今度は風邪
インフルエンザが治った瞬間に風邪にかかってマジ切れそうです。 インフルエンザは全身症状が多く高熱や全身の痛みが続く。風邪は全身症状はひどくないが、のどの痛みなどの局所的な痛みがきつい。 もうさすがに皆さんのご指導に従って明日の朝病院に行って参ります。。。
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インフルエンザが治った瞬間に風邪にかかってマジ切れそうです。 インフルエンザは全身症状が多く高熱や全身の痛みが続く。風邪は全身症状はひどくないが、のどの痛みなどの局所的な痛みがきつい。 もうさすがに皆さんのご指導に従って明日の朝病院に行って参ります。。。
実は、かれこれもうまる4日もベッドで寝込んでいる。解熱剤を飲む前の熱はずっと38度ぐらい。帰国便のフライトで誰かにうつされたのかなぁ。 体調不良のままベッドの上で仕事してたりするのだが、体中が痛くて集中力が続かない。そろそろ病院にいったほうがいいかも。 しかし、HBSを卒業してからボストンで病院行ったことって無い。いきなりふらっと行ったら診察してくれるの?以前、肌の調子が悪いので皮膚科に行こうとしたら、一番近い予約が3ヵ月半先とか言われたし。インフルエンザごときですぐ会ってもらえるだろうか? 明日近くの病院であるMGHに電話してみよう・・・。 と思って今、MGHのページを見てみたが、「インフルエンザにかかったらどうするか」という解説ページがあるじゃないか!親切・・・と思って読んでみると、「インフルエンザは自宅で治せる」という内容のもの。お勧めの治療法はタイレノール(バファリン的なもの)を飲めと。インフルエンザごときで病院来んな、と言わんばかりで、すごく萎えるんですけど。 アメリカ生活も4年目だが、何でも最初の事に直面すると相変わらず赤ちゃん状態です。 みなさんもインフルエンザには気をつけて!
ベンチャーキャピタルはベンチャー企業に対して資金と経営力を提供することでイノベーションを主導する立場にあるので、僕たちは世界のイノベーションのトレンドにはいつも注意を払っているのだが、日本発のイノベーションという意味では消費者向け(非・産業用)ロボット産業というのは長期的に面白い領域だ。 理由の一つは、日本人の大人は夢見がちで、本気で夢のような研究をしたがるからである。電気自動車のようなロングタームのコンセプトであっても特許は日本が独占している。アニメ産業に従事する人が多いのも近い。 だがそれよりおそらく重要な理由は、日本と欧米におけるロボットに対するイメージの違いである。日本人は子供の頃からロボットが大好きである。ロボットとは、ドラえもんのように僕たちを助けてくれる存在であり、アラレちゃんのようにかわいい存在であり、戦隊もののシメに必ず登場して悪のモンスターを断つ巨大ロボットであり、ガンダムのように人間の為に戦ってくれるもので、そりゃお台場に原寸台ガンダムを作っちゃうよという感じで大人になっても夢の為に投資をし続ける。しかし、欧米を見てみよう。基本的にロボットとは常に人を殺すものだ。ヒーローものに正義のロボットなどほとんど確実にでてこないし、1968年の映画「2001年宇宙の旅」でHAL9000が暴走してから、ロボットは大抵悪役なのである。スターウォーズにせよ、アイロボットにせよ、ターミネーターにせよ、基本的に存在意義は最初から人を殺す事か、または最初は味方でもAIが暴走して裏切るというのがお決まりのパターンである。 こういう価値観の違いの中で育った子供が大人になったときに、パパやママが二足歩行のロボットの研究開発をやっているとしたら、まわりの評価はどうだろうか?日本では、「かっこいい!夢がある!」だろう。僕も経営コンサルタントとしてバンダイロボット研究所のリアルドリーム・ドラえもんプロジェクトの方と、無線技術を使ったドラえもんの情報処理システムについて意見交換しにいったことがあるが、優秀な研究者たちが大真面目でドラえもんを作ろうとしている事だけは間違いない。