鬱病による自殺が減りますように。 (長文)
永田議員が自殺で亡くなったということで、ご冥福をお祈りいたします。
このニュースにも驚いたけど、それより驚きなのはこのニュースに対する人々のコメント。
「あんなことをしたんだから死んで当然だ」
「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」
「死んで責任を取ることなんてなかったのに」
「なんで周りの人は止められなかったんだ」
みたいなのばっかり。
僕は医者ではないし、永田議員がなぜ死んだのかは、彼にしかわからない。でも、こういうコメントを見ると、鬱病による自殺に対する多くの人の理解のなさに残念に思う。もう少しだけ彼のことをわかってあげたら、こういう自殺を減らせるかもしれないと思い、長文になるが僕の見解を残しておこうと思う。
「あんなことをしたんだから死んで当然だ」
ちょっと待てと。そもそも、彼のした事は、そこまで批判するに値しない。理由その1。彼がしたことは、「実力以上のことにチャレンジしたが、失敗した」というだけで、大きく見れば特に若い時は誰にだってある「普通の失敗」だ。経営コンサルタントだった当時は、東京大学を優秀な成績で卒業したピカピカの部下が、ファクトに基づかない捏造感のあるプレゼンを作ってくることなどよくあることだったわけで、エリートだったら大失態をしないなどというのは幻想である。こういう失態を許し、学ばせることで、人を育てるのが組織の仕事だ。理由その2。最も悪いのは部下のレビューを怠った幹部だ。先述のように、失敗事例のある若い部下がファクトに基づかない議論をするリスクがあるのは当然で、こういうことが起こらないように組織的に準備するのが幹部の役割である。また、上司というのは責任が大きいから給料を部下よりもらっているわけであり、何か問題があったときは部下をかばい自分がまず責任を取るのが当然なのに、まず彼を罰しようという姿勢がおかしい。彼のせいで民主党執行部が責任を取らされたのはひどい、という意見があるが、本当に責任があるのだから当然である。理由その3。彼がやったことを批判するならば、彼に投票した人を批判するのが先であり、有権者はできないことをさせてしまった自分を恥じるべきであって、「あんなことをしたんだから死んで当然だ」という人は、投票者があんなことをさせたに等しいことを忘れてはいけない。
というわけで、彼がやった事の責任は大きく見れば組織と有権者にあるのだ。同じ組織と有権者が同じように行動すれば、同じメカニズムで同じような人が現れるのだから。
「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」
彼がアンラッキーだったのは、職業柄、失態が多くの人の目にさらされたということである。僕も、テレビで全国放映されたら穴から出られないような失態があると思うが、経営コンサルタントというのは機密情報の世界なので幸い表に出るようなことはなかった。でも自分の失敗を日本のみんなが知っているという状態で、みんなに批判され続けたら僕はどんなに追い詰められるだろう。永田議員が、受験、就職で挫折したことがないという理由で、「挫折を知らない人は困る」というのは筋違い。受験で失敗した辛さと、日本中に恥が知れ渡る辛さとを天秤にかけられるはずがない。挫折を知っていようと知っていまいと、逃げ場がなくなれば人は極限まで追い込まれるのだ。
多くの人が、逃げ場がないということの恐ろしさを知らないのではないかと思う。特に、日本人は失敗に対する寛容さがなく、連帯意識を重視する結果「正しかったらみんなで批判する」傾向がある。ここで、逃げ場を失わせる最も簡単な方法は、「周囲の人が失敗した人を正論で追い詰める」という事だ。まさに、「人間として弱すぎる、だから挫折を知らない人は困る」、という発言をする人が多いから、人は追い込まれて、死んでいくのだ。
