Entries by yokichi

お茶の出ないお茶会を行いました!

最近、忙しくてブログの更新が全然できていなくてすみません。あと、メールの返事もできておらず、ごめんなさい。 いろいろ書きたいことはありますが、まずは先日の9月12日、日本に帰った際のお茶の出ないお茶会(ようするにこのブログを読んでる皆さんとのオフ会)のご報告。 まず・・・ わざわざ僕に会いにきて頂いた皆さん、本当にありがとうございました。 こんなに多くの方に集まっていただけるだけで本当に僕は幸せ者です!会ったことがない人に勇気を出して会おうなんて、僕ならビビッてなかなかできません。しかも、セミナーとかでもないのに、ただブラっと帰国した人に会うというためだけに来てもらえるなんて。生きてて良かった。 地球の裏のほうに住んでいると、日本のみなさんと疎遠になりそうなものですが、むしろ帰ったら僕と会いたいと思ってくれる人がこんなにたくさんいるというのは、さびしがりやの僕の心の支えです。 わざわざ遠くからきて頂いた方、予定を無理して都合をつけてくれた方、仕事の合間に来てくれた方、オフ会などに出たことがないのに勇気を出して参加していただいた方もたくさんいらっしゃいました。 前回は人数が多くて結局セミナーみたいになってしまったので、今回は人数を制限し、セッションを6回に分けて、できるだけ皆さんと個別にお話できるようにしましたが、結局合計で50人ぐらいなので、やっぱりもう少し皆さんのお話も聞きたかったです。きっと、本当はもっと僕に話があった人もいましたよね。申し訳ないです。 集まっていただいた皆さんは、あえて言うなら、20代の若い人が割合として多かった以外は、かなり多様性に富んでいました。共通点があるとすれば、「いろいろ自分の頭で考えている」ということだったと思います。それ以外は、仕事も、立場も、年齢も、興味も、本当にばらばらでした。 でも、不確実性が高まりつつあることでひずみが生まれてきている日本において、こうして自分の頭で考えることができる人たちが、これからの日本を支えていくんだと思います。そういう意味でも皆さんに会えたことはとても光栄なことです。 でも、そんな考える力のあるみなさんからいろいろな質問を受けることで、僕自身もいろいろな事を考える機会になり、とても勉強になりました。こうして、みなさんに成長させてもらえているのだという実感がありました。(お昼のQ&Aの部の参加の方に、お昼の僕の話をまとめて頂いています。ありがとうございます!→こちら) あと、30代になって、若い皆さんにこうして集まっていただけるにつけて、「自分の背中が見られているのだ」というのを感じました。僕もまだまだ若造ですのでちょっとびびりますが、それでもこうして集まっていただける皆さんに恥じないようにしなければならんと思うと、猫背の僕も、背筋が伸びる思いです。 お集まりいただいた皆さん、本当にありがとうございました。 まあ僕のことはおいといて、ぜひあの場で出会った皆さん同士で交流して頂ければ幸いです。 いいことあると思いますよ! ↓夜の部にて。プライバシーのために、ちょっとぼかしてます。 連続セッションの末、夜にはほとんど頭が機能していませんでしたが(笑)

おなじみ検索ワードのお時間です

おなじみ、といっても、ひさびさですねこれ。 このブログに、どういう検索キーワードでたどり着いたのかを求められないまま不定期に報告する検索ワード発表のお時間です。 まずは、トップ10から! 愛の日記 ハーバード大学 偏差値 古賀洋吉 yokichi ハーバード mba 愛の日記 @ ボストン zipcar ココイチ バイト linkedin 使い方 古賀洋吉 でぶ おいそこの10位。これはこのブログのリーダーの皆さんによる僕への個人攻撃であります。なお私は身長からすると平均体重よりちょい下ぐらいであります。あんまり僕をいじめるとCIAからガサ入れが入ると聞きましたので気をつけてください。 「ハーバード大学 偏差値」 は、総合偏差値が30台でもハーバードMBAには入れるという記事からコンスタントに入ってきます。そもそも偏差値がいくら高くても学業以外がすごくないとハーバード大学には入れないのでそもそも関係ないです。さらに日本人の合格が1人とかなので偏差値化するだけのデータなし。 zipcarのランクインはうれしいですね! ココイチ バイトは、最初にバイトしたのがココイチでしたというだけの記事がなぜかアクセスを稼いでいる様子。不思議だ・・・。   さて、それでは、個別に気になったものを。   個人攻撃 相変わらず、僕への個人攻撃の手はゆるむ事を知りません。 古賀洋吉 でぶ 古賀洋吉 運動不足 古賀洋吉 うんこ 古賀 洋吉 朝鮮へ帰れ → ええっ!? 古賀洋吉 口ばっか → お前とは一緒に仕事してねえだろ!してたら口だけでごめんなさい。 古賀洋吉 実は いない → そうそう、じつは僕、コンピュータなんです。写真も全部CGで・・・。そのコストが高いわ。 愛の日記 明治でもがんばったんだから良いんじゃない? → ありがとう・・・。 […]