しかし、欧米でロボットを作っているなどといおうものなら「人殺しの兵器を作っているに違いない」と周囲の人はたぶんドン引きだろう。とても夢があるなんてほめてもらえない。 そうなると、イノベーションのパターンに変化が生じる。日本はエンターテインメントロボットなど多用途の領域でイノベーションが発生するだろう。一方、欧米は軍事主導でイノベーションが発生する。 日本では、アイボのような商品がいちはやく市場投入された。しかし、完成度は大した事はない。ハーバードでアイボの開発に関わった教授によれば、アイボが犬型なのは、センサーや情報処理能力がまだ不完全だからである。人間型のロボットが人間の問いかけに対して正しい反応をできないと許されないが、犬だったらセンサーが情報を正しく拾えなくても、あるいは音声や近く情報の処理を間違えて反応しても許されてる。実際の犬もそうだから、ユーザーは「アラーアイボちゃん今日はゴキゲンわるいのかしら?」と思ってむしろプラスに捕らえられるのである。このように巧みな心理戦を駆使して、日本は多用途のロボットの可能性を模索している。一方、アメリカのiRobot社による自動掃除機ロボット「ルンバ」も同様にヒットしている。なかなか便利でカワイイやつだということで人気だが、良く見てみるとiRobot社は軍事ロボットの開発メーカーである。基本的に人殺しである戦争を補助する技術を転用しているので、アイボとのルーツは全く違う。同じロボット技術のイノベーションでも、思想が根底からちがうのは、こうした文化的背景からではないだろうか。 僕たちのような投資家から見た視点では、日本のロボット技術には欧米のロボット技術のように用途に具体性がない研究開発が多く、ビジネスとしてのリターンを短期的に追及できる技術はまだ少ない。例えば2速歩行で歩かせることにほとんど何の価値も無いが、日本企業はひたすら歩かせる技術に苦心しているなど、研究開発組織の自己満足的投資も多い。しかし、長期的にはこうした日本人の「人を殺さない平和なロボットの開発」への熱意は、いつか欧米人には実現できない、夢のような領域でのイノベーションを起こしてくれるのではないか、と期待しているので、今後も注視していきたい。 ロボット開発されているみなさん、応援しています! P.S. なぜ欧米人はそんなにロボットにビビっているのかは良くわからない。宗教観かもしれないし、性悪説かもしれないし、自分を重ね合わせられない存在(非・人間)をヒーローとして捕らえたがらないヒロイズムの問題かもしれない。なぜ日本人はそんなにロボット大好きなのかもわからない。アニメ産業の影響はやっぱり強いと思うけれども。何なんでしょうね。
先月は前半がテキサス、後半が日本ということであちこち飛び回っており、ほとんどボストンにおらず日記書いてる場合じゃなかったのですが、今はボストンに戻ってきています。 日本にはAnnual Meeting(年次総会)を行うため、うちの会社の人たちや投資先の経営者たちと一緒に行きました。パートナーのJonathan(アカマイのファウンダー)がレストランでの熱さに苦しむアワビや築地の朝市のマグロのせりなどを見ては動画をBlackberry(携帯電話みたいなもの)でアップロードしまくってた。築地の朝市は、Zipcar CEOのScott(→初来日)が「俺は友達に日本でひとつだけ観光するなら築地の朝市に行けと言われたんだ!」と主張するので朝5時に連れてったさ・・・。 ちなみに夜に飲み屋でScottに馬刺を出したら、「馬を食べたなんて子供たちに言えないよ!」と激しく抵抗したのでみんなでねじ伏せて食わせた。Zipcar Executive VPのJonにも食わせ、「おいしい?」って聞いたら、「しょうがとにんにくとしょうゆの味がする」とタレの味を答えてごまかすという政治的な反応をしていた。チッ。 なお、一応仕事もしています。弊社は日本においてちゃんとした(?)