Entries by yokichi

【また他力本願】ブログでアジトを作りました

ボランティアもCo-founderもコンサルタントもブログ一発で調達できましたが、引き続き、オフィスも皆さまに作ってもらいましたのでお礼と共にご報告であります! これがヤシの木が2本ニョキっと生えた我らのアジトだ!毎日晴れだ!真冬でも暖かいぞ!家賃は2,000ドル。 オフィスに入ると、はぐれメタル、ゴールドマン、1UPキノコ、リリースのだるまさんなどが出迎えてくれます。チュッパチャップスも寄付で頂いております。ありがとうございます。 ワーキングスペースです。見えている全てのものがほぼ全部、皆さんからの寄付や借り物。あとはあまったものの持ち出しばかり。買ったのは、プラスチックの机と、プラスチックの引き出しぐらいでしょうか。 僕の机。しばらくパイプいすを使っていましたが、アクセンチュア時代の先輩の松田さんが社長いすを買ってくれました、ヒャッホウ!!!ちなみに、かっこいいデスクライトもエンジェル投資家の功さんに新品を買って頂きました。ありがとうございます! 大活躍中の、$400の新品カラーレーザープリンタです!これはケンイチさんからの寄付して頂きました!ただ、実はギフトと一緒に頂いたメッセージが文字化けしていて「???????? by Kenichi」しか書いておらず、どこのケンイチさんだかわかりません!!! 自分の知り合いなのかそうじゃないのかすらわかりませんが、ケンイチさん、ありがとうございます!なんでこんなすごいものくれたんでしょうか!!!とりあえずプリンタ名はKenichiです! ミーティングルームです。ここのテレビ・テレビ台は八木さんに寄付して頂きました。プリンタは海部さん/梅田さんに寄付して頂きました。これでミーティングやプレゼンもばっちりだ!いすやソファーはお借りした物です。机はやっぱりWalmartで買ったプラスチックの安物です。 出張に来ている人用に寝室が用意してあります。エアベッドですが一応低反発マットレスつき!あと、大きくて高級な作業机を海部さん/梅田さんに寄付して頂いています。ありがとうございます!ちなみに出張に来た人がシリコンバレーで生活できるように社用車らしきものもあります(持ち出し)。 普通の家を借りているので、普通の家のキッチンです。 キッチンの棚には、多くの皆さんから寄付で頂いたものがたくさん。レッドブル(関戸さん、ぽりーさん)、チキンラーメン(さかいさん、ひらいわさん)、辛ラーメン(しんさん)、コーヒー(まゆみさん、あみちゃん)、お~いお茶(ほかむらさん)を寄付して頂きました!ありがとうございました! お風呂もあります。洗濯機・乾燥機は家の裏にあります。 ガレージはハードウェアラボとなっています。ここでは頂いた電池(by わかめちゃん、さかいさん)などが活躍中!ありがとうございます! だいごさんにもらった掃除機もあるのでオフィスはきれい。ありがとうございます! というわけで、こうして皆さんの力を借りて、かなりの低予算でわれらが秘密結社?のアジトを作ることができました。ファウンダー一同、心より感謝しております。 ちなみに・・・30歳まで日本でフツーにサラリーマンやってた自分がシリコンバレーでベンチャーを成功させようというのは、かなり難易度が高いという自覚があります。だからこそ冒険であり、だからこそ挑戦したいわけであり、だからこそ皆さんに助けてもらわなければまったくできないと思っています。だから僕は素直に周りに頼ることにしました。Amazon Wish Listでものを頼むのとか恥ずかしいとも思うんだけど、こういう弱い立場になったときは、僕は即座に白旗をあげて、素直に助けを求めまくることにしています。 先日、ラスベガスの出張から帰ってきて、夜中の2時にオフィスに戻ったら、たくさんのギフトの箱がメッセージと共に届いていた。箱をあけて、メッセージを読みながら、こんなに多くの支えてくれる人がいるんだって思ったら、百人力だと思ってじんわり来ました。支えてもらってじんわり来るのは、自分がこんなにも弱くなったと自分で認めている証拠だと思う。ほんとにもう、投資家やCo-founder、アドバイザー、起業家仲間の皆さんがいないと何もできなくなったから。その一方で、こうして支えてもらっている以上はそう簡単にはつぶれないぞと勇気も出てくるのだ。 もちろん、人に頼っておいてあっさり失敗したら恐ろしいと思うのもあります。投資家だったので、情熱だけではうまく行かない世界であることも知ってます。だから、もし失敗したときは、「ごめんなさい」って言うしかねえと割り切って、今は前を向いて行こうと思います。引き続き、ご支援宜しくお願いいたします!