Twitterでまじめに100回つぶやいてみた。

Twitterをやっております。 Twitterのアイコン(顔写真)をフザケたやつから、マジメなやつに変えてみた。それに合わせて、真面目なふりをするために、マジメなつぶやきを100回してみた。 ネタはブログが中心なので、このブログを読み込んでいる人によってはほとんど新しいものがないかもしれません。(笑) Twitterやっていない人も多いでしょうから、ここにも書いておきます。 日本社会や企業に不満や憎しみがあるのは依存の裏返しだと思う。自立すれば、国籍はお金で買うその辺の有料サービスの一つ、会社は自分の時間を買いたがっている一顧客というレベルに近づき、目くじら立てて語るほどのものではなくなる気がする。 日本政府や日本企業に依存しなくなるにつれ、日本社会の将来への不安や日本の労働環境の悪さが気にならなくなった。嫌なら帰らなければいいし、それでも日本がいいなら帰ればいいので、個人レベルでは「細かい話」になりつつある。 なんか必要以上に国や会社にネガティブな意見が多いけど、誰かに何かしてもらうのを諦めれば、人生そんなに捨てたもんじゃないと思うな。 田舎から東京に出ても「裏切り者」「逃げた」と言わないのに東京から海外に出るとそう言い出す人がいるけどなぜなのだろう?生まれ育った村が過疎化して廃墟になっていくなんて事が起こり続けている日本で、なぜ電車が飛行機になった程度でオオゴトにするのかよくわからない。 誰かを責めると自分が間違ってない気がしてそのときは気分が良くなるかもしれないけど、最終的には「自分が何をするか」しか関係ないんだろうなって思う。 海外に出た人は日本を捨てたと日本にいる人には言われるが、僕が知る限り海外にいる人は日本の事を真剣に考えている人ばかり。地理的には日本にいながら、心では日本を捨てている人のほうが圧倒的に多いと思う。 首相がバカだとグチグチ責めても、日本を出て行った人を逃げたと責めても、何の役にも立たないどころか憎しみを日本に生み出すだけ。それより、自分ができることを黙ってコツコツやろう。 海外に出ただけで日本を捨てたと決め付ける人こそ、日本にいるだけで「自分は逃げずに貢献した」と思考停止しないようにしなければ、何も変えられないよ。個人レベルで「日本のために何かする」って本当に難しいのに、人ばかり批判するのは良くない。 海外に出る人を「挑戦している」ととらえるか「逃げた」ととらえるかでその人の限界が見える。いつの時代も、環境の変化合わせて行動を変化させる人がいる。一方、変化を恐れ、色々な理由で努力する人を見下し現状の自己肯定する人がいる。そして、変化を生み出せるのは、変化を模索する人だけ。 日本とは何か、日本人とは何かを理解する唯一の方法は、それ以外のものを理解することだろう。そして自分を含めた大多数の人は、日本を出るまで自分が日本人である意味を知らなかったと思う。 海外に出て、いろいろな国を理解し、本質的な比較をできた時に、はじめて日本の輪郭が見えてくる。「日本とは何か」「日本人とは何か」というのは、「差」の話しかしていないからだ。 どんな国の人だって、恋に悩んで涙を流し、両親と喧嘩し、子供のことを心配し、日本人と同じような心で生きている。表現方法が違う彼らの気持ちを共有できるようになった時に、僕は日本人の気持ちというのが少しだけわかるようになり、日本人が好きになった。 シンガポールと日米の「違うところ」を書いたけど、シンガポールと日本が「似ている」のは成功するための方法が学歴や成績などに依存していることだ。