Twitterをやっております。 Twitterのアイコン(顔写真)をフザケたやつから、マジメなやつに変えてみた。それに合わせて、真面目なふりをするために、マジメなつぶやきを100回してみた。 ネタはブログが中心なので、このブログを読み込んでいる人によってはほとんど新しいものがないかもしれません。(笑) Twitterやっていない人も多いでしょうから、ここにも書いておきます。 日本社会や企業に不満や憎しみがあるのは依存の裏返しだと思う。自立すれば、国籍はお金で買うその辺の有料サービスの一つ、会社は自分の時間を買いたがっている一顧客というレベルに近づき、目くじら立てて語るほどのものではなくなる気がする。 日本政府や日本企業に依存しなくなるにつれ、日本社会の将来への不安や日本の労働環境の悪さが気にならなくなった。嫌なら帰らなければいいし、それでも日本がいいなら帰ればいいので、個人レベルでは「細かい話」になりつつある。 なんか必要以上に国や会社にネガティブな意見が多いけど、誰かに何かしてもらうのを諦めれば、人生そんなに捨てたもんじゃないと思うな。 田舎から東京に出ても「裏切り者」「逃げた」と言わないのに東京から海外に出るとそう言い出す人がいるけどなぜなのだろう?生まれ育った村が過疎化して廃墟になっていくなんて事が起こり続けている日本で、なぜ電車が飛行機になった程度でオオゴトにするのかよくわからない。 誰かを責めると自分が間違ってない気がしてそのときは気分が良くなるかもしれないけど、最終的には「自分が何をするか」しか関係ないんだろうなって思う。 海外に出た人は日本を捨てたと日本にいる人には言われるが、僕が知る限り海外にいる人は日本の事を真剣に考えている人ばかり。地理的には日本にいながら、心では日本を捨てている人のほうが圧倒的に多いと思う。 首相がバカだとグチグチ責めても、日本を出て行った人を逃げたと責めても、何の役にも立たないどころか憎しみを日本に生み出すだけ。それより、自分ができることを黙ってコツコツやろう。 海外に出ただけで日本を捨てたと決め付ける人こそ、日本にいるだけで「自分は逃げずに貢献した」と思考停止しないようにしなければ、何も変えられないよ。個人レベルで「日本のために何かする」って本当に難しいのに、人ばかり批判するのは良くない。 海外に出る人を「挑戦している」ととらえるか「逃げた」ととらえるかでその人の限界が見える。いつの時代も、環境の変化合わせて行動を変化させる人がいる。一方、変化を恐れ、色々な理由で努力する人を見下し現状の自己肯定する人がいる。そして、変化を生み出せるのは、変化を模索する人だけ。 日本とは何か、日本人とは何かを理解する唯一の方法は、それ以外のものを理解することだろう。そして自分を含めた大多数の人は、日本を出るまで自分が日本人である意味を知らなかったと思う。 海外に出て、いろいろな国を理解し、本質的な比較をできた時に、はじめて日本の輪郭が見えてくる。「日本とは何か」「日本人とは何か」というのは、「差」の話しかしていないからだ。 どんな国の人だって、恋に悩んで涙を流し、両親と喧嘩し、子供のことを心配し、日本人と同じような心で生きている。表現方法が違う彼らの気持ちを共有できるようになった時に、僕は日本人の気持ちというのが少しだけわかるようになり、日本人が好きになった。 シンガポールと日米の「違うところ」を書いたけど、シンガポールと日本が「似ている」のは成功するための方法が学歴や成績などに依存していることだ。こういう環境では「幸せとは何か」を自分で考える力が失われる。自分の人生に無責任になると、思い通りに与えられない事に不満をもつ人が増える。 どの国にいたって、国や会社が自分の事を幸せにしてくれると考えるのは危険だと思うよ。現在の日本ですらすごい不満ならほぼすべての国に対して不満だと思う。 将来の日本に対して不満なら、不満になったときに出て行けばいい。 どの国かに関わらず、子供には国籍は2つ以上あげたいと思っている。親の仕事は子供の幸せを決めることではなく幸せの選択肢を与えること。子供が地球上でナニ人であるのかは僕ではなく本人に決めさせたい。 好き嫌いがはっきりしている人は、好きなことをやらないでいると不幸だから、残念ながら好きなことをやらざるを得ない。何のこだわりもなく、いつも平穏な人のほうが幸せなのかもしれない。 言語は勉強科目ではなく脳の機能なので、いくら本で勉強しても日常的に使わなければ脳が英語を言語であると認識することはない。 モラルというのは失うものの量で決まる。凶悪犯罪者は「悪である」というよりも失うものがない。 首相を批判してもしょうがない。首相を育てる「仕組み」が変わらない以上、仕組み上の「要素」である単体の個人を批判しても本人のやる気を奪うだけだと思う。その人がやめても、同じことが繰り返されるだけなのだから。 小沢一郎さんが、新人政治家の最初の説明会で「君たちの最初の仕事は次の選挙に当選することだ」といっていた。政治家というのは、「仕事が本来及ぼすべき影響範囲」(世界・国)と、「実際の日々の行動が及ぼそうとしている影響範囲」(個人)の誤差がもっとも大きい職業なのかもしれない。 