古巣のCEO

今日は、久々に日記っぽいことを書いてみようと思います。 僕がビジネススクールを卒業してすぐに入ったスタートアップのCEOのRudyのところに遊びに行った。彼は今はVenture Debtという投資アセットを扱う、要するにベンチャーキャピタルみたいな投資会社にいて、パートナーとして成功している。もともと彼はシリアル・アントレプレナーだが、40を過ぎて「ベンチャーというのは20代とかの若いやつじゃないとできないからね」ということで、投資側に回ったのだという。 ちなみに、僕らが一緒にやったスタートアップはscanRというモバイルサービス会社。その時の思い出話に花が咲いた。(今は色々ピボット(方針転換)をし、Flint Mobileという決済系のビジネスをやっている。) 結局scanRは失敗したわけだが、今思えば「早すぎた」の一言に尽きる。まだスマートフォンもあまり使われておらず、モバイルの性能もかなり低い時期にEvernoteみたいな事をやるのは早すぎたんだと思う。それで2008年~2009年のサブプライム危機の影響でスタートアップがばたばた倒れている時、主要なビジネスメンバーはレイオフになった。当時、従業員をレイオフしなければならなかった彼のマネジメントは本当に上手だったと思う。彼は当時の投資家だったBill Millerというベンチャーキャピタルのパートナーにこう言われたのだという。「これからの2週間が、お前が回りにどのように覚えられているかを決める。誠実で、正直で、透明であれ」と。Rudyはまさにそれをこなして、その「失敗」の手腕が高く評価されて、scanRの投資家だった会社にパートナーとして迎え入れられたというわけだ。 他にも色々話したのだが、面白かったのは奥さんの話。僕が「シリアルアントレプレナーと、奥さんってどんなカンジの関係なの?」と聞いたからなんだけど。彼曰く、「スタートアップの人生は、昨日は最高の気分だったのに今日は最悪の気分で、でも明日にはまた最高の気分だったりして、ジェットコースターみたいでしょ。最初の頃は、俺が細かくビジネスがどうなってるか説明するから、彼女も色々聞いてきて、一緒に一喜一憂していたから、彼女もストレスがあって大変だったと思う。でもそれがずっと続くと麻痺してきて、「ああそうなの、今日はあんまりいい日じゃなかったね。じゃあ今日は外食でも行こうよ」みたいなカンジになってきて、細かいことは聞いてこなくなった。ずっとサポーティブなんだけど、アップダウンは慣れてくるといちいち気にしなくなるよね。」そんな話を聞いていると、第一線で戦うシリアルアントレプレナーを支える奥さんってスゴイなあと思った。 ところで、ビジネスメンバーはほとんどレイオフになったと書いたが、彼らが今どうしているかというと、みんなもその後それぞれに成功しているので、まあ今思い返せばノーダメージなんだよね。塞翁が馬と言いますか。そもそも当時レイオフになった側もわりとケロッとしてたし、レイオフになった程度で困るようなやつはそもそもスタートアップにはあまりいないというだけなんだと思うけど。 にしても、僕がシリコンバレーを離れたのはたった数年なのに、色々なことがすごい速度で進んでいて面白い。

愛の日記

先に言っておきますが、読んでも何の足しにもならない話をします。 「愛の日記」というタイトルは、昔持ってたネタ帳の名前で、ネタ帳の延長でブログを書いている。まあ、めったに更新しないから、書いているというほど書いてないけど。 以前は自分で書いたプログラムを動かす用に置いてた自宅のLinuxのサーバーをブログにしてたのだが、今ではパッチとか当てるのが面倒でレンタルサーバーにした。だから毎月お金を払っている。アクセスが増えるとサーバー代が上がるが広告収入はゼロなので赤字にしかならない。そんなこともあってブログのタイトルはアクセスが集まらないようなタイトルにしているし、「ブログを成功させるコツ」みたいな方法の逆をするようにしている。 昔は家族や友人向けのつもりで書いていたんだけど、いつの間にかアクセスが増えまくってプライベートな事がかけなくなって、過去のブログの大半は消した。 投資ファンドというのは極めて機密性が高い仕事なのもあって仕事に直接関わる事は言えない。仕事の事がかけないんだからアクセスが増えても仕事上のメリットは無い。 記事掲載を依頼されると断る事について「もったいない」といわれるが、僕は自分の事をブロガーだと思ってないし、ブロガーとして認められたいとも思わない。 特に書きたいことも無い。講演とか頼まれるといつも困るのは伝えたい事とかあまりないからだ。ブログの中身は「よく聞かれること」に対する答えを書いているだけで、そもそも僕が言いたい事なわけではない。 というわけで、タイトルは単なるジョーク、アクセスが増えれば損をする、仕事上のメリットすらない意味不明なブログが、この「愛の日記」である。 「自分へのメリット」らしきものがないのになぜ書くのかと聞かれる。 僕はできるだけ、僕が知りもしないあなたが笑ったり、元気になったりして欲しいと思って書いているが、最終的には僕は自分のためにブログを書いている。そしてこの、ロクに更新しないダメブログを持っていて本当に良かったと思っている。 日本を離れて長い時間が経ち、家族や友人とも昔のように深い付き合いはできなくなり、みんなが知っている日本のニュースも知らなかったりして、日本とのつながりが薄くなっていることは疑いようがない。それは、僕にとってはとてもさびしいことなのだ。僕が路頭に迷った時に、帰る場所はあるのだろうかと思うのだ。それでも、日本に帰ると、ブログのおかげで会いたいと言ってくれる人がたくさんいる。 日本にいる時、「夜が空いたので誰か一緒にごはんでもしますか」とお昼に書いたら、とても飲み屋の部屋が取れないぐらいの人数が来てくれた。お茶会でもしましょうと事前にいえば数百人が応募してくれるし、わざわざ遠くから飛行機でほんの一瞬の会話のために会いに来てくれた人もいたよね。現実的にはほとんどの人には会えないし、ほとんどの人には全然時間を使えなくて、申し訳ないと思うが、ありがたい事だと思う。 ちなみに、僕は「こういう人」というタグらしきものがないせいか、来る人の年齢も性別もバラバラで、会ってする話もバラバラで、それぞれの皆さんが何で僕に会いに来るのかすら全然わからない。 ただ、僕にとっては、理由はともかく「話を聞いて欲しいと思ってくれる人がいる」というだけで、とても幸せな事なのだ。だから僕はこの空気一つ読めないポンコツ人間である僕の話を聞いてくれる人にとても感謝しているし、頼られる事で支えられていると思う。こうやって何かを書いた結果、理由もわからないけどとにかく自分を信頼してくれる人が地球の裏にいるというのは、すごく幸せな事だと思わない?想像しにくいかもしれないけれども、僕はそれはとても恵まれた生き方だと思うのだ。だから僕は、このブログを通して繋がった人にとても感謝している。なんか自分が立っている場所がそこにある気がする。いや、そんな事言っておいてほとんどミーティングリクエストには応える余裕がないんだけど。ごめんなさい。 ただ、僕が広告を入れないのは、皆さんに感謝しているからである。そして、読んでくれる皆さんから何かを受け取った時点で僕はいろんな事を勘違いするダメ人間だから入れないのである。収入があったらそれが重要な指標だと脳が勘違いしちゃう気がするんだよね。だから、基本的に僕がお金を払って、読んで頂く側であるべきだと思っているのだ。 というわけで、今月のサーバー代も赤字なんです奥さんごめんなさい、と、そういう話です。ほら、読んでも足しにならないでしょ?笑 でも、読んで頂いてありがとうございます。