こういう環境では「幸せとは何か」を自分で考える力が失われる。自分の人生に無責任になると、思い通りに与えられない事に不満をもつ人が増える。 どの国にいたって、国や会社が自分の事を幸せにしてくれると考えるのは危険だと思うよ。現在の日本ですらすごい不満ならほぼすべての国に対して不満だと思う。 将来の日本に対して不満なら、不満になったときに出て行けばいい。 どの国かに関わらず、子供には国籍は2つ以上あげたいと思っている。親の仕事は子供の幸せを決めることではなく幸せの選択肢を与えること。子供が地球上でナニ人であるのかは僕ではなく本人に決めさせたい。 好き嫌いがはっきりしている人は、好きなことをやらないでいると不幸だから、残念ながら好きなことをやらざるを得ない。何のこだわりもなく、いつも平穏な人のほうが幸せなのかもしれない。 言語は勉強科目ではなく脳の機能なので、いくら本で勉強しても日常的に使わなければ脳が英語を言語であると認識することはない。 モラルというのは失うものの量で決まる。凶悪犯罪者は「悪である」というよりも失うものがない。 首相を批判してもしょうがない。首相を育てる「仕組み」が変わらない以上、仕組み上の「要素」である単体の個人を批判しても本人のやる気を奪うだけだと思う。その人がやめても、同じことが繰り返されるだけなのだから。 小沢一郎さんが、新人政治家の最初の説明会で「君たちの最初の仕事は次の選挙に当選することだ」といっていた。政治家というのは、「仕事が本来及ぼすべき影響範囲」(世界・国)と、「実際の日々の行動が及ぼそうとしている影響範囲」(個人)の誤差がもっとも大きい職業なのかもしれない。 空気の読めないバカがいないとイノベーションはおきない。 エンタープライズ・マーケティングはロジカルに考えればできるが、コンシューマー・マーケティングにはロジックもへったくれもない。合理的に考えない大多数の人の行動原理に論理的な解を出そうと努力するのがそもそも無理である。そんな難しい話よりオシャレでカッコよくてクールなほうがいい。 エンタープライズ・マーケティング用のプレゼンの背景は、印刷時のために白でなければならない。コンシューマー・マーケティング用のプレゼンの背景は、ブランドに合ったカラーでなければならない。 「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」というが、本当にすごい人は経験に学び歴史を作る。 人間の価値とは、その人が生まれた世界と、生まれなかった世界の差だ。 マーケティングは心理学に近く、ターゲットの精神構造が理解できなければならない。日本企業は海外のマーケティングにほとんど成功することがないのは、思考の単一性から現地の人の心の小さな喜びや悲しみを理解できないからである。車やデジカメのようなプロダクトアウトのものを売るほうがいい。 会社は会社を幸せにする責任しかない。僕たちを幸せにする責任は僕たちにしか無い。 いつどこでだれと恋に落ちるかを事前には計画できないように、将来いつどこでどんな仕事に恋に落ちるか、さらにどんな気候や町・国の雰囲気に恋に落ちちゃうかも、僕には複雑すぎて全くわからない。 ある意味、アントレプレナーの仕事は失敗することである。提供された資本がつきるまでに、失敗しなくなるまで失敗し続ける。成功した時点で、失敗のプロであるアントレプレナーの仕事は終わりである。 