年次報告会を行う唯一のアメリカのベンチャーキャピタルで、毎年数百人のリミテッドパートナー(弊社への投資家)・ベンチャーキャピタル・起業家・経営者・戦略パートナーの皆様にお越し頂き、ファンドのパフォーマンスや米国のITトレンドに関するプレゼンを行っています。ちなみに僕がプレゼンした後に、たくさんお声をかけて頂きました・・・「愛の日記読んでます!」と。ちなみにそういったご丁寧な皆様にはっきりと申し上げたいと思います。いいからそういう事を律儀に言わなくて。恥ずかしいから。 なお、今回のAnnual Meetingでは僕が担当しているZipcarの経営者にも日本にきてもらってプレゼンしてもらった事もあり、せっかくなのでCEOらと一緒に色々と日本の会社を訪問しました。そんな中でお会いした上場企業の社長さんとかにまで「ブログ読みました」とかご丁寧に言われておりますが、もうだけ一度申し上げます。いいからそういう事を律儀に言わなくて。 というわけで、日本でお会いした皆様、お世話になりました。 とかいいつつ、出張なんて話よりもアレですよ。ウチのひとり息子のちぇん太がついに昨日で1 year oldになったわけですよ!さあみんな、遠慮なく検索していいんだぞ、「愛の日記 ちぇん太 おめでとう」と!!! しかし息子よ、お前にチーズケーキはまだ早い・・・。パパがもらってやるからな。
先日サーバーを引っ越すにあたって、ブログを一時的に閉鎖したのだが、実はブログを閉じようと思っていた・・・今後も書き続けますけど。 そもそも、このブログはもともと僕のことを直接知っている友達向けに書いてきた。僕の事を知らない人がくるはずがないと思って、普通に個人情報流しまくりであったのだが、最近は僕が直接知らない人のほうがアクセスが多くなった。 全然知らない人が多くなってから、プライベートなことをあまりかけなくなってしまった。「(息子の名前)を返して!」とか検索してくる人もいるし、文章を2ちゃんねるに貼り付ける人もいるし・・・もちろん、悪気はないんだと思うけど、友達じゃない人がアクセスするって全然違うんだなーと思うようになって、そもそも友達向けの現状報告用のブログが現状報告に使えないなら閉鎖しようかなぁ、と考えたわけです。 でも、閉鎖してからも毎日1000人ぐらいのアクセスがあった。誰がなぜ僕の日常のブログなど見に来るのか僕にはよくわからないが、なんだかきてくれる人にも悪いなぁ・・・と思って、今のところはとりあえず戻してみたが、大半の日記は消してしまった。 今後はプライベートには触れずに、差し支えない内容でも書こうかなぁ。アクセスしていただいている皆様には、何が求められておるのであろうか・・・??? まーそんな苦悩含めて迷走しながらも、これからも書き続けてみようと思います。 がんばりまーす。
このあいだの夏に日本に帰って小学校時代からの親友の結婚式に出たのだが、昨日そのときの写真が届いた。いい写真だった。披露宴は基本的に家族のみで行われたが、新郎側の友人としては僕だけ参加させて頂いた。あと、先日のうつ病に関する日記へのアクセスが増え、数千人に読んでもらったようだ。 鬱病の話と、結婚の話はつながっているから、最近うーんと感慨深くなります。てなわけで、今回はそのときのお話どす。 話は、2004年までさかのぼる。 2004年の夏、僕は、MBA受験勉強のために、3ヶ月休職を取った。毎日タクシー帰りが当然であるコンサルティング会社の忙しさの中で勉強するのはとても難しかったからだ。 休職を取ってから、親友の奥さんからよく電話がくるようになっていた。二人は新婚ほやほやなのだが、結婚してから奥さんの神経痛とうつ症状が悪化し、ほとんど家も出られず、食事もできず、かわいそうにどんどん細くなっていた。詳細は省くが、とにかく幸せな新婚生活とはかけ離れた、悲惨な状況に見えた。 彼女は自分の命を守るために、限界の中で必死に戦っていた。 彼女には、親友が仕事でいない朝から夕方までの孤独がとても不安だったようで、僕が休職して働いていないという事を知ってから、毎日のように僕に電話をし、いろいろな相談を持ちかけてきていた。僕はいつも、うんうんと聞いていただけだった。 