鬱病による自殺が減りますように。 (長文)

永田議員が自殺で亡くなったということで、ご冥福をお祈りいたします。

このニュースにも驚いたけど、それより驚きなのはこのニュースに対する人々のコメント。

「あんなことをしたんだから死んで当然だ」

「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」

「死んで責任を取ることなんてなかったのに」

「なんで周りの人は止められなかったんだ」

みたいなのばっかり。

僕は医者ではないし、永田議員がなぜ死んだのかは、彼にしかわからない。でも、こういうコメントを見ると、鬱病による自殺に対する多くの人の理解のなさに残念に思う。もう少しだけ彼のことをわかってあげたら、こういう自殺を減らせるかもしれないと思い、長文になるが僕の見解を残しておこうと思う。

「あんなことをしたんだから死んで当然だ」

ちょっと待てと。そもそも、彼のした事は、そこまで批判するに値しない。理由その1。彼がしたことは、「実力以上のことにチャレンジしたが、失敗した」というだけで、大きく見れば特に若い時は誰にだってある「普通の失敗」だ。経営コンサルタントだった当時は、東京大学を優秀な成績で卒業したピカピカの部下が、ファクトに基づかない捏造感のあるプレゼンを作ってくることなどよくあることだったわけで、エリートだったら大失態をしないなどというのは幻想である。こういう失態を許し、学ばせることで、人を育てるのが組織の仕事だ。理由その2。最も悪いのは部下のレビューを怠った幹部だ。先述のように、失敗事例のある若い部下がファクトに基づかない議論をするリスクがあるのは当然で、こういうことが起こらないように組織的に準備するのが幹部の役割である。また、上司というのは責任が大きいから給料を部下よりもらっているわけであり、何か問題があったときは部下をかばい自分がまず責任を取るのが当然なのに、まず彼を罰しようという姿勢がおかしい。彼のせいで民主党執行部が責任を取らされたのはひどい、という意見があるが、本当に責任があるのだから当然である。理由その3。彼がやったことを批判するならば、彼に投票した人を批判するのが先であり、有権者はできないことをさせてしまった自分を恥じるべきであって、「あんなことをしたんだから死んで当然だ」という人は、投票者があんなことをさせたに等しいことを忘れてはいけない。

というわけで、彼がやった事の責任は大きく見れば組織と有権者にあるのだ。同じ組織と有権者が同じように行動すれば、同じメカニズムで同じような人が現れるのだから。

「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」

彼がアンラッキーだったのは、職業柄、失態が多くの人の目にさらされたということである。僕も、テレビで全国放映されたら穴から出られないような失態があると思うが、経営コンサルタントというのは機密情報の世界なので幸い表に出るようなことはなかった。でも自分の失敗を日本のみんなが知っているという状態で、みんなに批判され続けたら僕はどんなに追い詰められるだろう。永田議員が、受験、就職で挫折したことがないという理由で、「挫折を知らない人は困る」というのは筋違い。受験で失敗した辛さと、日本中に恥が知れ渡る辛さとを天秤にかけられるはずがない。挫折を知っていようと知っていまいと、逃げ場がなくなれば人は極限まで追い込まれるのだ。

多くの人が、逃げ場がないということの恐ろしさを知らないのではないかと思う。特に、日本人は失敗に対する寛容さがなく、連帯意識を重視する結果「正しかったらみんなで批判する」傾向がある。ここで、逃げ場を失わせる最も簡単な方法は、「周囲の人が失敗した人を正論で追い詰める」という事だ。まさに、「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」、という発言をする人が多いから、人は追い込まれて、死んでいくのだ。

人間というのは、逃げ場がないとストレスで鬱病になるように設計されており、鬱病が進行すると脳の形状が変化し機能も変化し前向きに考える機能を奪われ、ともすれば自殺したくなるように設計されている。あまり知られていないと思うが、これは本人の問題ではなくて誰でも例外なくそうなのだ。人間として弱すぎるなどという人は、人間の精神が強いという勘違いは捨て、周りの環境に恵まれているだけだと気づいたほうがいい。

「死んで責任を取ることなんてなかったのに」

おそらく、彼の遺書には、自責の念、家族に迷惑をかけた侘び、そして死んで社会にお詫びします、という3点が書かれているだろう。鬱病というのはそういう自責の念が容態を悪化させる病気であり、パターンが決まっている。しかし、本当の死の原因は、鬱病がもたらす完全な絶望だと思う。完全な絶望というのは、おそらく僕のような普通の人には(僕が鬱病にならない限り)永遠に想像できない地獄の領域だ。おそらく、ひとつ息をするのも死にたいほど苦しく、朝起きるたびに目覚めたことを絶望し、消えたいと切実に願うのだと思う。こんな状態では、生きていられるのが尊敬に値するレベルの辛さだと思う。

死んで責任を取ることはなかった、そんな事は問題ではない。もう生きていられる程の辛さではなくなったから死ぬしかなかったのだ。そしてこれは、誰でもなりえる恐ろしい鬱病という病気の「正常な症状のひとつ」なのだ。

「なんで周りの人は止められなかったんだ」

鬱病が進行してしまった人の自殺を食い止めるのがどれだけ難しいか、知っているのだろうか?元気付けて気の利いたことをちょっと言えば立ち直るとでも思っているのだろうか?あるいは、自殺しないように両手両足を壁にくくりつけ、舌をかまないように口にボールでもつっこんでおけばいつか治って自殺しなくなるとでも思っているのだろうか?そんなに簡単に対策できる病気だったら誰も鬱病で自殺したりはしない。プロの精神科医と家族が全力でサポートしても、そう簡単に解決しないから、恐ろしい病気なのだ。