人にとって大事な財産は、時間と肉体だけである。 飲料会社はマーケティングが全てである。「味で売れるなどというのは幻想」というのが経営陣の意見。 言い訳というのは成長を拒絶する根拠なので、言い訳する人が成長する事はない。 最近フォローしてくれた皆さんには申し訳ないが、実際の僕はちゃらんぽらんである。 海外で挑戦したいという人からは、それだけでアントレプレナーシップを感じる。 大人になるにつれて、1年が短くなる。学ぶものがないからである。 既成の枠組みが老朽化したせいで日本が苦しんでいると気づいているなら、過去の栄光にすがる組織から仕事を教わってはいけない。10年後、あなたが苦労して得たまさにその知識とスキルが日本をだめにするだろう。新しい時代を作る組織で学び、「彼ら」と戦う側になろう。 優秀な人ほど過去の栄光にすがる組織に入って日本をダメにするのに加担する。彼らは手ごわく、最後まであらゆる手を尽くして既得権益を守る方法を模索するだろう。だからこそ、新しい時代を作る側にもいい人材が必要となる。 自分の市場価値を上げるために生きるのは、「魚市場で高く売られるために生け簀で太らされながら生きる養殖場の魚」と一緒である。 僕は、他人にお金で評価してもらわないと自分のやっていることに意味が見出せないような事をしたいとは思わない。 世界でいちばん好きな食べものが一番おいしい事を論理的に説明することはできない。同じ理由で、幸せを語るとき、論理的に説明できる事はほとんど重要ではない。 いいんだ、人と違って。そのズレがあるからこそ、あなたには生きている価値があり、あなたにはすごい可能性が秘められているんだから。 人生のスケールを学歴に合わせてはいけない。学歴とは「他人が自分の限界を決めるためのもの」で、自分が自分の限界を決めるのに使うのは馬鹿げている。 給食の好き嫌いは善悪というより個性なのだが、日本の教師は「平均的でない事への憎悪」で無理やり食べさせる。金太郎飴のような子供を育てられない事が、怖くて怖くて仕方が無いのだ。 キャリアプランがあれば成功すると思っている人は、未来が予測できた古き良き世代の人である。 僕には「大人になったら何になりたいか」がいまだに決められない。死ぬまで決められないだろう。 「日本に帰らない覚悟がないならアメリカに行くな」とかいう人は、「険しいがレールはしかれている」、つまりがんばれば何とかなることが確実な人生しか知らない。冒険者に必要なのは、帰りの食料(引き返す覚悟と準備)と、先に何も無くても笑い飛ばす頭の悪さだ。 「世界で一日に24,000人の子供が死んでいる」と聞いても、ほとんどの日本人は遠い世界のおとぎ話ぐらいにしか感じていない。でも、途上国の親が1人の赤ちゃんを失ったときの絶望の大きさと流す涙の量は、きっと日本人と変わらない。 教師というのは影響が大きい仕事だ。よって、その教師の能力が一般社会に比べて下であれば、その人は激しく世の中に悪影響を与えている。 官僚は、過去のデータから言える事を緻密に分析して正確な結論を出すことができる。ただ、過去のデータが将来を予測する上で役に立たない時代になったので、天才が論理的に出す結論は大抵間違っている時代が来たと思う。 鬱病というのはがんばりすぎた人の病気なので、鬱病の人に「がんばれ」と言うのは、マラソン中に両足を疲労骨折して立てない人に「ゴールはあと100キロ先だからがんばれ!」というのと同じである。つまり「絶望しなさい」と言っている。 […]