人間というのは、逃げ場がないとストレスで鬱病になるように設計されており、鬱病が進行すると脳の形状が変化し機能も変化し前向きに考える機能を奪われ、ともすれば自殺したくなるように設計されている。あまり知られていないと思うが、これは本人の問題ではなくて誰でも例外なくそうなのだ。人間として弱すぎるなどという人は、人間の精神が強いという勘違いは捨て、周りの環境に恵まれているだけだと気づいたほうがいい。
「死んで責任を取ることなんてなかったのに」
おそらく、彼の遺書には、自責の念、家族に迷惑をかけた侘び、そして死んで社会にお詫びします、という3点が書かれているだろう。鬱病というのはそういう自責の念が容態を悪化させる病気であり、パターンが決まっている。しかし、本当の死の原因は、鬱病がもたらす完全な絶望だと思う。完全な絶望というのは、おそらく僕のような普通の人には(僕が鬱病にならない限り)永遠に想像できない地獄の領域だ。おそらく、ひとつ息をするのも死にたいほど苦しく、朝起きるたびに目覚めたことを絶望し、消えたいと切実に願うのだと思う。こんな状態では、生きていられるのが尊敬に値するレベルの辛さだと思う。
死んで責任を取ることはなかった、そんな事は問題ではない。もう生きていられる程の辛さではなくなったから死ぬしかなかったのだ。そしてこれは、誰でもなりえる恐ろしい鬱病という病気の「正常な症状のひとつ」なのだ。
「なんで周りの人は止められなかったんだ」
鬱病が進行してしまった人の自殺を食い止めるのがどれだけ難しいか、知っているのだろうか?元気付けて気の利いたことをちょっと言えば立ち直るとでも思っているのだろうか?あるいは、自殺しないように両手両足を壁にくくりつけ、舌をかまないように口にボールでもつっこんでおけばいつか治って自殺しなくなるとでも思っているのだろうか?そんなに簡単に対策できる病気だったら誰も鬱病で自殺したりはしない。プロの精神科医と家族が全力でサポートしても、そう簡単に解決しないから、恐ろしい病気なのだ。
それに、自殺が発生した場合には悪いけど死んだ本人よりも残された周りの人をサポートする必要がある。近しい人を失ったという絶望は、周囲の人の心を信じられないぐらい深く傷つけ、そのトラウマが完全に消えることは難しい。にもかかわらず、平然と「なんで止められなかったんだ」などと正論で追い討ちをかける人が多いのも残念。悲しみに打ちひしがれた家族に必要なのは馬鹿でもできる批判ではなく、「あなたはよく彼を支えました、あなた以上に彼を支えられる人はいませんでした」といって抱きしめてくれる人だ。
では、どうすればよかったのか
鬱病になるというのは、完全ではない社会においては、事故というか、ほとんど運によるものなので、こうすれば避けられる、といったものではない。しかし、鬱病は薬やその他の治療法を正しく併用することで治すことが可能(簡単ではないが)な病気であり、しかも早く治療することで治る確率を大きく向上できるのだ。どういうのが鬱病の症状か、といった一般的な事はどこでも調べられるが、僕からの意見は以下である。
もし、あなた自信が自分が過度のストレスを感じていると思ったら、そして特に体調に少しでも変化があったら、鬱病だなと思うよりはるか前に精神科に行き、必要な治療をし、できればカウンセラーを紹介してもらうことだ。カウンセラーというのは単なる相談相手ではなく、精神病の構造と治療法を良く知ったプロの人であり、ストレスマネジメントへのアドバイスをくれる。鬱病というものを知らないと、「ストレスがあるが我慢すればなんとかなる」と思って症状を悪化させ、気づくと回復が難しいほど進行してしまうが、「我慢すると進行する」という事実を知っておいてほしい。進行した場合は、「そうは言っても」という常識を捨てて全力で問題から逃げて、どうか、ゆっくり休んでほしい。
もし、あなたの周りに鬱病の人がいる場合は、こういうことに気をつけてほしい。