空気の読めないバカがいないとイノベーションはおきない。 エンタープライズ・マーケティングはロジカルに考えればできるが、コンシューマー・マーケティングにはロジックもへったくれもない。合理的に考えない大多数の人の行動原理に論理的な解を出そうと努力するのがそもそも無理である。そんな難しい話よりオシャレでカッコよくてクールなほうがいい。 エンタープライズ・マーケティング用のプレゼンの背景は、印刷時のために白でなければならない。コンシューマー・マーケティング用のプレゼンの背景は、ブランドに合ったカラーでなければならない。 「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」というが、本当にすごい人は経験に学び歴史を作る。 人間の価値とは、その人が生まれた世界と、生まれなかった世界の差だ。 マーケティングは心理学に近く、ターゲットの精神構造が理解できなければならない。日本企業は海外のマーケティングにほとんど成功することがないのは、思考の単一性から現地の人の心の小さな喜びや悲しみを理解できないからである。車やデジカメのようなプロダクトアウトのものを売るほうがいい。 会社は会社を幸せにする責任しかない。僕たちを幸せにする責任は僕たちにしか無い。 いつどこでだれと恋に落ちるかを事前には計画できないように、将来いつどこでどんな仕事に恋に落ちるか、さらにどんな気候や町・国の雰囲気に恋に落ちちゃうかも、僕には複雑すぎて全くわからない。 ある意味、アントレプレナーの仕事は失敗することである。提供された資本がつきるまでに、失敗しなくなるまで失敗し続ける。成功した時点で、失敗のプロであるアントレプレナーの仕事は終わりである。 人にとって大事な財産は、時間と肉体だけである。 飲料会社はマーケティングが全てである。「味で売れるなどというのは幻想」というのが経営陣の意見。 言い訳というのは成長を拒絶する根拠なので、言い訳する人が成長する事はない。 最近フォローしてくれた皆さんには申し訳ないが、実際の僕はちゃらんぽらんである。 海外で挑戦したいという人からは、それだけでアントレプレナーシップを感じる。 大人になるにつれて、1年が短くなる。学ぶものがないからである。 既成の枠組みが老朽化したせいで日本が苦しんでいると気づいているなら、過去の栄光にすがる組織から仕事を教わってはいけない。10年後、あなたが苦労して得たまさにその知識とスキルが日本をだめにするだろう。新しい時代を作る組織で学び、「彼ら」と戦う側になろう。 優秀な人ほど過去の栄光にすがる組織に入って日本をダメにするのに加担する。彼らは手ごわく、最後まであらゆる手を尽くして既得権益を守る方法を模索するだろう。だからこそ、新しい時代を作る側にもいい人材が必要となる。 自分の市場価値を上げるために生きるのは、「魚市場で高く売られるために生け簀で太らされながら生きる養殖場の魚」と一緒である。 僕は、他人にお金で評価してもらわないと自分のやっていることに意味が見出せないような事をしたいとは思わない。 世界でいちばん好きな食べものが一番おいしい事を論理的に説明することはできない。同じ理由で、幸せを語るとき、論理的に説明できる事はほとんど重要ではない。 いいんだ、人と違って。そのズレがあるからこそ、あなたには生きている価値があり、あなたにはすごい可能性が秘められているんだから。 人生のスケールを学歴に合わせてはいけない。学歴とは「他人が自分の限界を決めるためのもの」で、自分が自分の限界を決めるのに使うのは馬鹿げている。 給食の好き嫌いは善悪というより個性なのだが、日本の教師は「平均的でない事への憎悪」で無理やり食べさせる。金太郎飴のような子供を育てられない事が、怖くて怖くて仕方が無いのだ。 キャリアプランがあれば成功すると思っている人は、未来が予測できた古き良き世代の人である。 僕には「大人になったら何になりたいか」がいまだに決められない。死ぬまで決められないだろう。 「日本に帰らない覚悟がないならアメリカに行くな」とかいう人は、「険しいがレールはしかれている」、つまりがんばれば何とかなることが確実な人生しか知らない。冒険者に必要なのは、帰りの食料(引き返す覚悟と準備)と、先に何も無くても笑い飛ばす頭の悪さだ。 「世界で一日に24,000人の子供が死んでいる」と聞いても、ほとんどの日本人は遠い世界のおとぎ話ぐらいにしか感じていない。でも、途上国の親が1人の赤ちゃんを失ったときの絶望の大きさと流す涙の量は、きっと日本人と変わらない。 教師というのは影響が大きい仕事だ。よって、その教師の能力が一般社会に比べて下であれば、その人は激しく世の中に悪影響を与えている。 官僚は、過去のデータから言える事を緻密に分析して正確な結論を出すことができる。ただ、過去のデータが将来を予測する上で役に立たない時代になったので、天才が論理的に出す結論は大抵間違っている時代が来たと思う。 鬱病というのはがんばりすぎた人の病気なので、鬱病の人に「がんばれ」と言うのは、マラソン中に両足を疲労骨折して立てない人に「ゴールはあと100キロ先だからがんばれ!」というのと同じである。つまり「絶望しなさい」と言っている。 […]