9月の帰国予定

9月に日本に帰る予定です。僕の友人たちが国際結婚することになったのでハワイで式に出てから日本出張に入ります。たぶん台湾出張を経てボストンに戻ります。 9月12日(日)のどこかでまた時間が作れると思います。今回はみなさんのお話が聞けるぐらいの少人数がいいなーと思っています。 時間や場所などの詳細は未定ですが、まずは参加希望者の人数を把握するためにアンケートを用意しておきましたので参加希望の方はこちらよりどうぞ(追記: 募集は締め切りました)。人数が多い場合は抽選になるかもしれませんがご了承ください。

長距離ドライブのように その3 ~ オーバーヒートしないために

長距離ドライブのように その1 長距離ドライブのように その2 ~ ぬるま湯でマッタリしないために の続きです。 前回、「ぬるま湯ゾーンから抜け出せない人と、オーバーヒートゾーンで完全停止しているのに気づいていない人が多すぎます。」と書いたけれど、今回は、後者のオーバーヒートのお話。 オーバーヒートゾーンで完全に停止しているのに気づいていない人はけっこういます。 コンサルティング会社で は、入院する、ストレスで吐く、耳が片方聞こえなくなる、といった状況をよく目の当たりにしたが、これはオーバーヒートゾーンにいるのにスピードを緩めなかった末路である。僕もコンサルティング会社に入ったばかりのころは、そもそも力を抜いてはいけないのだと信じていたし、実は、いつどう手を抜けばいいのかもわからなかったので、長時間労働者のトップを飾ったこともしばしばだった。思い返すと、こういう時は、滅茶苦茶がんばっているだけで、思考は停止しており、実はあまり成長していなかった、と思う。 というわけで、今度はオーバーヒートしないために。 オーバーヒートのマネジメントは非常に難しいが、失敗した場合の痛手が大きいので注意深いアプローチが必要である。解決策は、結局、(1) メーターの温度をしっかり見ること。そして、気合とか根性とかバカみたいな事を言っていないで、(2) ブレーキを踏むという現実的な判断をすること。これだけである。ちなみに、メーターは、自分で作らなければない。どうやって作るか? (1) 自分だけのメーターを作ろう 一番手っ取り早いのは、一回ある程度オーバーヒートしてみることである。そして、オーバーヒートしつつも、自分の精神的、肉体的反応を、めちゃくちゃ客観的に分析するのである。これはしんどい。なんせオーバーヒートしているんだから余裕がない。しかし、すごいスピードで走りながら、自分がおかしくなる様子を、集中力を保って分析していくのだ。 僕の場合は睡眠不足で肉体が限界になると血の気が引く。ふるえが始まる。精神が限界に近づきと、吐き気がし、熱が出て、ネガティブな独り言が出てくる。これが僕が壊れるサインなのか。やばい。集中力が下がり、スピードが低下し、パフォーマンスが落ち始めた。仕事している気になっているだけで、思考が閉鎖的になりクリエイティビティがなくなってきた・・・。 ・・・ここを超えると危険だ。次に起こったら「これがオーバーヒート」だ。 この修羅場をくぐるというのが、メーターを作るという作業には最適だ。危ないが、経験上これが一番確実な気がする。ただこの「メーターを作る作業」はオーバーヒートしてもすぐに回復できる20代までにやらなければならない。30代、40代のヤワな精神・肉体では回復が遅すぎて取り返しがつかなくなるかも。 ちなみに、しつこいが、大事なポイントは、人によってメーターは違うので、決して他人のものを参考にしてはいけない。例えば、僕は頑丈だが、ふつうは体がふるえるまで仕事をしてはいけない(笑)。他人を参考にするから強迫観念で自分のメーターを見失いオーバーヒートする。 さて、そしてここからがもっと大事。 (2) ブレーキを踏むという現実的な判断をしよう 次に、本当にオーバーヒートしそうになったら、恥も外聞もなく、優先順位をドカンと切り替えてしまうのである。僕は限界がくると、あえて上司の許可なんか取らずに、堂々と遅刻したものだ。「病気です」といってズル休みしたこともある。 「プロとして無責任」というツッコミが現場から聞こえてきます。ごめんなさい。しかし、社会人を7年(短いけど)ほどやっていて分かった現実は、 実は、プロとして無責任なのは、あなたではなく「不可能を可能にしろ」という謎の状況を慢性的に押し付け続けるという環境をデザインした人(例:無能な上司)の能力の低さであることが多い(自分への反省含む 笑)。 犠牲になって不幸自慢している暇があるなら、無能な上司に頼らずに責任をもって自分の成長スピードや体調の管理を自分でするのがプロである。 あなたでなければできない仕事などほとんどない。実は諦めてもほとんどのことは問題がない(そうじゃないと思うならそれはほとんどの場合思い上がり)。 「所詮仕事でしょ」と気楽に考えないと思考停止するだけ。本当に諦めなければならないところを見誤って人生に大きな影を落としかねない。 だから、オーバーヒートゾーンに入ったらすぐに優先順位を一気に切り替えて力づくで「充実ゾーン」か「ぬるま湯ゾーン」に移動する。邪魔になるプライドや評価などはゴミだと思って捨てまくる。 維持不可能で、誰も助けてくれないのなら、自分で責任をもって管理する。そのために、スピードを出しすぎたら、思い切りブレーキを踏み込む。今踏まなければ、いつ踏むのだ?思いっきり踏むのだ!これが現実的な判断です。 結局、人によって積んでいるエンジンも、ボディの強さも違う。しつこいが、僕を含めて、他人を参考にしてはいけないんですよね。だから、自分のメーターで見るとがんばってない人はもっとがんばりましょう。自分のメーターで見るとがんばりすぎているひとは容赦なく休みましょう。 人生は長いドライブ。怠けたらそこで終わりだけど、倒れても終わりなので、ドライバーである自分がメンテナンスに責任を持ちつつ、長期的な目標を実現するというプランの中で、そのときに応じた最適なスピードを出していきましょう! 次回に続くかも。続かないかも。