ビジョン

僕が先日ツイッターで書いたことをカジケンがまとめてくれたのですが、何万人もの方に見て頂いたようなので貼り付けておきます。 MBA受験生の相談に乗った際に語った「ビジョン」のお話です。いつもどおり適当なツイートなんで文章めちゃくちゃですが 笑 古賀洋吉さんが熱く語る「自分のビジョンを持つこと」について。 カジケン、いつもありがとう。

飛べ若林君

この前ラーメン食べてたときに、サンフランシスコ近辺で配られている日本語のフリーペーパーにて、奥さんが天才少年を見つけました。在サンフランシスコ日本領事館も後援しているアツい作文コンクールの作品であります。 なお、こちらの作文の紹介はツイッターに限定して行っていましたが、お母さまから「光栄でした」との直コメントを頂いたため、ここに若林君の限りない才能を如何なく発揮して頂くべく、全力で転載させていただきます。 (出典: ベイスポ/編集長の許可を頂いています) なお、経済界の皆様より頂いております反応をご紹介致します。(注: 嘘ではありません) 最高 (米ニューヨーク州立大学助教授・経営学) 若林君の将来が楽しみ(ハーバード大学博士・楽天執行役員) ちょっぴりエッチなご両親の手が入っていないところがいい (経済ジャーナリスト、元週刊ダイヤモンド副編集長) 経済界における絶大な支持を引っさげて若林君が社会人になった暁には、彼の日本経済におけるインパクトは計り知れないものと想定されます。 なお若林君に至りましては、いったいどういうつもりでご両親が両方ちょっとエッチであることを作文に書いてしまったのかコメント欄にご説明いただきたく、ちょっとお前出て来い。