それに、自殺が発生した場合には悪いけど死んだ本人よりも残された周りの人をサポートする必要がある。近しい人を失ったという絶望は、周囲の人の心を信じられないぐらい深く傷つけ、そのトラウマが完全に消えることは難しい。にもかかわらず、平然と「なんで止められなかったんだ」などと正論で追い討ちをかける人が多いのも残念。悲しみに打ちひしがれた家族に必要なのは馬鹿でもできる批判ではなく、「あなたはよく彼を支えました、あなた以上に彼を支えられる人はいませんでした」といって抱きしめてくれる人だ。

では、どうすればよかったのか

鬱病になるというのは、完全ではない社会においては、事故というか、ほとんど運によるものなので、こうすれば避けられる、といったものではない。しかし、鬱病は薬やその他の治療法を正しく併用することで治すことが可能(簡単ではないが)な病気であり、しかも早く治療することで治る確率を大きく向上できるのだ。どういうのが鬱病の症状か、といった一般的な事はどこでも調べられるが、僕からの意見は以下である。

もし、あなた自信が自分が過度のストレスを感じていると思ったら、そして特に体調に少しでも変化があったら、鬱病だなと思うよりはるか前に精神科に行き、必要な治療をし、できればカウンセラーを紹介してもらうことだ。カウンセラーというのは単なる相談相手ではなく、精神病の構造と治療法を良く知ったプロの人であり、ストレスマネジメントへのアドバイスをくれる。鬱病というものを知らないと、「ストレスがあるが我慢すればなんとかなる」と思って症状を悪化させ、気づくと回復が難しいほど進行してしまうが、「我慢すると進行する」という事実を知っておいてほしい。進行した場合は、「そうは言っても」という常識を捨てて全力で問題から逃げて、どうか、ゆっくり休んでほしい。

もし、あなたの周りに鬱病の人がいる場合は、こういうことに気をつけてほしい。

  • 自分の尺度で余計なアドバイスをしない。例えば「がんばれ」が禁句なのは有名だが、鬱病はがんばりすぎたひとの病気なので、これを言われると「お前はがんばっていない」と言われている気になる。応援しているつもりだろうが、マラソン中に両足を疲労骨折して立てない人に「ゴールはあと100キロ先だからがんばれ!」というのに等しい。しかし、説明されてもなぜそうなのか心にしみこまないなら、結局それ以外の言葉で追い込んでしまう。そういう心の繊細なメカニズムがそもそも理解できないなら、余計なことを一切言わないか、鬱病についてきっちり勉強してから何か言うべきだ。
  • 言葉通りに解釈して反論しない。苦しい状況の人はかなりムカつくことを言うし、理不尽な事をするし、批判したくなるようなことをするが、どんなことをしても許してあげなければならない、今だけは。本人も、きっと全てわかっていて、止められないのだから。別の言葉でいえば、鬱病の「症状」と本来の「人格」を混同しない。「本来の彼だったらこんな事は言わないが、鬱病に言わされている」とちゃんと認識しないと、「症状」ではなく「人格」に反論することになるのでよりダメージを深めてしまう。
  • 正論を言わず、特別扱いしなければならない。これは特に頭がいい正論が得意な人には難しいかもしれないが、本当に辛い人に、「そんなこと言ったって人生は平等なんだから、お前が強くなってしっかりしろ」というのは間違いだ。たとえば、上司との関係に苦しんでいる人に「社会人なんだからしっかりしろ」といっていいのは、ストレスが限界を超えていない場合だけであって、超えたときは「会社なんていいから、2~3ヶ月、ゆっくり家で休みなさい。他の事は何も考えなくていいから。お金なら、貯金があるからそれを使っていいから。キャリアの成功なんてなくても、あなたさえいればいい」と、言わなければならない。傷ついた人には、回復する十分な時間が必要であり、それまではやさしく、そして全力で守ってあげるのが周りにいる人の役目だ。こういう事情をわからない家族(たとえば無駄に厳しい父親など)が家族で影響が強い場合は鬱病では要注意で、危ない人をできるだけ近づけないように工夫しなければならない。

