Betsyの話
今日は、とある女性の話を書いてみます。 ここのブログの読者は30歳前後の人が多いのですが、この話の主人公は同じ年代のふつうの人です。 彼女は、素敵な男性と出会い、長い間付き合っていて、結婚を前提に、二人で家を買って住んでいます。 まだ結婚していない人はこれから自分に起こることだと想像してみてください。 もう結婚した人は自分が結婚する直前の事を思い出して、自分にこれが起こったと想像してみてください。 ——————- 彼の誕生日を二人で祝った数日後、彼はステージ4の肺癌であると診断されました。つまり、末期癌です。 最初、彼は「なんだか胸のあたりが痛いからお医者さんに行くね」いっていました。お医者さんも、単なる胸焼けか何かでしょうと言っていたので私も彼もあまり気にしていなかったのですが、実はその時にはもう彼の肝臓や脳に転移が進んでいたみたいです。みんな「タバコ吸ってたからでしょ」って言うから言っておきますが、彼はタバコを吸いません。私も彼も、タバコのにおいが好きじゃなくて。とにかく、血液テストでもがんのテストは陰性だったんです。 その夏のとある金曜日に、彼は私の携帯に電話をくれました。なんだか不思議な声で、用件があるから、家に帰ってから話すからと。今になって驚くのは、彼はお医者さんに午前中に告げられたことを、午後いっぱい、私に会うまで誰にも言わなかったということです。どんな気持ちだったんだろうと。 何年も付き合ってきた元気な彼が、末期癌と診断され、ほぼ確実に死んでしまうと聞いたとき、おなかを急に思い切り殴られたような、そんなショックがありました。お医者さんは余命について教えてくれませんでした。でも彼はインターネットですぐに調べていて、ステージ4の肺癌に診断された人は、大体1年ぐらいで亡くなっているそうです。5年もった人はいないとか。 私はもう、どうしていいのかわからなくて、とにかく泣きました。彼も泣いていました。夢だったらいいのにと思いました。いろんな人生のプランが急に真っ暗になって、先が見えなくなりました。 少しだけ落ち着いてから、まずは親戚とか仲のいい友達に報告したほうがいいよね、ということで、リストを作って一人一人電話していきました。電話の向こうから聞こえてくる言葉に、ああ、私たちはこんなにも大事にされているんだと気づかされて、それがなんだかショックでした。 それから、私たちは殆ど眠れませんでした。しばらくして、放射線治療が始まったころ、お医者さんが彼に、「睡眠薬を処方するのを忘れてごめんなさい」と言っていたそうです。私も眠れなかったのですが、私向けにはそんな話すらなかったです・・・癌が宣告された人の妻や恋人にも何か処方したほうが良さそうなのにね。 そう、それで私たち、結婚することにしました。 一緒に暮らせるように一緒に家を買ったところだったし、結婚はどちらにせよするつもりだったんです。 まだ結婚していなかったのは、私は大げさな結婚式とか好きじゃなかったし、彼も急いで結婚したい感じじゃなかったという事で、なんとなく「仕事がひと段落してから結婚しようか」という話をしていたからです。だけどこうなった今は、今結婚したほうが、彼が死ぬ前に言葉が話せなくなったときに私が代理で話せるし、一緒に買った家の相続をどうするんだといった手続きも色々あるみたいなので、私も結婚したほうがいいと思いました。結婚式には60人が集まってくれました。その日はとても暑くて、記録的猛暑だとニュースになっていました。ちなみに、シンプルで、カジュアルな結婚式のほうが、参加者の皆さんがリラックスできるからオススメです。話がそれましたけど。 それから、私たちは二人でブログを始めました。彼の様子について多くの親戚や友人が確認したいと思うのですが、「彼の具合が悪くなりました」という同じ話を、電話で何度もその度に説明するのは辛いし、そういう話を聞いた人も言葉を失ってなんて私たちに言葉をかけていいのかよくわからないと思います。でもブログならコメントをすることもできる。そうやって、ブログが私たちのコミュニティみたいになりました。 癌というのは、ゆっくりと死に至る病気なんですね。癌の苦しみというのは目に見えてわかるところは氷山の一角なんだなと思いました。私も、髪の毛が抜けて(放射線治療と化学療法のせい)、体重が増えて(放射線とステロイドのせい)、その後減って(薬の副作用で)、といった症状があるのはなんとなく知っていたのですが、実際には目に見えない部分が多くあります。吐き気が頻繁にやってきたり、味覚が変わってしまったり、しゃっくりが何時間も続いたり、何かの薬の副作用でにきびができたり、足の神経症(神経痛や感覚の消失)、飲み物の温度に対する知覚過敏など、いろいろと生活に支障がありました。 投薬治療の3年間、彼はがんばり続けました。残された時間を嘆きながら過ごすのは嫌だ、癌に全力で立ち向かうんだと決意していました。彼は自分でできることを人に頼んだりしませんでした。悲劇のヒーローとして話題の中心になるのも嫌いでした。私たちは、必要なときだけ癌の話をして、そうじゃないときは普通の話をしながら、普通に過ごすようにしていました。 一時期、彼の具合がとても良くなって、私たちはなんと、2週間海外旅行に行くことができました。ガイドさんには、ちょっと具合が悪くて歩きにくい時があるとだけ伝えておきましたが、特に問題なく旅行を終えることができました。普通のカップルみたいな旅行が本当に嬉しかったです。 2009年の1月に、私の会社がレイオフを発表して、私は急に解雇を通告されました。でも私はとても嬉しかった。だって彼ともっと一緒にいられるようになったから。 でもそれも長くは続きませんでした。翌月のある朝、彼がお風呂場から「ちょっと来て」と叫んでいて、私は飛び起きました。