長距離ドライブのように その2 ~ ぬるま湯でマッタリしないために

第一回の長距離ドライブのように その1では、「がんばりすぎない(オーバーヒートしない)ギリギリの範囲で、自分が維持可能なスピードに収まるように調整するのが、いちばん充実していて、いちばん速くなる。」というお話でした。 なんでこんな当たり前っぽい話を今更しているかというと、僕から言わせて頂くと、ぬるま湯ゾーンから抜け出せない人と、オーバーヒートゾーンで完全停止しているのに気づいていない人が多すぎる。 そこで、今回は、前者ぬるま湯ゾーンから抜け出せない人にフォーカスしてみる。 実家近くの図書館で、僕が知る限り10年ぐらい毎日朝から晩まで司法試験の勉強をしている人がいた。10年毎日って、すごい根性だ。これは一見、充実ゾーンっぽい・・・しかし、横で見ていると、明らかに集中していない。しかも、帰り道にのんびりエロ漫画を立ち読みしてた。本人は、充実ゾーンでがんばっているつもりになっているが、完全にぬるま湯ゾーンでダレまくっているのである。司法試験に合格するためには悪いがスピードが遅すぎる。 おれがんばってるし~ ぬるま湯でマッタリしないために。 まず、今回は「プランがないからがんばれない人の話」でも、「実現するほどの目標でもないからがんばらない人」の話でもない。プランもあるし大事な目標なのにぬるま湯ゾーンから抜け出せないという人の話ですのでそれを前提に。 さて、ぬるま湯ゾーンにいるのはアクセルを踏むモチベーションがないからである。これは、「留学はしたいが単語の勉強がつまらない」というように、目標にはどうしても行きたいのだが、プロセスがあほみたいに退屈でやる気にならないという、非常にありがちな原因が多い気がする。こういう時は、自分の精神構造を分析しなければならない。 といっても、対策は単純で、 自分がどういうときに最もがんばることが出来たのかを思い出しましょう。 その心理的状況と同じ状態作り出しましょう。 それだけ。 例えば、学生時代に一夜漬けしたタイプの人は、本来ガンガンがんばれる素質があるので、安心。あとは、どうすれば、上手に一夜漬けと同じ精神状態を再構築できるのかを知ればいいのだ。そうすれば、一週間漬けだろうと一ヶ月漬けだろうとできてもおかしくない。 例えば「環境に追い込まれていたから」というのであれば、その要素を分解して、その状況を作り出してみよう! 成績について親に怒られたくなかった → 失敗すると誰かに迷惑がかかる状況を作りましょう! 失敗するのが恥ずかしかった → 今の仕事や勉強の結果を全部ブログで公開して恥をかくようにしましょう! 学校に払っているお金がもったいないと思った →予備校、本、 勉強道具や仕事道具などにお金を大量に使いましょう! 自習室で他の人と一緒だったのでサボれなかった → ウェブカメラで勉強している様子を世界に公開しましょう! 時々家族や友人に突然部屋にノックなしで入ってくるようにお願いしましょう! 退学させられそうだった → 失敗したら会社を100%辞めますと上司に伝えましょう! 要するに、誰しも、がんばれた時があるわけで、その状況を再構築すればいいというだけの話。言っている事は単純だが、その精神構造を詳細まで把握して再構築するのは簡単ではないし、再現する上では現実的には障害がたくさんあるので、自分のアタマでクリエイティブに考える必要がある。 ここで再確認だが、人によって何をすればモチベーションが高められるかは人によって違う。僕のように追い込みが効くタイプもあれば、目標についた楽しい状況を想像するために、目標を達成した人に会うとかいうほうが刺激になる人もいる。よって、他人に相談しても絶対に無駄。 さらに、遠いところを目指すか、近いところを目指すかが大事なのではない。「自分のスピードだといつ着けるか」が大事なのだ。スピードが出せるなら偏差値30でもトップ校を目指して全く問題ない。10年たっても集中できないなら司法試験なんてやめたほうがいいと思う。他人のスピードを参考にする必要はない。 時間 (人生に与えられた時間は固定) × 速度 = 距離 (目標により固定)という公式は変えられないし、人間には時間と肉体以外に大事な財産は何もない。目標に到達したいなら必要なスピードを出す。出せないと気づいたらすぐやめる。でないと貴重な時間を無駄にしてしまう。 次回は逆に、オーバーヒートしないためのコツです。