というのを踏まえたうえで、もし相談を持ちかけられたらどうするか。一般論はわからないし、正しいかどうかも知らないが、ぼくはこうしている。

  • 問題を理解する。どういう風にコミュニケーションすべきかわからないならば、まず話をずーっと聞こう。まず、自己は捨て、話を聞くことに集中する。心の壁の向こうで出られなくなっている本当の姿が見えてくるまで、暗闇の中で路頭に迷った瞬間を感じるまで、心の痛みが伝わってくるまで、相手の心をつかむ感触がある瞬間まで、とにかく聞く。言語表現はあまり頼りにならないので聞かず、なぜそういいたい気持ちなのか、を聞く。自己を捨てず「でもさ」とか意見したり、言語にとらわれたりすると、心が穴に引っ込んで出てこなくなるので注意する。本人が問題だと認識していることが本当の問題かどうかはわからないし、言語表現に頼ると心のメカニズムがわからなくなるので、相手の思考回路をそのまま自分にコピーして、ある程度相手の立場で問題を見る必要があるからだ。ただ、自分の心の形を相手の心の形に合わせるとけっこうこっちもしんどくなってくるので、相手の主観に合わせながら、自分自身が闇に引き込まれないように客観的でいる工夫が必要だ。なので、「相手の心」と「自分の心」をごちゃまぜにせず、アタマの中にはっきり認識し完全に関係ない二つの精神として共存させるようにし、自分にはダメージがないようにがんばっている。でも難しいね、これ。ところで、こういうことって文字にするとすごくキモいかも・・・ごめんね。
  • 失った自信を取り戻させる。(自信がないと、前向きに考える心の体力が産まれない)
    • まず、大抵の場合、自分がどんなに素晴らしい人間なのかを思い出させる必要がある。例えば、本人の素敵なところを大量に指摘し続け、「自分には価値がない」という勘違いがいかに馬鹿げているかを伝える。例えば、「あなたにはいい友達がたくさんいますね。なぜでしょう?あなたは自分がダメだといいますが、そんなダメな人を大切にしているあなたの友達は人を見る能力が欠如しているのですか?彼らに限ってそんなことはないとすると、あなたに魅力があるから、大切にしているのだと思いませんか?あなたが自分が価値がないというのは、間接的に友達をバカだといっているようなものですが、それがあなたの結論ですか?」みたいな形でポジティブに追い込んでいった。「自分に価値がないというのは極端かもしれない」とうすうす気づかせるまでネガティブな思考とは戦わなければならない。本人を否定することなく、欝の悪魔がもたらす理不尽・ネガティブな結論を徹底的に叩き潰す。
    • 次に、みんなに必要とされているという現実を思い出させる必要がある。誰だって得意なことがたくさんあるはずなので、欝状態だからと遠慮せず、ぜひお願いするようにしていた(もちろんプレッシャーになるようなことはやめたほうがいいが)。例えば、料理が上手な友達には素直にお料理を作ってとお願いし、時々みんなで遊びに行ってお料理を作ってもらって、いっぱい感謝を伝えるように
      していた。「みんなにはあなたが必要」と心から伝わるように。「自分には生きる価値もないし、死んでも誰も悲しまない」と思いいざ死のうと思った瞬間に「そういえば、みんなが自分を必要としている。それに、また料理を作ると約束してしまった・・・」と思い出すように。こんな些細ことで自殺が食い止められるわけがないと思うかもしれないけど必要とされているということは希望なのだと思う。ある日、僕がいつもどおり友達をつれてご飯を作ってもらいに行ったとき、普段は元気に料理していた彼女が、来てくれてありがとうと言って料理中に座り込んで泣き出したことがあった。僕たちは気にせずに笑いながら「何ないてんの?バッカじゃないの?それより料理まだ?」ぐらいの対応をしていたが、彼女はぐしゃぐしゃになりながら、笑い泣きで料理していた。今思うと、必要とされる事が想像以上に心の支えになっていたのではないだろうか。
  • 逃げ道を用意する。先ほども書いたように、鬱病の大きな原因は逃げ道がないと本人が絶望していることだ。そして、欝の影響で思考回路が閉鎖的になってくるので、実際に本人では逃げ道を作れない事が多い。もし問題がわかっているのであれば、回復するまでの間徹底的に逃げられる方法を提供する必要がある。問題が会社ならすぐ辞めさせてあげよう。問題が家族ならすぐに連絡先を変えて家族の目の届かないところに逃げ出そう。問題が過去の経験なら、それにまつわる物を思い切って全て捨て、それにまつわる人を全て遮断しよう。問題があなたなら、去ろう。問題が日本社会なら日本から逃げ出そう。「そんなこと言ったって、現実的には・・・」と言いたい気持ちもわかるが、状況によっては手段を選んではいけない。それに、もし結局この選択肢を選ばなかったとしても、「いざとなったら逃げられる状態である」ということが生きる希望につながることをわかってほしい。この逃げ道の準備については、やはり身近な人がやらないと難しく、本人に直接提案しても「無理」というだけで逆効果になるかもしれない。でも友人や同僚でも、協力しあうことで環境づくりに貢献することはできると思う。

モーニング娘。(芸能界)に学ぶ

とはいっても、テレビに出ている人が日本社会の批判にさらされる、というケースはあまり類を見ないので、今回のことで他の事を参考にするのは難しい。

でも、ひとつ、参考になるかもしれない例が思いついた。僕は芸能界にまったくといっていいほど興味がないので、モーニング娘。のメンバーをまったく知らないのだが、一人だけ名前を覚えている。芸能界から追放された、加護亜依さんである。なんでこの人だけ知っているかというと、タバコごとき(だって高校でも多くの同級生が吸っていたでしょ?)で日本社会から批判されて芸能界を追放されたというニュースを見て、「このパターンは、マスコミと、マスコミの記事を見て賛同する日本社会に追い詰められて死ぬな」と思っていたからだ。

でも、驚くことに彼女は死ななかった(やはり自殺未遂はしたようだが)。となると、不思議なのは死ぬと思っていた彼女がどうしてまだ生きているかだ。

ちょっとウェブで調べてみると、彼女がラッキーだったのは、特別扱いしてくれる人がいたことと、逃げ道があったことのようだ。どうも、石本さんとかいうおじさん(恋人)がずっと一緒にいたようで、かつ誰かの手配でニューヨークに留学していたらしい。この人がどんな人かは全然しらないが、死ぬと思っていた彼女が今も生きているということは、理解がある懐の深い人なんではないかと思うし、彼も本当に辛い中がんばって彼女を前向きにできたというだけでかなりの尊敬に値する。彼がいなければ加護さんは本当に死んでいたんじゃないだろうか。それから、(おそらくその彼のおかげで)本当にアメリカに逃げ出せたというのも命を救った。日本社会から批判されているという絶望的な状況において、本当に日本から出て行き、マスコミの目を背けることができたことが、精神を健全な状態に引き戻す大きなチャンスをつかんだのだ。こうしたことは誰でもできることではないので加護さんは運がよかったのだと思うし、環境に恵まれていた。もちろん、このへんは推測にしか過ぎないけれど。