彼女の神経痛はひどく、毎日のように痛みで親友の名前を叫びながらのた打ち回っていた。神経痛というのは実際に体のどこかが悪いというよりも神経の問題なので治療が難しいようだった。あまりにひどい状態になると救急車になるのだが、救急車で運ばれると誰かが迎えにいかなければならないので、基本的に僕が一緒に救急車にのるようにしていた。 彼女の発作が近くなると、彼女はお願いだから誰かにそばにいて欲しいといって僕を呼び出すようになっていた。僕も、親友の精神的負担を軽くしたかったし、彼女が本当に限界の中で戦っていたのを知っていたので、呼ばれれば親友の家に行き、苦しむ彼女の隣で、どうせ集中もできないのに、彼女の気休めのために勉強しているふりを続けていた。 言い訳っぽいが、毎日のようにこういう状態で勉強に集中するのはとても難しく、受験勉強はあまり進まなかった。彼女の命が危険なのは知っていたので、僕にはどうしようもなかった。結果が出ることもなく、休職は終わり、その年はほとんど願書も出さずに終わってしまった。受験は失敗し、僕は仕事に戻った。がっかりした。そして、いつもどおりの仕事の日々に戻った。 翌年、2005年の秋、僕は再び休職を取り、今度こそはと勉強をがんばった。彼女の調子もある程度落ち着いたようだということもあるし、今回が最後だと思っていたのもあって、僕は休職している事実は彼女に告げぬままに受験に集中した。 年末年始はMBAの願書の締め切りがいっせいにやってくる。最重要となる小論文作成の山場なので、ものすごい集中力が必要な作業が続いたが、お正月も休まず出願作業を続け、1月頭には、予定通りの学校に出願を完了することができた。ここ何年も週末もなく受験勉強と出願準備をしてきたので、無事に全ての出願が終わり、ついに自分の時間というものを持てる日が来たと思って、僕は本当に嬉しかった。全ての出願が終わって一週間後、有頂天の僕のところに親友から電話が来た。 彼女が自殺したと。 今まで弱音ひとつはかなかった親友もそのときばかりは泣き崩れた。「ねえ、どうすればいいの?もう、あいつは帰ってこないんだよ?」と問いかけかれた僕は、オフィスで電話をもって呆然と立ち尽くすだけで、気の利いたことのひとつも出てこなかった。電話の向こうで「どうしたらいいのか」と何度も聞いていた気がするが、もう何を言っているのかもわからなかった。 携帯には、つい先日、30歳の誕生日に彼女がくれたメールが残ってる。 「はっぴばぁすでい!!最近ご無沙汰だけど元気?私思うに30代は、これからの生き様を問われると思う…。大切に日々を過ごしてね♪」 時が止まっている中、葬儀の準備だけは耐えられないような速度で進んだ。 通夜で美しく化粧された彼女の顔を見てはじめて、ああ、もう帰ってこないんだね、と実感したら涙が止まらなかった。僕がもしMBAの受験などせずに、もっと話を聞いていあげていたら。せめて、休職していることを隠すなんてひどいことをしなければ、君を救えたのではないかと。 でも今となっては、楽になったね、ゆっくり休んで欲しいと、言うしかなかった。 君のいなくなった世界が始まり、当たり前のような毎日が繰り返されるようになった。 僕は間違っていたのだろうか? どうすればよかったのだろうか? 自分に聞いてみるが、答えはなかったし、ほら穴に向かって叫ぶように、闇に吸い込まれていくみたい。きっと答えなど誰も永遠にくれないんだという気がするだけだった。 結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。 でも、シンプルに考えると、君とは、君が生まれた世界と、君が生まれなかった世界の差なのだろうと思うようになった。あたりまえといえば、あたりまえなのだろうけど。 そう考えると、僕にできる唯一のことは、その差を大切にすること。例えば、僕が岐路に立ったとき、「君なら何というか」を心のどこかで影響させつづけることで、君が生きていたことによる「差」を大事にしていこうと思う。 その差のひとつが、君が教えてくれた鬱病のつらさや鬱病に関する考え方。