- 自分の尺度で余計なアドバイスをしない。例えば「がんばれ」が禁句なのは有名だが、鬱病はがんばりすぎたひとの病気なので、これを言われると「お前はがんばっていない」と言われている気になる。応援しているつもりだろうが、マラソン中に両足を疲労骨折して立てない人に「ゴールはあと100キロ先だからがんばれ!」というのに等しい。しかし、説明されてもなぜそうなのか心にしみこまないなら、結局それ以外の言葉で追い込んでしまう。そういう心の繊細なメカニズムがそもそも理解できないなら、余計なことを一切言わないか、鬱病についてきっちり勉強してから何か言うべきだ。
- 言葉通りに解釈して反論しない。苦しい状況の人はかなりムカつくことを言うし、理不尽な事をするし、批判したくなるようなことをするが、どんなことをしても許してあげなければならない、今だけは。本人も、きっと全てわかっていて、止められないのだから。別の言葉でいえば、鬱病の「症状」と本来の「人格」を混同しない。「本来の彼だったらこんな事は言わないが、鬱病に言わされている」とちゃんと認識しないと、「症状」ではなく「人格」に反論することになるのでよりダメージを深めてしまう。
- 正論を言わず、特別扱いしなければならない。これは特に頭がいい正論が得意な人には難しいかもしれないが、本当に辛い人に、「そんなこと言ったって人生は平等なんだから、お前が強くなってしっかりしろ」というのは間違いだ。たとえば、上司との関係に苦しんでいる人に「社会人なんだからしっかりしろ」といっていいのは、ストレスが限界を超えていない場合だけであって、超えたときは「会社なんていいから、2~3ヶ月、ゆっくり家で休みなさい。他の事は何も考えなくていいから。お金なら、貯金があるからそれを使っていいから。キャリアの成功なんてなくても、あなたさえいればいい」と、言わなければならない。傷ついた人には、回復する十分な時間が必要であり、それまではやさしく、そして全力で守ってあげるのが周りにいる人の役目だ。こういう事情をわからない家族(たとえば無駄に厳しい父親など)が家族で影響が強い場合は鬱病では要注意で、危ない人をできるだけ近づけないように工夫しなければならない。
というのを踏まえたうえで、もし相談を持ちかけられたらどうするか。一般論はわからないし、正しいかどうかも知らないが、ぼくはこうしている。
- 問題を理解する。どういう風にコミュニケーションすべきかわからないならば、まず話をずーっと聞こう。まず、自己は捨て、話を聞くことに集中する。心の壁の向こうで出られなくなっている本当の姿が見えてくるまで、暗闇の中で路頭に迷った瞬間を感じるまで、心の痛みが伝わってくるまで、相手の心をつかむ感触がある瞬間まで、とにかく聞く。言語表現はあまり頼りにならないので聞かず、なぜそういいたい気持ちなのか、を聞く。自己を捨てず「でもさ」とか意見したり、言語にとらわれたりすると、心が穴に引っ込んで出てこなくなるので注意する。本人が問題だと認識していることが本当の問題かどうかはわからないし、言語表現に頼ると心のメカニズムがわからなくなるので、相手の思考回路をそのまま自分にコピーして、ある程度相手の立場で問題を見る必要があるからだ。ただ、自分の心の形を相手の心の形に合わせるとけっこうこっちもしんどくなってくるので、相手の主観に合わせながら、自分自身が闇に引き込まれないように客観的でいる工夫が必要だ。なので、「相手の心」と「自分の心」をごちゃまぜにせず、アタマの中にはっきり認識し完全に関係ない二つの精神として共存させるようにし、自分にはダメージがないようにがんばっている。でも難しいね、これ。ところで、こういうことって文字にするとすごくキモいかも・・・ごめんね。
- 失った自信を取り戻させる。(自信がないと、前向きに考える心の体力が産まれない)