(ちなみに、リストカットを告白したことについて和田アキ子さんが「芸能人としてプロフェッショナリズムに欠ける」と批判していたが、こういう正論でエールを送るというのは勘違いである。いまだに立ち直っていない人が多少へんなことを言うのは当然であり、そういう人を正論で公然と批判するから人が追い込まれるのだ。本当に心配しているなら、こういうアドバイスは、人の耳に入らないところで、そっとやさしくしてあげなければならない。)

ともかく、こういうことをできる恵まれた環境があったら、永田議員も死なずに済んだのかもしれない。特に、死ぬ前に奥さんと離婚し、むしろ特別扱いしてくれる人がどんどんいなくなった事は本当に心を痛めたのだと思う。(でも当然、問題はもっと大きなものであり、「助けるチャンスがあったのに助けられなかったのはお前のせいだ」と奥さんを責めてはいけない。奥さんも絶望と戦っていたのであり、その痛みをわからない人に偉そうなことを言う資格はない。また、家族の自殺が残す心の傷は重い。もうテレビも見られないかもしれないし、政治の話をしただけで死にたくなるかもしれない。これからは、遺族を守ってあげなければならない。)

ただ、同じようなメカニズムで、僕たちは周りの人の命を救えるかもしれない、ということだけは言えると思う。

とまあ、こんなことを長々と書いたのは、僕も助けたかった友人を自殺で失ったから。その人の死を無駄にしないためにも、今後そうやって死に至る人が減るには何が必要と僕が思うかを、せめて他の人にも知っておいてもらうことで、少しでも自殺が減ることを望んでいます。

追伸

この文章は鬱の人向けに書いているわけではないのですが、もし、万が一、あなたが死にたいと思っていてここに来たなら、これだけは信じて欲しいと思います。

病気の症状で忘れているかもしれませんがあなたはあなたが思うよりはるかに素敵な人です。僕には絶対の自信があります。

あなたが辛いのは知っています。でも、それはあなたが運が悪かっただけで、あなたは全然悪くありません。

なのに、あなたが死ななければならないなんて無意味な事は、僕には、絶対に、何があっても、許せないんです。あなたにはいろんな複雑な事情とか理由とかあるかも知れませんが、とにかく僕はそんな理不尽な話は絶対に許さない。あなたが死にたい理由はわかりますが、あなたが死んでいい理由はあなたが1万回説明したって僕には微塵もわからない。

だから、勝手かもしれませんが、僕はとにかくあなたに死なないで欲しいのです。もうちょっとだけでもいいから待って欲しいのです。あなたにはすばらしい価値があるという現実を思い出して欲しいのです。

お願いだから、死なないで下さい。

関連した日記:  君が生きていたということ

あけましておめでとうございます

謹賀新年ッ!

このブログを読んでくださっている皆さんはほとんど日本におられますが、みなさんお元気でしょうか?去年の夏に仕事でちょっと帰国したぐらいで、みなさんに直接ご挨拶できなくて非常に申し訳ないです。みなさんの年越しはどんな感じだったのでしょう。

2008年の新年はモロッコのサハラ砂漠で迎え、2007年はボストンの海岸で花火を見ながら年を明かしたのですが、2009年は子供がいるから外に出られないということで、フツーにカリフォルニアの家でのんびり年を迎えました(日本ではないという時点でそんなにフツーではなかったが)。しかし、せめて日本っぽい年越しにしよう!ということに決定。

ということで、「ダウンタウンの笑ってはいけない新聞社」(日本の年越し番組)をYoutubeで見て爆笑しながら、年越しそばを食べた(2005年には自分で作ったところ謎のマカロニが完成したという反省から、買って済ませた)。でも、もち米を買ってきておもちをたくさん作る。もち、うまい・・・。なお、年越しの瞬間は、新しい家族を迎えた記念に家族3人で手を取り合って「イェ~イ」と無意味に叫びハイ・ファイブしながら迎えました。除夜の鐘をつきにいこうかと思ったが、さすがにここはアメリカなのであきらめた。

近況

息子も元気にすくすく育っています。もとから子供好きなのですが、ぶっちゃけ生まれた瞬間は、「ハァ、これがうちの子供ネェ」という感じで実感がわかなかったのですが、毎日オムツをかえて、お風呂に入れて、だっこしてと、長い時間を一緒にすごしていると、うーん!!!!不思議なほどにジワジワとかわいくなってきます。ちなみに、もう息子のパスポートが来たのですが、初めてアメリカのパスポートを手にして、「おぉ・・・うちの息子がアメ人!?」と半端じゃない違和感を感じました。(日本のパスポートはまだしばらくできない・・・)

奥さんは息子が生まれてから、全てにおいてハイパフォーマンスを実現しています。時間の管理もうまくなり、家事も上手にこなし、子供の世話を文句ひとつ言わずにがんばっており、ママはすごいなあと思うばかりです。

僕のほうは、世界不況の影響でありえないぐらいの逆境におかれたシリコンバレーにおいて、笑えるぐらいにエキサイティングな毎日を過ごしています。個人的はいろいろとやっているのですが、大体面白い事はブログに書けないのが悲しいところ・・・。

2009年について

2008年は無事にハーバードを卒業し、シリコンバレーに引越してすばらしい人たちとたくさん出会い、モバイルベンチャーで楽しい仕事をできるようになり、かわいい子供も生まれて、楽しいことがたくさんあったすばらしい年でした。その裏では色々なリスク(例:卒業直前に内定を断り職がなくなった・・・他、大人の事情で書けない事もたくさん)を取ったおかげで、非常に心労も多い年でしたが、支えていただける仲間やアドバイスをいただける先輩方や知人の皆様、そして家族のおかげで、元気に2009年を迎えることができたと思います。ありがとうございました。

一方、今、とても仲がよかった同級生たちは、世界に散って、いろいろなところで活躍して世界の経済を支えようとしているわけで、みんなの近況報告を聞くたびに気が引き締まります。今年も波乱の年になりそうな予感がしております。僕も今年は気合を入れてさらなるバカっぷりを発揮していこうと思いますので、よろしくお願いします!