グローバルな英語

僕の英語力は微妙なのだが、なぜかアメリカ企業の海外戦略をよくやっているので、多くの国の多くの会社を相手にM&A(買う側・売る側)、Joint Ventureなどのパートナーシップ、投資などに関わる事が多い。 そういう時は投資先であるベンチャーのアメリカ人のCorporate Development (買収部門) のヘッドと一緒に海外に出向いて英語でディールをまとめるわけだが、基本的に海外買収するぐらいのアメリカのベンチャーのCorp Devのヘッドは、上場企業等で海外M&Aを多く経験してきたシニア・エグゼクティブであり、彼らから学ぶ事はとても多い。そんな経験から「グローバルな英語」について考えてみたいと思う。 本当の意味でグローバルに活躍するエグゼクティブがどういう英語を話すかを僕の経験からまとめると、 「いつでもゆっくり話す」 「わかりやすく、難しい表現を避けて話す」 「イギリス・アメリカ英語的表現を避ける」 「相手が理解できなかった時は質問されずとも察知して言い直す」 である。 つまりどういうことかというと、「自分に相手を合わせさせないで、自分が相手に合わせる」英語が最も重要だということである。言語だけではなく、ミーティング以前に「何を着て何を持っていけばいいのか」も非常に気にする。自分の常識が相手の非常識・失礼になる可能性をよく認識している。ミーティング開始時、「申し訳ないですが、私は英語しかできません。私の英語が早すぎたり、わからないことがあったら止めて質問してください。気をつけてますが、忘れてしまうことがあるので。」と言う人もいる。 本当にグローバルかつ大事な仕事をしている人は、グローバルに通じるものなんて、英語そのものを含めてほとんど存在しない事を良く知っているので、「完璧な英語が話せるから海外で仕事できる」なんて幻想は持っていない。ネイティブは腐るほどいるが国際的な取引をまとめられる人はほとんどいない(もちろん、高度な知識が必要という側面もあるが)。それは、「完璧に話せる」ことと「完璧に伝わっている」ことの間には、グランドキャニオンより深く広い谷があり、後者のほうがはるかに重要かつ難しいからだ。「私はちゃんと完璧な英語で伝えたが、なぜか理解されず取引が失敗した」などという言い訳は許されない。 本当にグローバルな場での真剣勝負のビジネスにおいて重要なのは、 ビジネスレベル以上の英語(重要度: 20%) 言った事がちゃんと相手に伝わっている事を確認できること=コミュニケーション力 (重要度: 80%) というのが実感である。 ちなみにビジネスレベルの英語がネイティブレベルまで上がったとしても、ビジネス上はほとんど影響ないと言っていいだろう。あなたの英語力がネイティブ以下だから重要な取引ができませんでしたなどということはほぼありえない。ビジネスレベルの英語力があったのに失敗したのであれば、それはコミュニケーションに失敗したか、そもそも真剣勝負のビジネスの取引ではなかった、ということだ。 ちなみに、「真剣勝負」つながりでいうと、サムライが真剣勝負で勝つ上で重要なのは、 まともな剣を持っている(重要度: 20%) 剣の達人である(重要度: 80%) という感じである気がする。 素人が超一流の名刀を持っていれば、しょぼい剣をもった達人に勝てると思っているなら真剣勝負をなめていると思わないだろうか?英語でのビジネス勝負もそれと完全に一緒である。完璧な英語力があれば国際的な舞台で活躍できると思っているならビジネスをなめている。 コミュニケーション力とは、相手に自分の気持ちが伝わっていることを目的とする「相手の理解中心」のスキルである。一方、完璧な英語を話せるというのは自分の思考を正しいフォーマットでアウトプットできて格好いいという「自分の発言中心」のスキルである。「相手がどのようにインプットしているか」と「自分の思考をどうアウトプットするか」の間には大きな壁があると思わないだろうか。相手中心・自分中心の観点は、モチベーションのレベルでいうとむしろ対極に位置していると感じないだろうか。 海外の会議やメディアにおいて、英語を話す日本人のビデオを時々見かけるが、残された英語のコメントが発言内容に対するものなのに対し、日本語のコメントは発音が悪いとか文法がヘンだとか恥ずかしいとか突っ込みをいれるものが多いのを見た事があるかもしれない。なんでそんなに「自分が完璧」であることばかり気にするのだろう。相手に何かを伝え、コミュニケーションをとろうとする人をバカにするのだろう。例えば、楽天の三木谷社長が「discuss」のあとに「about」をつけたがそれは文法違反だとか、発音がひどいとか騒ぐ人は、ビジネスの場で真剣勝負をしたことがあるのだろうか。カッコ良く完璧な英語が話せるという「自分中心」のスキルがあればビジネスを成功させられるとでも思っているのだろうか。 むしろ、そういう「自分中心」のスキルばかりにとらわれることで、多くの日本人は対極にある「相手中心」のスキルをおろそかにしているのではないだろうか。そうやって、「今のは完璧な表現じゃない」と自分中心の世界ばかりにこだわる人に、相手中心の世界でコミュニケーションができるのか、ひいては大事な仕事を任られるかはというと、それはとっても不安である。 もちろん、英語の発音やで文法が完璧で、ネイティブレベルであるに越した事がないのは当たり前だ。しかし、そこに引きずられすぎると、言葉は所詮ツールでしかないという事実を見失ってしまう。発音が完璧か、文法が完璧か、英語的に自然な表現か、といった外から見える形にばかり目が行く気持ちもわからなくもないが、真剣勝負のコミュニケーションにおいては外から見える部分よりもっと大事な事がたくさんあることを軽視してはいけない。 コミュニケーション力とは、言語に関わらず、フェアさ、謙虚さ、真摯さを核とするスキルの集合体であり、あたりまえで、普遍的で、難しいものである。その力を伸ばしたいなら、英語力はともかくかつ相手を尊重しながら自分の考えを相手に伝える経験を積むべきではないか。相手の英語力が自分より下なら相手に合わせて理解させ、上ならわからない事があったらちゃんと「あなたの話は伝わってない」と理解させる練習をしたほうがいいのではないか。 「お前の英語はイケてない」という外野の声を気にしてコミュニケーションを控えている間にも、現実の世界では、誰かが外野のツッコミをものともせず中途半端な恥ずかしい英語で世界をガンガン動かしている。 僕も英語はまだまだなのでがんばらなきゃいけないけど、一方で小手先の表現などにとらわれずに、相手に合わせるコミュニケーション力なくしてグローバルな英語もへったくれもないという当たり前のことを忘れないようにして、精進していきたいと思います。 追記: 僕が言ってるのは最近でいうと例えばソフトバンクの孫さんのプレゼンです。発音的にも文法的にもおかしいところだらけで、ネイティブからははるかに遠いですが、内容はすごいなあと思います。英語力がバカにされてM&Aが失敗するとは到底思いませんし、逆にほとんどのネイティブスピーカーに同じレベルのプレゼンはできないでしょう。

