが、ムカッとしたらやらないのは大事だと思う。ムカっとしたら、自分が環境を変えるか、自分を変えるかしかない。環境という意味ではなんか親会社と子会社のごたごたは僕が努力して変えたいような話ではないし、会社のために自分を変えるほどまだ打ち込んでいない。単純に無理だったのでやめた。 そこで僕が確認した点はただ1つ。7月末まではハーバードの健康保険は切れない・・・つまりそれまでに仕事が見つかれば家族へのリスクはゼロではないがほとんどない、ということだ。 子供のために保険があって、食べ物が食べられて、住むところがあれば、何とでもなるだろう。 では、今後の予定は? とりあえず予定もへったくれもないので、すぐにシリコンバレーに旅立つことにした。泊まるところがないので友達の家の部屋を借りることに。去年の夏にCarmel By The Seaというモントレー(インターンしていたヘッジファンドの場所)の近くの町で、レストランでたまたま出会ったTomだ。彼はPeerMeというインスタント・メッセンジャー&VoIPビジネスの Founder CEOだ。持つべきものは友達だ! で、行ってからどうするか・・・ それは、行ってから考えればいいんじゃないの?

Expecting a baby

突然ですが、ニュースです。 なんと、赤ちゃんができました!どうやら、僕たちはお父さんとお母さんになりそうです!10月末ごろが予定日です。2006年に結婚したばかりなので、もちろん初めての子供です。前に超音波で見たときは、身長8センチでした。 まだ実感がぜんぜんわかないけど、子供ができるというのは、本当に、不思議な事だね。男の子か女の子か、無事に生まれてくるのか、病気とかないかとか、まともな父になれるかとか、心配なことばかり。でも、誰しもこうやって、手探りで、親になっていくんだろうね。お子様をお持ちの皆様、ぜひともご指導よろしくお願いします。 今は、どうか、無事に、生まれてくれますように、と祈っています。無事に生まれたら、みなさんかわいがってやってくださいね!

期末試験終わり

2年間の勉強が終わりましたー。毎日のようにファイナルがあったので疲れたわ。今日から卒業式のある6月5日まで、基本的には大学関係の予定はなし。 まあ、成績がオール不可みたいなのでない限り、卒業できるだろう。ファイナルの結果って、いつわかるんだろう? さー、これから色々がんばりまーす。さしあたって、部屋を片付けから!

愛に包まれて その2

夜食にラーメン食べようと思っていたけど、「ラーメンなんか食べちゃ駄目ですよ!」と言って今日もお向かいさんが夜食を運んできてくれた。 あと、僕の家の契約が切れるという件について、何件か、「家が必要だったらうちにおいで」という愛のあるメッセージを頂きました。気を使ってくださってありがとうございます。家の契約は6月末まであるので、短期的にはなんとかなると思います。倉庫サービスなどを使わせてくれるという方もいらっしゃいました。カリフォルニアの友達も、就職活動の間とめてくれると言ってくれているし、きっと何とかなるでしょう。 みなさん、本当にありがとうございます!! 内定の件については、心配かけてすみませんが、僕はぜんぜん平気です。内定辞退の件は、人に迷惑がかかるので背景を詳しく言えないのですが、平たく言えば、こんな感じ。 内定した会社の親会社の社長がHBSのMBAをずっと欲しがっていたらしく、僕が内定したのをききつけて、「どうしても俺のところで働いてくれ」と強く言って来た。しかし僕が内定したのは子会社。で、親会社と子会社でいろいろ起きている間に、「俺のところに来ないなら子会社では働くな」みたいなことになってきた。まあ来て欲しいから、ひとまず強く交渉に出てみたということなんだろうけど、にしてもこの調子じゃアツい仕事ができないかもなと思って、さらっと断ってしまいました。しばらく経営コンサルタントとして独立して食いつないでもいいし、別にいいかな、と。 まあ普通に考えるとかなりドアホかもしれませんが、幸い僕は欲があまりないのでそんなに「いい仕事しないと!」というプレッシャーもないし、さらに幸いなことに、僕には助けてくれる人が沢山いることに気づいたので、落ち着いて、自分が納得できることをやりたい思っています。 一方で、そういえば最近、シリコンバレーで著名な方に相談したところ、「卒業後に就職活動はリスクがかなり高いですよ。MBAを卒業してからくる人によく相談されますが、成功をした人はいません。もちろん、古賀さんが一人目になってくれるならいいのですが」というアドバイスを頂いた。 確かに無理なのかも(笑)。でも、思えば、無理だからって捨てるものなど別にないんだよね。そもそも、高校時代に「総合」偏差値30台しかなくて、入れる大学がなかった落ちこぼれの僕が、とりあえず大学に入れた。それだけでもありがたいのに、なぜかいい僕の大学では内定の前例がないような仕事につけた。「アイツは、やりたいことしかやらない」と苦言を呈されていたわがままコンサルタントの僕が、なぜかこうしてすばらしいMBAにまで合格した。MBAの一年目の一学期、絶望的な成績をもらって、どう考えても二年に上がれないと思っていたのに、成績も問題なく無事に卒業できそう。ほとんど全部、最初から無理だと言われていたし、そう思っていた。それが、ここまで生きているんだから、いまさら無理のひとつぐらい恐れる必要はないんじゃないの。それに、ある意味、最初から無理なんだったらむしろ失うものなどない。 最終的には、全部失敗したら、奥さんが畑を耕して食べ物を作ってくれるらしい。ビジネス・スクールを出といてアレですが、僕は、とりあえず、生きて、食べられて、周りにいい人たちがいるなら、人生は100点満点中80点ぐらいまでは稼げます。なので、残りの20%(ビジネスを含む)で、多少のことがあっても大して痛くないです。せっかくなので、死ぬまでには100点満点に近づけたいけどね。

正規分布による日米のモラルと反応の分析

注意: 今回の日記には、深い意味はありません。また、意味がわからなかったら気にしないで下さい。 図1: まず、アメリカ人と日本人のモラル分布 以上をふまえて、 図2: アメリカ人と日本人の相手へのモラル期待度 図3: アメリカ人と日本人の幸せの判断基準点 図4: アメリカ人と日本人が会ったときに何が起こるか(1):モラル期待度 図5: アメリカ人と日本人が会ったときに何が起こるか(2):幸せの判断基準点 結論:日本人はアメリカ人に耐えられないが、アメリカ人が日本人にいらつくことはあまりない。これは、平均的にアメリカ人のモラルが低いというよりも、アメリカ人のモラル分布が日本人にとって大き過ぎることと、相手に期待するレベル・幸せを感じる基準点が異なるからな気がする。 日本人の価値観は、分布を狭くするようにデザインされている。単一民族・単一文化がうまく機能することを前提にデザインされているからだろう。 一方で、アメリカ人の価値観は、統一感のない社会でもポジティブに機能するようにデザインされている。彼らが日本人のようにものごとをとらえたら、彼ら自身がストレスで生きていけないだろう。もとからほぼ全員移民なので、価値観を共有したり統一すること自体絶対無理である。 その結果、日本人のほうが柔軟性が低いので、海外にいくとつらい思いをする可能性が高い。そして、アメリカ人はアメリカ人以外を不快にさせる可能性が高い。 しかし、これは社会が機能するために自然とそうなっているものであって、どちらが悪いとかいいとかいう問題ではない。しかし、日本人がアメリカに行くと、アメリカ人が最悪であるかのように感じてしまうが、単に批判する前に自分自身がある程度許容範囲を広げない限り、いつまでもつらい思いをすることとなるだろう。 で、それがどうしたのかというと、どうもしない。