お風呂場にとびこんでふらふらの彼を肩で支え、ソファーにゆっくり、ゆっくりとおろしました。何かの発作で震えているのを見て、すぐに救急車を呼びました。救急隊が来たとき、彼は大丈夫だからと自分の足で救急車に乗ろうとしていました。私は着替えをつかんで救急車に乗り込みました。彼は緊急治療室に運ばれました。何度か発作を起こした後に、検査が行われました。 退院した時、もう命の終わりが近いこと、もう癌と戦うのは諦めなければならないことは認めざるを得ない状況でした。 彼は7月までがんばりました。ホスピスに出たり入ったりしながら。家にいるときは、もう階段を上ることができないからいつも一階で過ごしました。背の高い彼が快適に過ごせるように、とびきり大きなベッドを借りました。 私は介護したことなんてありませんでしたが、彼の専属看護婦さんになれるように勉強しました。必要な薬をあげて、肺から水を抜いて、お風呂に入れて、元気なときにベットから出たりして。ぎゅっと抱きしめるっていうのは、動けない人を動かすときにとっても便利でステキな方法ですよ。 彼はコンピュータやゲームが好きでした。友達が面白いガジェットを持ってきてくれて、ホスピスの部屋で一緒に組み立てたりしました。彼がなくなる前の週にも、私の古くなったパソコンを直してくれました。 最後の2日間、彼は寝ている事が多かったのですが、彼は自分がもうすぐ死んでしまう事はわかっていたみたいでした。ちょっと意識がはっきりした時に、私と、付き添いの介護の方にささやきました。「死ぬって、どうやったらいいのか、よくわからないね。」 私はこう答えました。「そうだね。でも、たぶん、わからなくていいんだと思う。きっと、生まれるのと一緒で、意識するものじゃなくて、自然に起こることなんだと思うよ。」 私は、ベッドの彼に、「あなたの事が、好きだよ」って、心をこめて言いました。彼が逝くときに、寂しくないって、思ってほしくて。聞こえていたのか、理解できたのかわからないけど、伝わっているといいな。 彼はちょうど夜の12時ぐらいになくなりました。誕生日の二日後、ほぼちょうど癌の診断を受けた3年後でした。 彼のご両親も、私の両親もそこにいました。何かあったらと呼んでおいた看護婦の方が、脈拍が止まったのを確認して、彼が亡くなった事を告げました。それから「葬儀業者の方に彼の遺体を引き取ってもらうように」と言われました。それから、いろんな事がありましたが、よく覚えていません。とにかく、いろんな事がありました。 彼が死んだ瞬間のことは、きっと一生忘れないと思います。彼の首の筋肉が頭を支える力を失って、うなだれているようで。顔が少しずつ白くなってきて、青ざめて、それから静かな死が訪れました。その瞬間に、彼という存在は、私の心の中の人になりました。今でも、こうやって、その瞬間のことを書くのは辛いです。 私は家に帰って、久しぶりに2階のベッドで寝ました。彼がいないベッドがこんなに広かったのかと思いました。 お葬式が終わって、彼の遺骨を受け取りました。「その瞬間、彼の死を悟りました」なんてことは思わなかったのですが。彼が私の目の前で亡くなる瞬間は彼の死を感じる上で十分にリアルでした。ただ、静か過ぎて、美しすぎる火葬場のロビーで、私の愛した人が小さな箱の中に入っているのを渡されたとき、大事な何かがもう本当に終わったんだという、恐ろしいほどに動きようのない事実が、ただそこにありました。なんだか涙が出て息がむせました。 それから、色々と役所とか銀行とかそういった所との事務的なやり取りがたくさんありました。私はそもそも、そういう事務手続きが苦手で。口座の移行がどうだ、証明書が何通必要だとか。それで、電話して、「私の夫が御社のサービスを利用していたのですが、このたび他界しまして・・・」と言って回って、「それはご愁傷様です」と、同情したような、慣れたようないわれ方をされるのも、なんだか辛くて。一人になって新しい仕事を探すのも、あまり前向きになれませんでした。 もちろん、彼の何気ない冗談とか、私が愛した彼の全てを思い出すと、とても切なくなります。ただ、身勝手と思われるかもしれませんが、私がとても苦手で、彼が助けてくれていたことがこんなにあったのかと気づくとき、いちばん辛く思います。 だんだん、彼が設定してくれた家のパソコンやネットワークの調子が悪くなっていて、私には何が悪いのかもわからないのに、彼はもう直してくれない。 私が疲れているときに料理してくれたのに、もうしてくれないし。 私の代わりに買い物に行ってくれたり、銀行口座とかお金の管理をしたり、私が泣いていたら優しく寄り添ってくれたり、くじけそうな時に「がんばれよ」と背中を押してくれたり、私が感情的になって騒いでいるときに優しく落ち着かせてくれたり。いつも優しかったのに。そうやって当たり前のように支えてもらっていた事がなくなったのがつらくて。 彼が教えてくれた多くの事、彼が守ってくれた多くのこと、彼が私にくれた多くの影響があって、でもそれはもうなくて。まだ、彼がいない人生に慣れていない気がします。彼のいなくなった私って、誰なのかを想像して、そういう人間になれるようにならなきゃいけないのが、一番つらい気がします。 ただ、彼を失ったことで私は少しだけ勇気を持つことができた気がします。その勇気を振り絞ってアドバイスがあるとすると、もし今もしあなたの愛する人が生きているならば、いつか二人でやろうと夢見ていたことをすぐに始めたほうがいいとおもいます。 Quora という Q&Aサイトより。原文を書いたのはBetsy Megasさん。本人の同意の元に僕が訳しました(けっこう意訳です)。最後のアドバイスは、彼女の僕に対するものなので、原文にはありません。 […]