平成二十一年 元旦

電磁波

僕はパソコンオタクである。

まず、家。パソコンは今でも部屋に4台ある(奥さんのは別)。ひとつは仕事用のノート、ひとつは私用のノート、ひとつは旅行用の小型ノート、ひとつはサーバー用のデスクトップで、パソコンは基本つけっぱなし。机の上には大量の外付けドライブがぶんぶんいっており、19インチと21インチの液晶モニタがノートパソコンとは別にある。僕は目が開いている最後の瞬間までたいてい何かをしているので、ベッドでパソコンをおなかの上にのせ、そのままいじりながら途中で寝てしまうというのが良くあるパターンだ。

家の外でも大半をパソコンを見てすごしている気がする。大学2年のころからパソコンやインターネットに関する仕事ばかりしていたし、卒業後もコンサルタントの仕事はパワーポイントやエクセルが中心。今もインターネットビジネスなのでミーティングしていない時間はパソコンで作業。

車で移動中も赤信号になるとメールをチェック。飛行機の中や電車の中では昔から常にパソコンで作業しているし・・・。

Google ツールバーとハードディスクがキーボードを介して脳につながっているような僕ですら男の子が生まれるんだから、電磁波で女の子の赤ちゃんが生まれやすいって嘘だと思う。

Googleツールバーに「電磁波 女の子」と入れたくなったら、あなたも同類。

う~む、不景気だ

早いもので、もうクリスマスですね。みんなはどんな日を過ごしているかなー。こちらは息子も無事生後1ヶ月を過ぎて、家族みんな元気にしております。

あまりビジネスのことはここでは書かないようにしていますが、アメリカは不況の影響もあり、けっこうすごいことになってきたので、言及してみようかな。結構僕は今後の展望には悲観的なんだけど、世の中の結構アタマいい人たちが「実は大丈夫」といっている。彼らが正しいと信じたいんだけど、そういう人たちはたいていコンサルタントとかアナリストみたいな外から見ている人であるせいか、どうもしっくりこないんだよね。僕が肌で感じている状況は、こんな感じです。

アメリカの信用問題はこれから

僕の予想だと、このクリスマス商戦の結果が想定以上に悪くでると思う。でもアメリカ人はポジティブなので、それがどうしてやばいかに気づくのは3月ごろじゃないだろうか・・・。そうすると、アメリカにはサブプライムローン以外にも自動車ローンとかやばいのがいっぱいあるので、信用問題が広がるのはここからだと思う。そうなると、さらにドルは魅力が下がるので、売られてしまう。ドルが売られて安くなっていくと、誰もドル建ての投資をしなくなるので、さらにドルが売られて円が買われるかもしれない。ある程度まで進むと中央銀行は金利を上げて海外からの投資を誘致せざるを得なくなってくるんじゃないかな。一方で、金利が上がると、借金するのが難しくなるので、新しい投資も難しくなり、さらに国内経済が冷え込む・・・というサイクルになるのではないだろうか。アメリカ政府は短期的にはお金を投入するぐらいしかすることないわけだが、完全に焼け石ウォーターかと・・・。すでに起こってしまった投資において信用問題が発覚しました、というパターンにおいては、その処理が根本的に進まない限り景気は上向かないと思うよ。

日本のダメージは相対的には少なく、円高は続く

もちろん日本企業も厳しい状況になるが、「相対的には」悪くないと思う。もちろんトヨタみたいな、海外からの利益が上納金として入ってくる輸出につよい製造業なんかは、上納金が円高のせいで目減りするから業績は下がり、国内需要を満たすことによりがんばるしかなくなってくるかも。でも、そこで日本が強いのは、経済の三大要素・・・企業・家計・政府のうち、「家計」の貯蓄額が半端じゃなくでかいから、世界不況になっても購買意欲はそう簡単に劇的には落ちないようになっていることだよね。また、「企業」はサブプライムローン系の投資(CDSを使ったSynthetic CDOみたいなやつ)をあまりしてこなかったから、ヨーロッパみたいにダメージ直撃って感じでもない。「政府」は相変わらず機能してないけど、その他の二つがここにきて強いよね。だから円が高くなってるんだろうな。おかげで、アジアに強みのあるヘッジファンドに入った人は、日本に投資した株の価値が円高で上がって、けっこう調子いいみたい。しかし、アジアに弱いヘッジファンドで、ショート(空売り)ポジションをあまり取っていなかったところは、かなり終わってるっぽい。話がそれたけど。しかし、相対的な話を別にすれば、日本も厳しいし、特に契約社員の人の雇用は当面はあまりなさそうだ。

シリコンバレーの展望

では、シリコンバレーはどうか。シリコンバレーはウォールストリートとはあまりご近所ではないので、投資銀行とかヘッジファンドほど直撃はしていないものの、ハイテク産業というのは景気変動の影響を受けやすいので比較的早い段階でダメージがきている。また、ベンチャー企業はベンチャーキャピタル業界と密接しているため、金融業界のダメージを早い段階で受ける。