MBAとはどういう教育なのか

今日はアメリカのMBA(経営学修士)に関するお話をしてみたい。 MBAを取得すると年収が上がりやすいのもあって、生活費含めて二千万円ぐらいかかるくせにアメリカではMBAは人気の学位である。でも、日本からの合格者は少ないので、実態がわかりにくく、なんかお高くとまっているイメージがあるので批判の的になりやすい。「MBAは時代遅れ」とか「自己啓発セミナーみたいなもんだ」とか「MBA卒を採用したけどあいつら使えない」と批判をすると頭よさそうでオシャレでクールな感じだ。しかし、こういった話はほとんどがMBAを持っていない人の想像に過ぎず、実際はどういうものなのかわかりにくい。 結局、MBAとは何をする場なのか。今日はそんなMBAの実態について卒業生のおじさんの考えを語ります。(注:ハーバードに行ったのでハーバードの経験がベースになっていますが、学校によってフォーカスに違いはあります)   MBAとは【決断】の訓練の場であり、知識を得るのがメインの場ではない 学校のクセに、知識を得るところではない、というところがそもそも日本の多くの人にはピンと来ない部分だろう。知識を得るところに行ってない人に「何を学びましたか」とか「あなたの成功はMBAのおかげですか」と聞いても、はっきりとした答えは返ってこないはずだ。 では、訓練の場とはどういう意味か?それは訓練内容を説明すればちょっとは伝わるかもしれない。MBAの授業は、大半がケースといわれる、「(大抵は実際にあった)ストーリー+データ」が教材である。そして授業では、「こういう状態に自分が置かれたら、どういう決断をするのか、それはなぜか」が延々と問われる。期末試験もエッセイ問題が一問だけで「What will you do and why?」だけだったり。とにかく、「お前ならどうするのか」「お前ならどうするのか」「お前ならどうするのか」と何百ものケースを通じて問われ続ける。千本ノックに近い。 ちなみにハーバード白熱教室という番組でサンデル教授の授業スタイルが話題になっていたそうだが、MBAの授業はああいうアプローチをさらに学生同士の議論を中心にしたものだと考えていい。ほとんどの時間は学生がしゃべっており、教授は議論をファシリテートするだけである。まずとにかく「絶対賛成」「絶対反対」決断をし、明確なスタンスを取ることが求められる。そして両極端の意見の戦いが始まる。「その意見はここを見過ごしている。」「それは一方的すぎる。」「それは絶対に同意できない。」「間違っている。」「それは倫理的に問題がある」という議論が繰り返される。極論同士の戦いの中では、当たり前っぽい議論であっても逃さず議論されていく。(ちなみに、僕もそうだが、日本で育っていると、「そんなに全否定しあうことは無いんじゃないのか」「そんな当たり前のことを議論するなんてアメリカ人はバカ」「極論を言わず、理解を示すべき」と思ってしまうがゆえに、日本人は授業でとても苦戦する。) 教授陣がこういう極論を使った教え方をするには理由がある。議論の両極端を押さえないと、議論の地図の全体を描けないからである。日本人が好きな、「わざわざ喧嘩しないで、中間の解からはじめよう」というスタンスだと、全体の座標上、どこにその意見が位置するのかすらあいまいになる。結局、何を見落としているのかも議論されることなく、そこで思考が停止する。だから、結局現実的に中間地点に落ちるとしても、中間からはじめないで、あえて極論同士をぶつけさせて喧嘩し、お互いの視点の強み・弱みを浮き彫りにしてから重要な論点に落とし込んでいくのだ。 ただしトピックは極めて決断が難しいものばかりである。意図的に正解がない質問が選ばれているからである。例えば、あなたがアメリカの大統領だったら民間にまぎれたテロリストの拠点を空爆するかとか、伸びるかもしれないが現在足を引っ張っている部下を解雇すべきかとか、人の命を救う薬を採算度外視の価格で売るべきか(会社が倒産するリスクを背負ってまで命を救うべきか)とか、貧乏なときから寄付すべきか成功してから大金を寄付すべきかとか、週末に仕事をとるか友人との約束をとるかとか、とにかく、レベルは別としても価値観次第ではっきり白黒つかない話ばかりである。だからそもそも意思決定すること自体がとても気持ち悪い話も多い。意思決定に必要な完全な情報はそろっていないし、最後まで「これが正しい結論だ」という正解がわからずフワフワしている。どちらを選んでも誰かが不幸になるかもしれないし批判されるかもしれないし、こっちが明らかにハッピーエンドの正解みたいな選択肢は提示されない。苦しんで選んだとして、ビジネスの結論は、「その選択肢を取らなかったらどうなっていたのか」を検証できないので結果を相対評価することすらできない。それでもとにかく、自分はこう信じているという自分なりの、不完全な結論を何度も何度も出さねばならないのだ。大抵の重要な人生の決断って、そんなもんだけど。結婚とか。 結局、「何が正しいのか」ではなく、「お前ならどうするんだ」と聞かれている。 「お前ならどうするんだ」 「お前ならどうするんだ」 「お前ならどうするんだ」 このように決断の訓練を何度も繰り返して、何になるというのだろう?ひとつめは、決断プロセスの確立だ。自分のアタマの中で色々な視点を戦わせながら大事な論点に落とし込む事に慣れるということ。「俺はこれをできるに違いない!」と考えると、アタマのどこかで「そんなに簡単にはできない」という反論の声がする。「なぜ?」「こういう3つの障壁があるから」「この二つはこうやって解決できるから大丈夫じゃないか?」「しかし残りの1つは乗り越えられないのではないか」「誰かの助けを借りればいいんじゃないのか」「誰かとは具体的に誰か」「わからないので考えてみよう」・・・こうやって一人でクラスでの議論を再現できる事が大事なのだ。ふたつめは、決断基準の確立だ。難しい決断になればなるほど、「自分がどういう人間なのか」を知らずに答えが出せないものだが、意外と人は自分の決断を迫られるまで自分の価値観を知らないものだ。だからこそ、いろいろな種類の決断を迫られ続ける事で、「自分はこういう人間だから、こういう時はこういう決断をするんだなあ」という自分の価値観がクリアになっていく。例えば、「日本の死刑制度に反対か」と聞かれたら「場合による」「現状維持」という人が多いかもしれない。でも反対派に「それは賛成と同じだ、殺人に加担する理由は何か」と問われたら、自分の価値観をクリアにしないと答えに窮するだろう。自分の価値観がクリアになっていくにしたがって、人はシンプルになって、無駄な事をしなくなって、決断がしやすくなっていく。 こんな感じ。訓練内容がわかって頂けただろうか。もちろん、知識が無意味と言っているわけではない。財務分析とかは知識も必要だ。しかし、最終的には、「学んだ財務分析の手法を使って、教科書どおりの正解を求めなさい」みたいな問いではなく、「あなたはその財務の知識を使って、どう決断するのか」が問われている場なのである。最終的には、全てが決断に落とし込まれていく。 (ちなみに、MBAを自己啓発セミナーと例える人がいるがそれは誤解だと思う。MBAは、自分の意見を戦わせる訓練をする場所であって、黙ってありがたいお話を聞いて帰る場ではない。しゃべるのは自分であり、ひとたびしゃべればボコボコに反論される場であり、それでもしゃべらなければ成績がつかない場であり、だから説得力ある言葉で周りを揺るがす、それぐらいの決断力を育てなければならない。啓発されている場合ではなくて、啓発する側じゃないといけない。)   ホームランはどのように打てるのか、というハナシに似ている 「なんで決断に訓練が必要なのか」という疑問もあるかもしれない。なんでだろう。 突然だが、野球でホームランをどのようにしたら打てるようになるだろうか。もちろん、どのような球種に対し、どのようなフォームで打つべきかといった、「知識」は必要だと思う。でも、人間は本でセオリーを学べば、グラウンドに立ってホームランを打てるようになるだろうか? 答えはNoだ。