長距離ドライブのように その1

なんだか僕のまわりにはがんばり屋さんが多い。仕事しながら英語をがんばっているみなさん、留学準備中のみなさん、これから留学生活が始まるみなさん、過酷な労働環境でがんばっているみなさん・・・やっぱり目標がある人はがんばっているし成長もすごいし、輝いていて、かっこいい。今日はそんながんばる皆様へのエールも込めて、「がんばること」をドライブに例えてお話したいと思います。 仕事の目標にせよ、勉強の目標にせよ、何かの大きな目標に向かって進むということは、遠い目的地を目指す長いドライブのようなものだと思う。僕たちは、がんばって前に進んでいるときこそ、スピードとエンジン温度のバランスをうまく管理しなければならない。 本当の車のドライバーは、常にスピードとエンジン温度の両方を管理している。長距離のレースを想像するとわかりやすいかもしれない。エンジンが熱くならない程度のスピードで運転しているなら、なかなか目的地にはたどり着けないので、なんでそんなレースに出ちゃったの?という話になるが、スピードを出しすぎてオーバーヒートするのも故障してかえって遅くなってしまう。 人生もそれと同じだ。高い目標を設定したくせにダラダラと進むだけでスピードが遅ければ、結局目標にはたどり着かない。一方で、早く目的地に着こうとスピードを出しすぎれば、がんばりすぎて精神と肉体がオーバーヒートしてしまう。オーバーヒートして故障(疲れすぎで倒れたり怪我をしたり、ストレスで胃潰瘍やうつ病になったり)してしまえば回復まで完全にストップしてしまうので結局スピードは遅くなる。 結局のところ、がんばりすぎない(オーバーヒートしない)ギリギリの範囲で、自分が維持可能なスピードに収まるように調整するのが、いちばん充実していて、いちばん速くなる。 ぬるま湯ゾーンは、いわゆるComfort Zone(快適な状態)。「できるとわかっていることをやっているだけ」なので何の痛みもなく楽だ。つまり前に進んでいないだけ。大きな目標があるのにここにずっといるのはおかしい(休憩のためなら良い)。口だけか、単なる甘え。 充実ゾーンはComfort Zoneから抜け出して歯を食いしばって挑戦をしている状態である。ストレスがたまるので疲れるがうまくやればマネジメントできるレベル。前に進んでいる実感を得ることができるので、大変ながらも日々充実感がある。 オーバーヒートゾーンはがんばりすぎで維持可能ではない。どんどん故障率が上がり、エンジン(精神や肉体)が故障すると健康が保てなくなる。いくら走っているときのスピードが速くても、故障時間が長くなるなら、「平均スピード」は下がる一方だ。これでは下手すればぬるま湯ゾーンでがんばっていない状態と変わらない。 人生は長期戦だし、すべてを自分でコントロールできるわけではないので、実際にはこの3つのゾーンを行ったりきたりするのは健全な状態だと思う。いきなり大変なことになってオーバーヒートゾーンでがんばらなければならない時もあるし、突然余裕がでてきてぬるま湯ゾーンでだれることやリフレッシュするために休みを取ってぬるま湯ゾーンでエンジンを冷ますこともある。 結局、大事なのは、長期的なバランスのマネジメントがキッチリできていることである。 ちなみに、僕は周りの人に比べると、そんなに頭がいいほうではない。というかアホだと思っている。なのに、こんなにすごい人たちの中で無事に生きることができているのは、たぶん手を抜かずにがんばりながらも、けっこういい加減な性格のおかげで、「他の人が故障するような時でも故障せず走り続けることができる」からなんじゃないかと思う。 だから、しょうもない話だと思われるかもしれないけど僕の中ではとっても大事なのです。 つづく。