  • 大企業や有望ハイテクベンチャーは、他業界より早くレイオフが進む

調子のいい大きな会社でもかなり今後の見通しが悪くなることを想定し、経費を削るのに躍起になっている。Googleも契約社員を1万人解雇し、Facebookもストックオプションの前倒し現金化プランを撤回した。ハイテク産業のレイオフは他の産業より「先取り」しているところもあるので、落ち着くのも早いかもしれない。

  • アーリーステージベンチャーは苦戦するが、Fund raiseは可能

Seed ~ Series A (アーリーステージ) のベンチャーも厳しい。僕のハーバードの同級生たちで、起業準備をしてきた人たちは資金調達が全然できなくて、かなりかわいそう。資金調達ができたところも、Valuationが数ヶ月前より30%~50%下がっているのが相場のようだ。しかし、現在こういう「有望だけど買い叩けるベンチャーのための投資ファンド」がいくつか立ち上がっている(Accelはすでに10億ドルのファンドを立ち上げたし、その他ももうすぐクローズするファンドがあるというウワサをよく聞く)ので、資金調達自体は厳しいながらできるかもしれない。ただし、コスト削減など不景気に強いビジネスモデルが高く評価されそうだ。

  • ブレイクイーブンしていないミドル・レイターステージのベンチャーがつぶれていく

最も厳しいのはSeries B~C (資金調達が2~3回目のステージにある) あたりが必要なベンチャーだ。このあたりのベンチャーに投資するためのキャピタルは特にダメージが大きく枯渇している。このタイミングでたまたまSeries B~CのFund Raisingしようとしているベンチャーは、残念ながら倒産するか、かなりの人数をレイオフして最小構成でビジネスをまわすか、事業自体をかなりの安値で売却するか、Valuationをありえないくらい下げてInternal Round(既存投資家の中から、ここでつぶすよりはちょっと投資しようかなというところを見つける)で追加投資を受けるか、という厳しい選択を迫られている。特にBtoBのビジネスはこの影響がでるのが早く、安定収入源となっていた契約が、契約相手の投資削減圧力のためにどんどん中断・延期されている。こうした中でもFund Raisingできているところは、キャッシュフローが直近でポジティブになるのがかなりかたいところぐらいだ。毎年12月はベンチャーが最も倒産するタイミングだが、今月はすごい数字が出るかもしれない。IPOのマーケットは来年は絶望的なので、今は成長より生き残りを優先するのが基本戦略となるだろう。

  • ベンチャーキャピタルの倒産が続く。向こう2年で50%~70%がつぶれるというのが大方の予想

ベンチャーキャピタルはかなりつぶれそうだ。ベンチャーキャピタルというのは、ベンチャーに投資して、投資先がIPO(株式公開)か売却されることによって、その株を高値で売ってお金をもうける、というビジネスなわけだが、全体としてベンチャーキャピタルに投資するとリターンがマイナスになる見込みなのでLP(ベンチャーキャピタルとか、プライベートエクイティとか、ヘッジファンドとかに出資する「お金の本当の持ち主」)がベンチャーキャピタルに投資したいという意欲が急速に減っている。ここ数ヶ月だけで、(確か)世界最大のLPであるハーバード大学がその資金の少なくとも22%をスッたというニュースがある(この運用してるの、僕の一年生のときのリーダーシップの先生であるかカプラン先生なんだけど・・・彼はどうなるんだぁ!?)が、LPもお金がなくなってしまっているなか、マイナスのリターンの業界に投資するというのは正気の沙汰ではなく、本当に運用成績がよいトップのベンチャーキャピタルにしか投資できなくなる、というわけだ。最近はキャピタルコール(ベンチャーキャピタルが、LPが投資すると約束したお金を振り込んでくれとお願いする行為)にたいして、ごめんやっぱ払えないわ、とって契約破棄するLPが出つつあり、こういうことをされると大きなベンチャーキャピタル以外はかなり窮地に立たされる。こんな状態では、ベンチャーキャピタル産業自体がしぼむのもむりはない。

ベンチャーキャピタルとしても、もはや現状のビジネスモデルでは運営ができなくなる日は近い。ベンチャーキャピタルというのは、いくつかファンドというものを持っていて、そのファンドには寿命があるので新しいファンドを立ち上げ続けない限り、ベンチャーキャピタルからお金は消えていく。さらに、ロックアップピリオド(規定の年数はLPがお金を引き出せないけど、それを過ぎると引き出してもいいし、引き出さなくてもいいというルール)が過ぎたファンドからは一気にお金が引かれていくだろうなあ。お金が引かれると、何が問題なのか?ベンチャーキャピタルというのは、持っているファンドの金額の2%ぐらいを、年間のマネジメントフィーとしてファンドから引き、さらに元の資本に対して投資で増えた分の20%ぐらいをさらにパフォーマンスフィーとして徴収する。しかしこのIPOが冷え込んだ状態ではこのアップサイドの20%に頼れるはずもなく、マネジメントフィーで食いつながないといけないので、ファンドの金額の規模が頼りなのだ。しかし、計算してみよう。10億円の2%が2000万円だ。ここから世界のあちこちをアドバイスして回る経費や、税金、健康保険などを引くことを考えると、シリコンバレーの給与水準では若者一人も雇えない(新卒エンジニアで1,000万円とかいう世界)。そう考えると、アップサイドが見込めなくなったベンチャーキャピタルは、相当な額のファンドがない限り、つぶれるしかないのだ。