筋肉を鍛え、何度も打席に立ち、何度も失敗しながら、限られた視覚情報を元に不確実なボールの動きを予測し、どのように打ち返すのかを過去の経験則を統合しながら瞬時に決断し、続けざまに筋肉を正確に反応させるという作業を実行する「訓練」をひたすら繰り返す。 MBAのビジネス上の決断に関する考え方も全く同じである。経験したことがない問題に対して決断するには、何度も不完全な情報を元に、限られた時間内で決断する訓練をすることが重要だ、と考えられているのだ。だから、ケースを重視する。フィールドスタディーという現実の問題に取り組む現場感覚を重視する。ビジネスプランコンテストで実際に起業の準備をしてみることを重視する。やってみては、失敗する。失敗から学び、またやってみる。そういう場所なのだ。 冒頭で、MBAの卒業生に「何を学びましたか」と聞いても、あんまり覚えていない、「あなたの成功はMBAのおかげですか」と聞いても、はっきり答えられる人はいない、そういうものだと書いた。それはホームランも一緒だ。「2年前の夏合宿では何を学びましたか」と言われても「まあ色々なメニューをこなしました」ぐらいしか答えられないし、正直何を訓練したのか覚えていない。「先ほどのホームランは2年前の夏合宿の成果ですか」と聞かれても、「まあそういう側面もあるでしょうけど、それだけじゃないし・・・」となるだろう。しかし、ちゃんと答えられないから、意味が無い類のものではないのだ。単に、訓練とはそういう性質のものだ、ということだ。 「MBAに行って、学びが無かった、無意味だった。不完全な情報を与えられて、適当にアウトプットするだけの、よくわからない場だった」という人は、何か大事な知識を教えて貰えると勘違いして行ってしまったからだろう。   MBAに対する日米の評価が違うのは、「決断」に対する評価が違うから アメリカではMBAはどう見られているのか。MBAはエグゼクティブの多くが持っていて、転職のときもよく条件として「必須(required)」あるいは「持っているのが非常に望ましい(strongly desired / big plus)」というのを良く見かける。米国のトップスクールに入ると、アメリカの大企業が幹部候補を採用すべくひたすら学生の取り合いを繰り広げる。その結果、アメリカではトップスクールのMBAを出ると、給料が卒業後に数百万円は上がるのが通常であり、そういう意味では他の「大学院」とは扱いが異なっており、MBA卒はわりと重宝される存在である。一方、日本ではMBAはどう見られているのか。そもそも、MBAが必須なんて転職条件に入っている求人はほとんどない。米国のトップスクールにいる日本人のところに、日本の大企業からの求人なんてほぼ来ない。来ても、給与を数百万上げるなんてことはせず、単なる「院卒」カテゴリーに入るだけ。MBAの良し悪しはおいておいて、そもそもなんでそこまで評価が分かれるのか、考えてみましょう。 一見、たかだか2年学校に行っただけで給料をそんなに上げるなんてアメリカ企業はバカなんじゃないのかという気もするが、本質的にはMBAを取ったから給料が上がったわけではない。作業する立場から、決断する立場に切り替わったから給料が上がったのである。そして、優れた決断をするという事は、がんばって作業する事より、はるかに会社が儲かるようになる上で重要だから給料に反映される、という一般論を反映しているに過ぎない。 一方日本の一般的な企業では、優れた決断によって会社に貢献しても給料はあまり変わらないことが多い。というか、日本のエグゼクティブはそもそも決断しない事が多い。取締役会レベルでも、社内役員会議でも、部下から上がってきたよくわからない話を承認したり「もっと調べてから来い」というダメだしをしているだけだったりして。そもそも、答えがわかっている事じゃないと決断したがらない事が多いが、答えがわかっている事に決断など不要である。不確実な状況で、不完全な情報を元に決断するから重要なのである。というか、どっちにしても、MBAをとった若造ごときを決断をする立場におかないので、使い方がよくわからず、とりあえず(決断ではなく)作業させてみたが、あいつ普通やんけ、使い道に困る、あいついらない、みたいなレベルの話になりやすい。だから、世界中の企業がアメリカのMBAの学生をすごいコストをかけて採用しにきている中で、日本からは全然こないのである。 そういう意味で、「MBAは使えない」というのは、使い方によってはたぶん本当である。決断の使い道が無いのに、決断を学んできた人をとっても役に立たないという、とっても美しくシンプルなお話である。だから結局、MBAを使い慣れた外資系に行っちゃうのである。外資系の仕事は少人数でまわすプロジェクトの仕事が多いので、決断の余地が大きいからだ。 実際には幹部候補としてMBA生を採用したいという日本企業もゼロではない。でも、いわゆる日本の大企業が採用にきて、契約ボーナス一千万円で初年度年収1300万円ですという好条件でも、MBAに来ている日本人がなびくことはほとんどない。日本のいわゆる代表的な企業(エレクトロニクスとか自動車とか)が幹部候補といって採用にきても、ワクワクしないのである。なんでかというと、「最初の給料が高いからといって、日本の大企業に入っても、どうせ決断させてもらえないから、学んだ事を活かせるエキサイティングな職場じゃない。決断できないなら、変えられないし、でっかい夢を描けない。」と思っているからだ。 結局、日米の差は、「決断」の位置づけが違う事に起因する部分が大きいと思う。   日本企業におけるMBA派遣はほとんどが「福利厚生」であって「決断」とか関係ない ちなみに、社費でMBAに行ったくせに辞めるやつが多いのでMBA派遣は無駄だからやめました、と嘆いている会社も多い。うんうん、確かに無駄だから、そういう会社は社費派遣とかやめたほうがいいと思う。 そもそも、なんで彼らがやめるのかというと、会社の経費で決断の訓練を2年もやらせておいて、帰ってきたら決断が求められる仕事を用意するどころか、前と同じような仕事が待っている上に、「お前2年も遊んできたんだから真面目に作業しろ」みたいな雰囲気が待ち構えているからである。他社が「ぜひその経験をうちで活かして意思決定して欲しい」と声をかけてくれているのに、自社に帰った場合は「遊んできたんだから働け」と言われる罰ゲーム的待遇の意味がどう冷静に考えてもよくわからないのである。 ホームページでMBA留学を福利厚生にあげている企業が多いが、MBAは本気で福利厚生つまり「ごほうび」というか「新卒を釣るエサ」であり、会社にとっては単なるコストである。そもそも会社が意思決定できる人材を育てたいからMBA派遣制度をやっているのであれば、それは福利厚生ではなく経営戦略上の「投資」であるはずだ。投資なのであれば、決断の訓練をして帰ってきた従業員に意思決定してもらわないと見合わないはずだ。というか、本気で決断の教育を尊重し、そういう人を活用している企業なら、辞められるどころかMBA生たちから卒業したら入れてくれとお願いしてくるだろう。 「社員が裏切って辞めるから、MBA社費派遣制度は終わりだ!」と辞めた人を責めるのは簡単だけど、そもそも福利厚生だと思ってやってるからそういう考えになるんでしょう。一方的に怒るばかりではなく、MBAホルダーが来たがる会社になっていないこと、つまりMBAが不要な会社なのに派遣しちゃった事が問題である事も認識したほうがいいと思う。 ようするに、「決断」の意味合いが違う大半の日本企業にとって、MBAは福利厚生程度のものであり、使わない能力に関して評価もへったくれもないというだけの事かと思います。     結局MBAは役に立つか?   僕はMBAが良いとか悪いとかいう話をしているのではない。MBAに行った人がみんな優秀ですばらしい決断ができるようになるみたいな極端な話をしているわけでもない。僕が言っているのは、以下である。 そもそもMBAは知識を得るところではなく、決断の訓練をする場であり、野球でいうと「打つセオリーを学ぶ」ことより「打つ練習」のほうに近い。何か知識がつくと場所だと思って行くと学生側も採用する側も「MBAは使えない」と思うのは当然。 […]