Expecting a baby

最近どうも奥さんの具合がずっと悪いと思ったら、どうやらちぇん太(1)に兄弟ができるっぽいです!たぶん来年の3月ごろが予定日になると思います。とっても楽しみです。 七夕の夜に、「ちぇん太に妹を!」と短冊?に書いて、部屋の観葉植物に飾った翌日に判明したので、女の子かもしれませんね~。 ちぇん太のときは、ジョジョの奇妙な冒険ファンの奥さんが「承太郎にしよう」と本気で主張し続けて大変だったというのを読者の皆さんは覚えていると思いますが、今回は「あなたはゆかりごはんが好きだからゆかりにしよう」とまたいい加減な事を言っています。もし男の子だったら承太郎熱が復活するかもしれないことをひそかに恐れていますが・・・。 奥さんはつわりでがんばっているので、僕も週末の家事と子育てがんばります!

日本語が世界の公用語だったら

ある日、アメリカ、イギリス、オーストラリア、インド、カナダ、シンガポール、香港、ニュージーランド、南アフリカなどの公用語が日本語になりました。 もう日本語は世界のビジネスの公用語となったので、母国語が日本語でない国同士の会話も、大抵日本語です。 そうしたら、すっかり世界は変わりました。 まず、日本語教育業界は世界の大きな産業となりました。母国語が日本語ではない先進国の子供たちは、幼稚園のころから日本語スクールに行っています。教育ママは大変ですね。それから、どの国でも大抵、中学校から大学まで日本語は必須。先進的な大学はなんと母国語ではなく日本語で授業をしているところもあるそうです。 日本語検定試験でいい点を取らないと、海外の大学に留学したり、グローバル企業で昇進することはできません。グローバルな企業で仕事をしていない人たちも、資格手当ての為に日本語会話スクールに通っています。もちろんリタイアした人たちも趣味の旅行のためにがんばっています。 世界中で日本語が通じるようになったので、いきなり地球が小さく感じるようになりました。海外旅行に行くにしても、空港も交通機関もすべて日本語のサインがありますし、いいホテルでは必ず日本語が通じます。これまでは大変だった海外旅行も、ちょっと飛行機の時間が長い国内旅行の感覚になってしまいました。とても気楽です。日本語が話せる人は、もう他の言葉を勉強する必要はあまりありませんね。 そうそう、日本語が世界のビジネスの公用語になった結果、海外での仕事は格段に簡単になりました。そもそも、重要な出張先であるアメリカ、イギリス、シンガポール、香港などでは普通に日本語が通じるので、ほとんどの主要な国際取引では言語を気にする必要すらありません。他の国との取引でも、現地のトップクラスのビジネスマンや官僚はみんな日本語を流暢に話します。資料も日本語で提出されるし、メールも全部日本語なので取引がどんどん進みます。 公用語が日本語になった結果、会社の人材の幅が一気に広がりました。どの国のオフィスでも日本語ができて優秀なら社長を狙うことができますので、色々な国からレベルの高い人が集まるようになりました。役員会議の半分以上が外国人で構成されています。 なんだか、グローバルなんて、たいした話ではなくなりました。子供のころから色々な国の人と触れ合っているので、そもそもグローバルという事の意味もよくわかりません。日本語が全然使われない国もあるのでしょうね。でも、そんな遠い世界のことはニュースで見る以上は想像もできませんし、そんな国には行く必要も仕事上はなさそうです。 というわけで、世界の公用語が話せない不自由さというものについて考えるために、普通の話を、ただ状況を逆にして考えてみました。