  • トップのベンチャーキャピタルは生き残り、よい案件が残される

有力なベンチャーキャピタルはそういうのを知っていて、12月中に新しいファンドをクローズしている。来年になればさらに景気が冷え込み、新たなファンドの立ち上げがメチャクチャ難しくなることを知っているから、今のうちに「来年はベンチャーを安く買い叩けるから、2~3年のスパンでみればかなりの運用成績を出せます!」といって一気に集めているのだ。しかしそういうことができる実力のあるところは数も少ない。あまりに多くのベンチャーキャピタルが、来年にはFundを立ち上げないと・・・と思っており、それに投資できるお金をもったLPが来年にはあまりにも減りそうだ。そうなると、ベンチャーキャピタルは、ファンドの額が目減りしていくなか、じわりじわりと人を解雇せざるを得なくなり、ゆっくりと死んでいく。一方で、ここを乗り切るだけの運用規模がすでにあるところや、年内に新しいファンドを立ち上げられたやりてのところは生き残る。もとから、「よい投資案件はよいベンチャーキャピタルにしかいかない」というのがこの業界の常識だが、今後はもっとその傾向が加速するだろう。

そんなわけで、もとから仕事の流動性が高いシリコンバレーでも、これからしばらくはさらにバタバタしそうです。この変革の時期にここにいられるって、とてもアンラッキーなようだけど、とてもよい成長の機会だと思っています。

こういう厳しい経済状況ではなかなかビジネスが思い通りにいかないので、

  • 自分のスキルアップにフォーカスし将来に備える!
  • 自分が厳しい状況だからこそやさしさを忘れない!
  • 前向きに何でも笑い飛ばす!

と、心がけていこうと思う今日この頃であります。

ちょっと子供も小さいので、今年は年末年始はアメリカでのんびり過ごしまーす。

MBAエッセイのお題

この季節になると、HBS受験者の皆様からアドバイスの依頼が舞い込むようになる。そのたびに、出願書類のエッセイについて聞かれるので、受験していたあのころを思い出す。

受験にはテストの点数の提出とか色々あるが、実際の勝負は小論文。今年のHBSの質問は、こんな感じ。

  1. What are your three most substantial accomplishments
    and why do you view them as such?

    あなたの成し遂げた重大な成果について、3つ述べなさい。また、なぜそれが重大であるのか、述べなさい。

  2. What have you learned
    from a mistake?

    あなたは失敗から何を学びましたか?

  3. Please respond to two of the following

    以下のうちから二つ選んで、答えなさい。

  • What would you
    like the MBA Admissions Board to know about your undergraduate academic
    experience?

    学部生時代の学術的な経験について、何か伝えておきたいことがあれば述べなさい。

  • Discuss how
    you have engaged with a community or organization.

    あなたの、コミュニティーや組織における活動について述べなさい。

  • What area of
    the world are you most curious about and why?

    世界のどの部分にもっとも興味がありますか。なぜですか。

  • What is your
    career vision and why is this choice meaningful to you?

    あなたのキャリアビジョンと、なぜその選択に意義があるのか述べなさい。

質問はシンプルなのだが、もちろんフツーに答えたのでは落ちるわけで、「なるほど」と思わせるような信念を規定の文字数にまとめて提出しなければならない。

どんなに頭がよくても、どこの国の人であっても、ほとんどみんなが何ヶ月もかけて構想を練って望む、受験活動の集大成だ・・・みんな、がんばって!

オフィス犬

出勤したら、オフィスに犬がいる!

どうやらお隣の席のキンバリーのとこの犬みたい。仕事をしているとひざの上に乗って甘えてくる。

お弁当を食べていると目をうるうるさせてこっちを見つめていた。これは、あげないぞ!それにしても、こういうの、アメリカっぽいよなぁ。日本でオフィスに犬をつれてきて放し飼いにするなんて、ありえないけど、犬好きとしてはいい風習ですな。

最近まではウェブサイトを書いていただけど、あとは技術者がコーディングするだけ。ようやくscanRを「売る努力」を始める準備が整いつつある・・・てなわけで、本日は、プロモーションの計画を練っています。

全部一人で考えて決めて実行できるのがベンチャーの醍醐味ですな。広告代理店の皆さんがいろいろと提案書を持ってきてくれているので、レビューしてるところだけど、ビジネスマン向けのモバイルソリューションをモバイルで売った経験があるような代理店もメディアも日本にはほとんどないので、代理店の皆様も苦労されている様子。誰かモバイル向けビジネスソリューションに詳しい人、知らない?相談相手がほしいなぁ。

暑い!そして生後10日

ここんところシリコンバレーは暖かく、最高気温は25~30度ぐらい。夏と同じぐらいの気温と湿度なので暑くはないはずなのだが、なんだか暑く感じる。実際に日向にいると汗が出てくるので暑いのだと思うが、「冬に対する寒さの期待値」とのギャップでより暑いと感じているような気もする。カリフォルニアはすごいなあ。

さて、うちの子も生後10日になりました。顔のはれもなくなって、すっきりした顔になってきました。両目も開き、だんだん目がキョロキョロするようになってきた。

お世話も大変ですが、唯一くれるご褒美が、一日にちょっとだけ見せてくれる笑顔。

ニッコー!生後10日でも、ずいぶんしっかり笑うんだねえ。

今までは、「子供が笑ったぁ?フーン、なんか顔の筋肉を動かしたとき、笑ったように見えるらしいね。」ぐらいにしか思っていなかったが、理由はともあれ笑ってくれるとなかなかうれしーじゃありませんか。

と、いっても、笑ってくれるのはほんのちょっとだけで、後の時間はおなかがすいた~おむつかえろ~など、大音量で泣きたい放題です。

夜空ノムコウ

古賀君のホームページを見ながら、あの古ぼけた校舎でいっしょに大貧民をしたり、昼休みにバスケットをしたり、授業中寝てたりしてた友人達も15年ほど経つと、アメリカのベンチャーで頑張る人もいれば、国内企業で地道に仕事する人、プー太郎を貫く人と見事に色々分かれるものだと、当たり前のことをあらためて感じ入りました。(高校生の友人いけぽん)