こういうことに関して僕がコメントすることで「救われた」というコメントを書いてくれる人がいるのは君の命の重みだと思う。 もうひとつの差は、君がいつも願っていたように、僕の親友が幸せになるようにすること。 アメリカに行ってしまった僕にはあまり彼のためにできることがないんだが、彼は僕の大学の同級生とひそかに付き合い始めた。僕の地元では、僕の小学校、中学校、高校、大学の友達が一緒に遊んでいるのでそれがきっかけだった。絶望に打ちひしがれた親友を必死にケアするその女の子は、皮肉にも亡くなった奥さんと同じ名前だった。僕がその子に、「もしあいつが単に君に逃げているだけだとしたら、君はどうするんだい?」と聞いたら、「私はこのまま捨てられてもいいから、助けてあげたい」と言った。しかし、なくなった奥さんや新しい彼女の両方と昔から仲がよかった小・中・高の地元の友達は二人の交際に大きく心を痛めた。前の奥さんを失って時間が経っていないのに交際するなんて軽率だとか、自殺した前の奥さんと同じ名前の人と交際だなんてかわいそうすぎるとか、色々いって大きくもめた。そんな中、つらいことがたくさんあるだろうに支えあう二人は、今年の夏に結婚することになった。 結局昔から慣れ親しんだ友人たちは、誰も彼の結婚式には出ないことになったが、僕は、あいつの幸せをいつも願っていた前の奥さんだったら、100%「祝ってきてあげて」と僕に命令するのがわかりきっていたので、迷わずボストンから出ることにした。それが、「差」だと思うから。 小さな、よい結婚式だった。 人間などどうせみんな死ぬし、生きる価値なんて何があるのか、といったらそれまでだけど、人生の価値が人が生まれた世界と生まれなかった世界の差だと思うと、人はいろいろなところで大きな差を生み出して生きているのに気づく。 僕という存在ひとつとっても、生まれたこと自体が親が生み出した差だ。僕という人格も、起業家精神あふれる父と、我慢強い母と、ほがらかで責任感のつよい兄と、ユーモア大好きの姉を足して割ったらこんなふうになるという、みんなが生み出した差の集合体だ。 人と関わっている生きている以上、早く死のうと遅く死のうと世界に差を生み出し続けているわけで、僕たちが話す言葉や、伝える思いは必ず他の人や次の世代に残るもので、必ず意味も価値もあるものだと思う。 君はあまりにも早く人生を閉じてしまったし僕は君を助けてあげられなかったよ。だから、僕は君が生きていたことが消えてしまわないように、ちゃんと世界に差を生み出すように、君が教えてくれたことを何かにつなげて行きたいと思う。 てなわけで、今日はその友達の家に結婚式のときに撮ったビデオを届けてきマース。うーん、とても楽しそうなビデオに仕上がっておりますぞ!
ついに僕本体だけでなく、ブログのサーバーも引越しをすることになった。RSS/Atomがうざいことになっている皆様、本当にすみません。 いやー面倒くさかった・・・。前回言及した鬱病に関するエントリーにアクセスが集中し、サーバーのログファイルが大きくなって容量を超えてしまったのだ。移行プログラムを書いたりしている間に時間がたってしまった・・・。(自分のサーバーだと面倒な面もあるけど何でも好きにできるのですよ。怪しげな検索ワードを残したり変なコメントした人はアクセス禁止しているし、いざとなったら個人特定できるけど、外部のサービスを使うとそういうことができない、と思う) しかし鼻から牛乳が出るぐらいに404エラーログが出ている。ごめんなさい。 ついでにデザインも変更しました。CSS久々に書いたけどあまりテストしてないので、もしバグがあったら教えてね。