シリコンバレーに戻りました

出張、旅行、引越しなどが連続していた関係でバタバタしていたら、なんと年初のブログが旧正月より遅いという事態になってしまったという・・・。ツイッターで全部書いているので、近況報告しているつもりになってしまってましたが、ブログも書かないといかんですな。 というわけで2012年の11月の末から日本出張があったのですが、ちょうどボストンからシリコンバレーへの引越しも決まっていたので、ほとんど強引に出張と引越しをまとめてしまいました。しかし、そうなると、「まとめる」と決めてからボストンを出るまでの出張準備と引越し準備に1ヶ月しかない。すでに決まっていたフランス旅行に出かけたり、30代にして人生初の喘息にかかって初めてER(Emergency Room)に入ったりという尋常ではないバタバタぶりとなりまして、ボストンの皆様には殆どご挨拶する余裕もないままボストンを出ることになりました(ごめんなさい)。この喘息はかなり予想外でありまして、けっこう体力も奪われ、挨拶周りも全部キャンセル。喘息ってこの年齢でもなるのね・・・しかも、基本的にアレルギー反応なので、花粉症みたいに、付き合っていかねばならない類のものっぽい。とほほ。 無事にボストンの荷物を全部引越し業者に引き渡してから、家族で日本に発ち、日本で仕事をしてから、年末年始は休暇をとって家族で温泉に行ったりしてすごしました。日本で年末年始を過ごすのは2005年末以来、7年ぶりだったので、実家で時間を過ごしたり、地元の友人と「絶対に笑ってはいけない」シリーズで年を越したりして、「日本サイコー」であることを再認識いたしました。その後、年始をハワイですごしてから、そのままボストンに戻らずに1月中旬にサンフランシスコに着きました。 とりあえずこんな感じの急な引越し等で奥さんには多大なる迷惑をかけておりますが、そんなときは、奥様の好物・カリフォルニアにしかないハンバーガーチェーン「IN-N-OUT BURGER」のハンバーガーを与えておけば大丈夫であります。 シリコンバレーは暖かい!昼間運転していると暑いし。先日、友人にTシャツで「今日は寒いね」とか言われて、お前ボストンでその格好だったら死ぬぞと思いました。そしてラーメンうまい(もう、Haluと、Orenchiと、Santokaと、Misoyaには行きました)し、アジア食全般のレベル高い!まあ、アジア人の多さが半端じゃないからね、ここ。 でも、一番「帰ってきたなあ」と実感するのは、運転しているときの町並みかな。大通りのEl Camino Realとか、スタンフォード前のPalm Driveとか、現職・前職のオフィスのあるPalo Altoのダウンタウンとか、Mountain ViewのCastro通りとか、VCの多いSand Hill Roadとかを運転していると、あ~4年ぶりに帰ってきたのね、と思いました。 とりあえず、シリコンバレーのみなさん、ただいま帰りました。今後とも、よろしくお願いいたします。 あと、ブログのタイトル「愛の日記 @ ボストン」から、@以降を抜きました。これまで、「愛の日記 @ Web Version」、「愛の日記 @ HBS」、「愛の日記 @ シリコンバレー」「愛の日記 @ ボストン」という変遷を辿りましたが、ちょっと変わりすぎであり、かつ僕の人生たぶん変わり続けるので、もう@の後を変えるのが面倒くさくなりましたのでご理解頂ければ幸いです。 Palo Altoオフィスの風景・・・今日もいい天気。