- まず、大抵の場合、自分がどんなに素晴らしい人間なのかを思い出させる必要がある。例えば、本人の素敵なところを大量に指摘し続け、「自分には価値がない」という勘違いがいかに馬鹿げているかを伝える。例えば、「あなたにはいい友達がたくさんいますね。なぜでしょう?あなたは自分がダメだといいますが、そんなダメな人を大切にしているあなたの友達は人を見る能力が欠如しているのですか?彼らに限ってそんなことはないとすると、あなたに魅力があるから、大切にしているのだと思いませんか?あなたが自分が価値がないというのは、間接的に友達をバカだといっているようなものですが、それがあなたの結論ですか?」みたいな形でポジティブに追い込んでいった。「自分に価値がないというのは極端かもしれない」とうすうす気づかせるまでネガティブな思考とは戦わなければならない。本人を否定することなく、欝の悪魔がもたらす理不尽・ネガティブな結論を徹底的に叩き潰す。
- 次に、みんなに必要とされているという現実を思い出させる必要がある。誰だって得意なことがたくさんあるはずなので、欝状態だからと遠慮せず、ぜひお願いするようにしていた(もちろんプレッシャーになるようなことはやめたほうがいいが)。例えば、料理が上手な友達には素直にお料理を作ってとお願いし、時々みんなで遊びに行ってお料理を作ってもらって、いっぱい感謝を伝えるように
していた。「みんなにはあなたが必要」と心から伝わるように。「自分には生きる価値もないし、死んでも誰も悲しまない」と思いいざ死のうと思った瞬間に「そういえば、みんなが自分を必要としている。それに、また料理を作ると約束してしまった・・・」と思い出すように。こんな些細ことで自殺が食い止められるわけがないと思うかもしれないけど必要とされているということは希望なのだと思う。ある日、僕がいつもどおり友達をつれてご飯を作ってもらいに行ったとき、普段は元気に料理していた彼女が、来てくれてありがとうと言って料理中に座り込んで泣き出したことがあった。僕たちは気にせずに笑いながら「何ないてんの?バッカじゃないの?それより料理まだ?」ぐらいの対応をしていたが、彼女はぐしゃぐしゃになりながら、笑い泣きで料理していた。今思うと、必要とされる事が想像以上に心の支えになっていたのではないだろうか。
- 逃げ道を用意する。先ほども書いたように、鬱病の大きな原因は逃げ道がないと本人が絶望していることだ。そして、欝の影響で思考回路が閉鎖的になってくるので、実際に本人では逃げ道を作れない事が多い。もし問題がわかっているのであれば、回復するまでの間徹底的に逃げられる方法を提供する必要がある。問題が会社ならすぐ辞めさせてあげよう。問題が家族ならすぐに連絡先を変えて家族の目の届かないところに逃げ出そう。問題が過去の経験なら、それにまつわる物を思い切って全て捨て、それにまつわる人を全て遮断しよう。問題があなたなら、去ろう。問題が日本社会なら日本から逃げ出そう。「そんなこと言ったって、現実的には・・・」と言いたい気持ちもわかるが、状況によっては手段を選んではいけない。それに、もし結局この選択肢を選ばなかったとしても、「いざとなったら逃げられる状態である」ということが生きる希望につながることをわかってほしい。この逃げ道の準備については、やはり身近な人がやらないと難しく、本人に直接提案しても「無理」というだけで逆効果になるかもしれない。でも友人や同僚でも、協力しあうことで環境づくりに貢献することはできると思う。
モーニング娘。(芸能界)に学ぶ
とはいっても、テレビに出ている人が日本社会の批判にさらされる、というケースはあまり類を見ないので、今回のことで他の事を参考にするのは難しい。
でも、ひとつ、参考になるかもしれない例が思いついた。僕は芸能界にまったくといっていいほど興味がないので、モーニング娘。のメンバーをまったく知らないのだが、一人だけ名前を覚えている。芸能界から追放された、加護亜依さんである。なんでこの人だけ知っているかというと、タバコごとき(だって高校でも多くの同級生が吸っていたでしょ?)で日本社会から批判されて芸能界を追放されたというニュースを見て、「このパターンは、マスコミと、マスコミの記事を見て賛同する日本社会に追い詰められて死ぬな」と思っていたからだ。