もう10月になってしまった・・・早いものだなあ。 そんなわけで、今回も心優しい俺様がどうしようもない皆様をいじる検索ワードのお時間です。しつこいですが、「皆さんがどういう検索ワードでこのページにたどり着いたか」を発表いたします。ただし、この検索ワードの発表に掲載される事を目指して検索しているバカがいるという事実があるので注意が必要です。これはどういう心理なんでしょうね・・・コメントするほどの努力は僕に割けないがいじりたいのはいじりたい、という思いやりなのかもしれません。 さて、本題に入りましょう。 検索ワードランキング 愛の日記 →◎定番。 古賀洋吉 →◎よくフルネームを覚えてますよね・・・。 Zipcar →◎日本にないサービスなので掲載されているサイトが少ないのだろう。 寿屋 ボストン →◎時事ネタ。ボストン唯一の日系スーパーがもうない事を調べている人が多い。 ココイチ バイト →◎なぜこれが今回上がっているのかは不明・・・。 アメリカ 就職 →◎先日の手に汗握るアメリカ就職シリーズの影響か。 Globespan →◎うちの会社名。 古賀洋吉 でぶ →◎だからもう痩せたっつってんだろ! 検索ワードで会話しようとする人系 古賀洋吉 検索ワード 気にするな →◎じゃあ お前らも 検索 するな 愛の日記 馬鹿 →◎もう少しレベルの高い文句をつけるがいい。 古賀洋吉 おっぱい →◎いったい、これはどういうこと? 古賀洋吉 エロ画像 →◎待てっ!!!そこまでだっ! 洋吉 うんこ →◎ 今月からは 「古賀」を抜いて戴いたようでお気遣いありがとうございます。 古賀洋吉 検索ワードに負けないでください →◎ 優しい心遣いをありがとう・・・うんことかでぶとか言われてるからね・・・で、あんた誰? 明治大学の罵倒 落ちこぼれの学歴論シリーズに対するヒット。 明治大学ってバカ→◎はいすみません。 明治大学 バカ→◎はいすみません。 […]
ようやくアメリカのカーシェアリングサービスであるZipcarのiPhone Appがリリースされました。(実はiPhone Appの開発は先日終わっておりAppleには提出済みだったのですが、Appleからの承認というのはいつ来るかはわからないのですよ・・・。) アメリカ在住の皆さんはぜひお試しください。ちなみにZipcarの紹介はこちら。 Zipcarの戦略についてはこちら。 Zipcar Appをダウンロードしたら、アイコンをクリック。 歩いてすぐのところにZipcarがいっぱいありますねー。どのあたりのZipcarを借りるのか決めましょう。 使いたい時間を30分単位で指定します。 どの車がいいか、選びましょう。ガソリン代・保険代込みで一時間7ドル~13ドルぐらいが相場。 はい予約完了! アカウントに登録されたクレジットカードから引き落とされます。Google Mapの地図を使って車のところまで歩いていきましょう。 Zipcar発見。 車が見つからなかったら、クラクションを鳴らして探せます。ドアの鍵はiPhoneであけます。 ちなみにガソリンがなくなったら、車内においてあるクレジットカードを使ってガソリンスタンドで支払うだけなので、自分で立て替える必要はありません。 予約の変更・延長はもちろんiPhoneで。 参考までに・・・これはZipcarのサービスではないのですが、iPhoneをカーナビにすればiPhoneひとつで全て事が足ります。 リース代、駐車場代、メンテナンス代、ガソリン代、保険代を1時間あたりに換算すると、多くの家庭では車を買うよりカーシェアリングを使ったほうが安くつきますから、これだけ便利になってくると、今後も車を買う人は減りそうですね。 というわけで、ぜひZipcarのiPhone Appを使ってみてください!
たまたまスーパーの裏に小道があったので散歩してみたよ。 またもやiPhoneで写真を撮ってみた。けっこうきれいに撮れるね。 気に入ったので、ブログのトップに入れてみた。なんかマジで「愛の日記」っぽくてキモい? アメリカのなすはちぇん太よりでかい。 夜はGlobespanのチケットで、NHL(ホッケーリーグ)の試合を見に行ったんだけど、ホッケーってすごいね。乱闘になっても止めないっていうルールがあるなんて知らなかった。ボコボコ殴りあいが始まったら、お客さんは総立ちで大喜びだし、会場の巨大スクリーンはケンカを煽っていた。ケンカが大事なパフォーマンスの一つだとは、いやー勉強になりました。