最近、小・中・高・オレゴン大学の同級生が、このブログやMixiなどを通じて連絡が取れるようになることがとても多い。

僕たちは今年で33歳になるけど、僕自身は高校生あたりからはほとんど変わってない気がする。僕はあの後もずっと単細胞でやりたいことをわがままにやってきたような気がするので、精神的に成長した気がしないし。タバコ一本すったこともなければ、合コンに行ったこともなく、あの頃のまんまここまで来た気がする。だから、あのときの友達そのままだと思って話しかけるとなんか予想外の反応が返ってきたりして、なんだか僕だけタイムスリップしたような不思議な気持ちになる。ああ、時が経ったんだね、と。それで、途方もない人生の複雑さを目の当たりにして、すっかりお互い知らずにすごした20代の重さに色々と考えさせられる。

あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ、と思い、お、いい曲あるじゃんと「夜空ノムコウ」など聴いてみると、なんだかしんみりしてくる。

しかしまあ、よく考えると「あの頃の未来に僕らは立っているのか」どうかにとらわれていてはいけないよね。どんな状況にせよ、今の未来に僕らが将来立っているか、それが大事。

はじめてのおつかい

寝不足だ。

昨日の夜11時ごろから3時まで、なかなか泣き止まず、ぜんぜん眠れなかった。で、3時からお世話を交代して、朝までちょくちょく起きながらミルクをあげたりオムツを変えたりしてたら、結局朝までほとんど寝ることができなかった。

赤ちゃんの泣き声ってすごいんだね。こりゃあ、無視して眠れるレベルじゃない。「目覚まし時計は目を覚ますために鳴るんだから音が小さかったら意味がない」のと同様に、赤ちゃんは注意を引くために泣いているんだからうるさすぎて親が眠れないように泣くのが仕事なのであろう・・・。

そんなこんなで、パパは一人でおつかいです。

うろうろした挙句、「ベビーグッズはどこですか?」と店員さんに尋ねてようやくそれらしきコーナーに到着。

奥さんの、サクニューキっていうんですか?母乳を吸いだして保管しておくというグッズがあるとかで、まずそれを探す。まだ母乳がでてないのに、もう胸が張って痛いんだって。しかし、見てみると、電動、手動、いろいろある。頼まれたポンプ部分のパーツだけというのはないような・・・。そもそもそんなグッズが存在することすら知らなかったのに、何が違うのかなんてサッパリわからん。一生懸命パッケージを読んで、これかなぁと思うものを購入。

あと、おしりがかぶれてきたから、ソフトなオムツを買ってあげないと・・・。いろんなメーカーがあり、いろんな種類があり、何がちがうのかよくわからず再び立ち往生。1 2 3 4 と数字が書いてあるが、これは何だ?どうやらサイズのことみたい・・・そうか、考えればオムツにサイズがあるのは当たり前だよね。とりあえず「エクストラソフト」とか書いてある種類で一番ちっこいのを買っておく。

あと粉ミルクね。まだ十分に母乳がでるとは限らないから・・・。これまたいろんなメーカーがいろんな種類を出している。鉄分入り、プロテイン入り、DHA入り・・・どれも同じような値段だし、うしろの成分表を見ても何も違わないのだが、追加効果が微妙に違うみたい。とりあえず病院’で出されていた「Good Start」というオチャメな名前のブランドだったらどれでもいいやと思い、25%増量中の種類を適当に買っておく。

それから、病院にもらったおしゃぶりは、口にいれるところが丸いからあごの発達にわるいとかで、噛むところが平たいやつを買う。そんなもんですかねえ。

しかし、まるで勝手がわからない新しい世界がひろがっているなあ。なんだかはじめてランドセルをしょって小学校に行った子供のように、右も左もわからないよ。今までまるまる関係なかったので興味もなかった「ベビー用品」「子供服」といったコーナーが、突然今日になって「あんたパパだろ、これ買いなさい!」と語りかけてきている気がする。

レジで、「パパのお買い物ねー」などと声をかけられると、なんだか自分がすっかり新しい世界に属しているような気分になるよ。でもきっとそのうち、この新しい感覚が当然のものになって何も感じなくなるんだよね。

就職するまでは、人生というのは「子供時代」「学校時代」「就職時代」という3つの世界に分かれているものに見えていた。この中での自分の位置が変わる瞬間が人生の大イベントだと思っていたけど、就職すると世界が「独身時代」「結婚時代」「親子時代」のぜんぜん違う3グループに分かれるんだよね。

このそれぞれの世界では、行動基準や学ばなければならないことがぜんぜんちがい、それがどう違うのかは、違う世界に行くまで実感できないものなんだなあ、としみじみ思うのであった。いやぁ、人生奥が深いね。まだまだこの人生、面白そう!

ようやく退院

本日、Redwood CityのSequoia Hospitalを退院した。夫も泊まれる広い個室、やさしいお医者さんや看護婦さんたち、天丼・牛丼・寿司などの日本食の充実したカフェテリアなど、非常にすばらしい病院だった。日本語は通じないけど、シリコンバレー・ベイエリア周辺で出産を考えている皆様にはお勧めです。

奥さんの血糖値が多少気になるが、とりあえずは母子ともに健康で退院できてとても嬉しい。僕としてもずっと睡眠不足が続いていたので、ようやく退院できてほっとした。

だけど、赤ちゃんがいる以上、家にいれば眠れるなんてことはないんだよね?それでもやっぱり自分の家がいいよね!