シリコンバレーに転勤します

急なお知らせとなりますが、11月の末にボストンを離れ、シリコンバレーにある弊社パロアルトオフィスに配属となります。 今後の予定としては、11月中旬はフランスに行き、下旬にボストンに戻ってすぐに日本に出張となり、日本等で休暇をとってから、1月にボストンに戻らずシリコンバレーに移りますので、実際にボストンにいる時間はあと数週間となります。 ボストンにはハーバード時代を入れると5年以上住んでおり、知り合い・友人もたくさんできた所だったので名残惜しくはありますが、これからも時々来ると思いますので、ボストンの皆様には、今後も変わらぬお付き合いをお願いできればと思います。 2006年にボストンに来てから、日本人にとってのボストンというのは急速に変わってきました。そして、ボストン×日本は、今、最高にノッてると思います。 昔、ボストン×日本というのはもっとつながりがありました。しかしITバブルが崩壊したころから日本企業の縮小・撤退が続き、日本食のスーパーなどが閉じられたりして、僕がボストンに来た頃にはちょっと勢いがなくなっていました。でも今は全然違います。JALや総領事館の皆さんのご尽力で、ついにJALのボストン・成田の直行便ができ、アクセスのしやすさが格段に上がりました。ハーバードのMBAに唯一の日本人、竹内教授が参加されました。MITのメディアラボにはJoi Itoさんが所長として就任され、石井教授との強力なチームが実現しました。ハーバードやMITのみならず、さまざまなボストンの大学の日本人が、日本・アジアにフォーカスしたカンファレンスをがんばって立ち上げています。一方、食生活の質も劇的に上がってきています。気合の入った日本人たちがボストンにやってきて、夢を語れ(ラーメン)、Itadaki(日本食レストラン)、Zai(焼き鳥)、Sakanaya(刺身・寿司)といったすばらしい日本の店をどんどんオープンしています。他にもいろいろな日本のお店が立ち上がりそうです。アメリカ人の中での日本への興味も高まっており、今年、ワシントンDCへの桜の贈呈100周年記念で行われた桜祭りは、並んでも出店のものが買えないほどの凄まじい人気となりました。今、マサチューセッツ州知事は日本に非常に興味を持ってくれておりまして、僕も州知事の依頼でいろいろと日本との橋渡しのために動いているところです。 そういったあらゆる意味で、ボストン×日本は、ここからが面白いところです。 「ようやくボストンがいい感じになってきた」と喜んでいた矢先だったのですが、いろいろタイミングが合ったのと、最近冒険足りねえと思っていた都合で、イキナリ決断しました。日程を決めたのは今日なんですが、それなのに来月の今ごろには既にボストンに居ない予定であり、相変わらずそんなアレな感じで非常に恐縮です。 シリコンバレーの皆様、約4年ぶりに戻ることとなりますが再び宜しくお願いいたします。

愛の紹介シリーズ: ボストンから車で行く、夏の遊びどころ(家族向け)

先日まで、夏休みを取っていたんだけど、今回の休みはあえて遠出をせずにボストンから車で遊びに行ける範囲で遊んできましたので、日記がてらに遊びに行ったところを紹介しまーす。観光スポットというより、ボストンに住んでいる人が行くところって感じであります。メジャーどころはみんな知っているだろうから外しておきますが、もしおススメのところがあればコメント欄に書いて貰えるとうれしいです。 Crane Beach 車で北に一時間強 290 Argilla Road  Ipswich, MA 01938 シーフードで有名なボストンだが、このIpswitchはクラムの名産地であり、マサチューセッツの北の端っこに位置する。このIpswitchにある大きめのビーチが、Crane Beach。 写真でみてわかるとおり、暑い日は人でごった返す人気ぶりだ。巨大な駐車場に入るのに$15~$25の入場料がかかる。暑い日の午後イチに行くと駐車場がいっぱいになるかもしれないので、早めに行きましょう。 ただし、ボストン近辺はそもそもあんまり暑くない上に、海の水は冷たいので、泳いでいる人は少ない。子供を長いこと海に入れているとすぐに唇が青くなってしまう。でも波も高くないし、子供も楽しめると思われます。 このように人がいっぱいだが、海で実際に泳いでいる人は、小さな子と、皮下脂肪に守られた方が多いです。 波が低いので子供も波で遊べます。寒いけど。 Whale’s Tale Waterpark 車で北に2時間半 481 Daniel Webster Highway, Lincoln, NH 03251 アメリカでは、子供が遊べるようないろんなプールがあるところを、「Waterpark」と呼ぶ。うちのように3歳の子とかだと身長制限で大きな滑り台には乗せてくれないところが多いが、ここは年齢制限がゆるいので3歳ぐらいでもいろいろ遊べる。息子のちぇん太は大きなすべり台で大喜びでありました。難点はちょっと遠いところなので、こだわりがなければ一時間ちょっとで着く Water Country がおすすめ。 子供向けすべり台エリア。高いのから低いのまである。年齢・身長制限はないが、一人で乗らなければならないので、高いところから下るやつは2歳以下では現実的に無理でしょう。    流れるプールや、波のプールもあります。      大人向けの豪快なやつもいろいろ。ただし待ち時間が長い。 他にもいろんな種類のプールがあります。 Story Land 車で北に3時間ちょっと 850 New Hampshire 16, Glen, NH 03838 (Google Mapsでは850 New Hampshire 16, Intervale, NH 03845 […]