でも、驚くことに彼女は死ななかった(やはり自殺未遂はしたようだが)。となると、不思議なのは死ぬと思っていた彼女がどうしてまだ生きているかだ。
ちょっとウェブで調べてみると、彼女がラッキーだったのは、特別扱いしてくれる人がいたことと、逃げ道があったことのようだ。どうも、石本さんとかいうおじさん(恋人)がずっと一緒にいたようで、かつ誰かの手配でニューヨークに留学していたらしい。この人がどんな人かは全然しらないが、死ぬと思っていた彼女が今も生きているということは、理解がある懐の深い人なんではないかと思うし、彼も本当に辛い中がんばって彼女を前向きにできたというだけでかなりの尊敬に値する。彼がいなければ加護さんは本当に死んでいたんじゃないだろうか。それから、(おそらくその彼のおかげで)本当にアメリカに逃げ出せたというのも命を救った。日本社会から批判されているという絶望的な状況において、本当に日本から出て行き、マスコミの目を背けることができたことが、精神を健全な状態に引き戻す大きなチャンスをつかんだのだ。こうしたことは誰でもできることではないので加護さんは運がよかったのだと思うし、環境に恵まれていた。もちろん、このへんは推測にしか過ぎないけれど。
(ちなみに、リストカットを告白したことについて和田アキ子さんが「芸能人としてプロフェッショナリズムに欠ける」と批判していたが、こういう正論でエールを送るというのは勘違いである。いまだに立ち直っていない人が多少へんなことを言うのは当然であり、そういう人を正論で公然と批判するから人が追い込まれるのだ。本当に心配しているなら、こういうアドバイスは、人の耳に入らないところで、そっとやさしくしてあげなければならない。)
ともかく、こういうことをできる恵まれた環境があったら、永田議員も死なずに済んだのかもしれない。特に、死ぬ前に奥さんと離婚し、むしろ特別扱いしてくれる人がどんどんいなくなった事は本当に心を痛めたのだと思う。(でも当然、問題はもっと大きなものであり、「助けるチャンスがあったのに助けられなかったのはお前のせいだ」と奥さんを責めてはいけない。奥さんも絶望と戦っていたのであり、その痛みをわからない人に偉そうなことを言う資格はない。また、家族の自殺が残す心の傷は重い。もうテレビも見られないかもしれないし、政治の話をしただけで死にたくなるかもしれない。これからは、遺族を守ってあげなければならない。)
ただ、同じようなメカニズムで、僕たちは周りの人の命を救えるかもしれない、ということだけは言えると思う。
とまあ、こんなことを長々と書いたのは、僕も助けたかった友人を自殺で失ったから。その人の死を無駄にしないためにも、今後そうやって死に至る人が減るには何が必要と僕が思うかを、せめて他の人にも知っておいてもらうことで、少しでも自殺が減ることを望んでいます。
追伸
この文章は鬱の人向けに書いているわけではないのですが、もし、万が一、あなたが死にたいと思っていてここに来たなら、これだけは信じて欲しいと思います。
病気の症状で忘れているかもしれませんがあなたはあなたが思うよりはるかに素敵な人です。僕には絶対の自信があります。
あなたが辛いのは知っています。でも、それはあなたが運が悪かっただけで、あなたは全然悪くありません。
なのに、あなたが死ななければならないなんて無意味な事は、僕には、絶対に、何があっても、許せないんです。あなたにはいろんな複雑な事情とか理由とかあるかも知れませんが、とにかく僕はそんな理不尽な話は絶対に許さない。あなたが死にたい理由はわかりますが、あなたが死んでいい理由はあなたが1万回説明したって僕には微塵もわからない。
だから、勝手かもしれませんが、僕はとにかくあなたに死なないで欲しいのです。もうちょっとだけでもいいから待って欲しいのです。あなたにはすばらしい価値があるという現実を思い出して欲しいのです。
お願いだから、死なないで下さい。
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