山田町を出発
朝起きると、友人はまだ僕の横ですうすうと寝ていた。
ご両親は僕の為に朝早くから起きていてくれた。昨晩おばさんが、朝ご飯のメニューはなにがいいですかと僕に聞いてきたそのままの食事が出た。卵入り味噌汁は始めてだったね。食べ終わり家を出る時、お年玉ですとおばさんに5000円頂いた。お断りしたんだけど、結局頂いてしまった。うーん・・・おせわになりまくっておいてお金までもらってしまうとは・・・。おじさんは車のエアコンをあらかじめつけておいてくれたらしく、入った車の中は暖かかった。電車が到着しておじさんと別れた。
本当に世話になった友人の両親とも今日でお別れだとおもうと、とても残念だった。
さようなら、宮崎。そして、駅でたまたまあったおじさんの知り合いの男性と話しながら無人駅をあとにした。その人は宮崎には見る所があるのに行かなかったのかいといったが、僕は宮崎の、また田舎町というものの雰囲気を味わえたので十二分に満足であったし、なにより人情というものに触れる事が出来たのでよかったのだ。
鹿児島、熊本
乗り換えの為に鹿児島県の吉松で電車を降りた。ここで一時間待つ事になっていたが、電車が遅れていてさらに1時間待つ事になった。
ぼんやりと吉松を 歩き回るが、特に何も無い。駅に戻ると、電車を待つ人々が待合室で座っていた。そこで男の子を連れたおばあさんとしばらく話しているうちに電車がやっとこ来た。どうやらおばあさんは見送りで、この男の子は一人で熊本に帰るらしい。おばあさんは、孫をよろしくと、小学校6年の眼鏡の少年を僕に預けた。
僕と少年は熊本行きの電車に乗り込んだ。少年にもらったガムを噛みながら話をした。その少年は、元旦から吉松のおばあさんのところへ行っていて、一人で帰る所だという。しっかりした子だ、偉い。彼が少し人見知りする所があるせいか、または僕が眠かったせいか、あまり面白い話をしてやれなくて申し訳無かった。
佐賀、福岡と古賀町
そして熊本から博多行きの特急にもぐりこんだ。特急は混んでいたが、チェックされないので丁度いい。フフ・・・
博多で当然ラーメンを食って、古賀という町に向かう。
古賀は僕の名字なので一度は行っておきたかった。古賀につくと、至る所に 「古賀」の文字があり、とても興奮した。「古賀」のついた面白い看板があふれかえっている。楽しい写真がいっぱいとれた。古賀商店街で商品を買うと「こがしーる」なるものがもらえて、あつめるとなにかもらえるらしい。古賀町役場のお姉さんに古賀グッズをもらった。「すみません・・・ぼく、古賀っていうんですけど、せっかく古賀まできたので何かください」といったらあきれていた。
小倉から?
そして小倉についた。小倉はずっと勝手に「おぐら」だと思っていたが、「こくら」だった・・・←かなり無知。
このまま本州に戻るか、また南の大分方面に向かってフェリーで四国に渡るか、どうしようか迷った。このまま本州に行けば順調に帰る事が出来るが、 四国もみたい。しかし同じ所を時間をかけて2通る上に、フェリーの最終便が終わってしまっているかも知れないのに南に行くのは危険である。
しかし、危険かどうかなどけっこうどうでもいいんじゃない?それにフェリーに乗りたぁい♪という無計画な衝動と四国への興味から既に南に向かっていた。
大分
もしフェリーが出ていなかったら、どうしよう?まあ、別府の人の家にいって泊めてくれと図々しく言おうかなと思った。
特急に乗った方が かなり効率良く南下出来るので、特急に乗り込んだ。お金もなく特急券が買えないので寝たふりをしていたが、添乗員が「お客さん切符拝見しましたか?」と聞いてきた。 何だか良くわからないが「はい」と答えると「そうですか」と去っていった。あっはっはっは!ヒャッホー!
もうすぐ別府だという時に、いきなりアイスと鳥龍茶がテーブルに届けられた。隣にいたおばさんが突然おごってくれたのだ。
お礼を言い、いろいろ話した。その人は今から自宅に帰る所らしい。このおばさんとの時間は、短いながらとても楽しかった。 自分の可能性や物事の考え方、家族と自分、これから先の生き方など、様々な事を話した。
「宛の無い旅に出るなんて両親も良く許してくれたわね。 余程貴方の事を信用していらっしゃるのよ。」とおっしゃったので、うーん・・・どうなんでしょう、そうかも知れませんと答えた。(実際は僕が出る時、理由も 聞かずにああそうなのといった様子で、後で聞いたが親父に至っては僕が居ないことを暫く気付かなかったらしい。)
それはともかく、おばさんは、僕がフェリーで四国を目指すこと、またフェリーがまだ運航しているかどうかすら解っていないことなどを聞くと、すぐに自宅に電話し、フェリーの時刻を確認してくれた。
そして、別府からより 臼杵から乗った方が良いとか、特急券が無いなら大分で降りて普通に乗り換えした方が目立たなくて良いとか、色々と教えてくれて、すっかり甘えてしまった。
ところで、僕に話し掛けてくるのは、ほとんどがおばさんである。おじさんや、若い女性から話し掛けてくることは全くない。若い女性が急に話し掛けるということは一種の軽薄さともとれるニュアンスがあるからかな、などと思っていたら、南に向かう列車にの中で若い、といっても年上だろう女性が話しかけてきた。大分県警に勤めているらしいけど、就職難で大変だったと言って笑った。
「今朝代議員をしている僕の叔父が、羽田空港で襲われたという事件をニュースで見たが、それ以上の情報は持っていないのですがどうなりましたか」とたずねると、鼻を怪我したけど大丈夫だよと教えてくれた。
お姉さんは、大分は良い所だよと誇らしげに語ってくれた。東京はどうだろう? 僕の唯ひとつの故郷。僕は世界でも有数の大都市に生まれたけれど、物質的豊かさは別として良い所だよと胸を張って言えるだろうか。 僕の友人によると「東京は住む所ではない」らしい。然し僕にとって、僕の住む新宿区は紛れも無く住む所だ。それは僕にとって幸せなのだろうか?別に不満はないんだけど、なぜか新宿は良いところですというのははばかられるなあ。
「じゃあ気を付けてね」と手を振りながら彼女は電車を降りていった。
臼杵とフェリー
臼杵で電車を降りて、フェリー乗り場に向かう。外は真っ暗で、不安なほどに静まり返っている。
自分のいる場所も、フェリー乗り場の場所も良くわからないので駅のそばのコンビニで聞いてみた。一応道順はわかったが、結構遠いんじゃないかな。
コンビニを出ると、黒いジャケットのお兄さんが笑顔で「フェリー 乗り場に行くの?だったら連れてってあげようか?」と言って来た。お言葉に甘えて行こうとすると、なんと車だ!ラッキー。
明るく元気で易しいそのお兄さんと車の中で話していると、あっという間にフェリー乗り場についた。ありがとう、お兄さん!
いいなあ、いいひとがいっぱいいるぞ、世の中!
フェリーは、23:55発だ。八幡浜には1:50につくらしい。ひとまずフェリーに乗る。それは思いの他大きなフェリーであった。
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