頭がいい人の不幸
昔から、よく人の仕事に関する相談を聞く。相手は、僕とは違い、トップの高校を出て、トップの大学をトップの成績で出て、卒業後にはトップの就職先という、ピカピカのキャリアを実現してきた頭のいい皆様が多く、僕などは話を聞くぐらいしかできないのだが・・・。
こういうエリートといわれる業界では、その華々しい表向きにも関わらず、激務に耐えられず、職場で倒れたり、ストレスで鬱病になって病院に行ったり、家庭崩壊したり、という話をしょっちゅう聞く。こうした異常な状態になったぼろぼろの人は本当に辛そうで、なんでこんな馬鹿げたことが、こんなに頭のいい人たちに起こるのだろうか、と思ってしまう。
一般化は難しいが、これだけ数が多いところを見ると、ひょっとしたら、彼らは頭がよすぎた結果、何が自分を幸せにしてくれるのかを考えるセンシティビティが退化してしまったのではないだろうか。
頭がいい人というのは、幸か不幸か、何でもできてしまう。いい大学やいい会社に入れと親に言われれば入れるし、上司にいい成績を残せといわれれば残せるため、言われたとおりに努力していれば、何でもうまく行ってしまう。しかし、つまづかないが故に、自分が何をしたいかを思い悩み、深く考える機会が少ないように思う。
学校や就職先のランキングも、会社の評価も、自分の市場価格という考え方も、全て「他人がしたいこと」の話である。他人に合わせて生きる事の問題は、「がんばっても他人の無限の欲望を満たす事は絶対にできない」ということだ。無限の欲望を満たそうとするということは、無限に(家庭や夢を犠牲にしながら睡眠不足と過度のストレスの中で体調を壊して入院するまで)働くということだが、自分という資源は有限なので必ずいつか倒れる。自分の幸せを他人の幸せと完全一致できる人間なら会社の利益のために倒れようと死のうとハッピーなのかもしれないが、そんな人はほぼいない。よって、素直に他人の人生を生きている人たちはほぼ例外なく不幸になる。
会社も、上司も、自分を幸せにしてくれるなんて事はない。「成長させてやるから」といって会社に都合のいい人間を作ろうとするだけだ。そりゃそうだ、それが仕事なんだから・・・僕だって部下にはそうするだろう。それなのに、他人に従う事が自分をいつか幸せにしてくれると信じて疑わず、そのまま倒れていくシンデレラ思想の人が多い。
というわけで、いわゆる頭の良い、エリートといわれている人が真っ暗な人生を歩んでいる一方で、全くエリートではない人がとってもハッピーに暮らしているというのは非常にありがちな話である。がんばってもなかなかうまく行かない人というのは、苦労が多い分、他人の評価にとらわれず自分と素直に向き合う事ができるから、ある意味幸せになりやすいのかもしれないね。
>エリートといわれている人が真っ暗な人生を歩んでいる一方で、全くエリートではない人がとってもハッピーに暮らしているというのは非常にありがちな話である
それって、イメージ的にはそうだし、よく言われるんですが、相関性は本当にあるのでしょうか。「エリートも、そうじゃない人も、いずれもハッピーな人も真っ暗な人もいる。」ってことないですか?
「激務に耐えられず、職場で倒れたり、ストレスで鬱病になって」って、エリートじゃない職場でも起こってませんか?昔某大手リテールの人事政策という謎のコンサルプロジェクトをしましたが、高卒の人も沢山いる職場でしたけど、かなりそういう人多かったです。(心が折れて休職中の人にインタビューして、会社への怨念を1時間くらい聞かされて死ぬかと思った。)セカンドティアのソフトハウスでも、入社10年で5−10%が心が折れて社会人脱落(退職・休職中)、という人の話を聞きました。。。。
(ごめん、ツッコミばっかで。「愛」あるゆえですので許してねw)
> Chikaねーさん
フフフ・・・愛をありがとうございます。
う~ん統計的にはわかりませんが、(1)僕の周りのサンプル(笑)では病院送り率や離婚率が「一般に比べると」異常に高い(2)よって一般に比べると不幸な割合が多いのではないか、(3)よって何か理由があるに違いない、という話です。
で、(1)が偏っているかと言われると、証明はできません。
もちろん、個別に見れば、Chikaさんのおっしゃるようにエリートではない職場でも起こるケースも多々ありますよね。ただ、それが一般的かと言われると、そういう会社の人事問題は普通そのうち是正される事が多いと思いません?まさに、コンサルタントが入るとかで。特に、企業規模が大きければ大きいほど、問題が大きくなる前にちゃんとしようとすると思います。
結局、やりたくない無茶を会社にさせられたら欝になる率は同じかもしれませんが、僕は「やりたくないことをしている率」も「会社に無茶をさせられる率」も、いわゆるぴかぴかのキャリアの人においては高いような気がしています。
こんにちわ。いつも楽しく読ませていただいています。
エリート業界に属するか否かにかかわらず、頭のいい人=状況を逐一客観視し分析できてしまう人、には起こりやすい悲劇のように思います。むしろ自分を幸せにしてくれるのが「それ」でないと理解していることが不幸の根源のような。世の中のしがらみというのでしょうか。
頭がいい=自分の価値観で我が道を生きる力、ではないですものね。
個人的には、「海外留学」は自分次第で「我が道を…」の力を得る大きな機会になると思っています。私自身、エリート道とはかけ離れた方法で、留学→海外就職・永住、の道をたどりましたが、スキルや資格の取得ではなく、自分自身を自分のやりたい方法で運転したいという欲求から、今の生き方の選択に行き着いたと感じています。
今後も楽しく温かいエントリー楽しみにしています。
こんにちは。
頭がいい人ですら不幸になるというのは、結構納得です。私のサンプル数は少ないですが、むかし会社の同僚でとても優秀な人がいましたが、無謀な仕事を抱えて病んでしまい、退職しました。
能力に関係なくランダムに不幸が訪れるとすれば、当然私にも不幸に直面する日はやってくるかもしれません。そうであれば「不幸にならないマニュアル」的なものにもすがってみたいものですが(笑)、不幸を未然に防ぐのってなかなか難しそうです。
それで、わたし思たのですが、
「みんな、いつかは多かれ少なかれ難しいシチュエーションに遭遇する。そこから、立ち直りができるかどうかが大切なのではないか」
と。
体調をくずしたり家庭崩壊した方(生き残れた方)のその後はどうなるのでしょうか。頭がいい人は一度失敗に直面しても、その教訓から学んで立ち直れる割合って高いような感じがするのですが、yokichiさんの感覚からいかがでしょうか?
ちなみに、はじめに書いた私の元同僚は、やっと回復したようで、お百姓さんをするそうです(憧)。
> Mamaki さん
頭がいいと自分のことを客観的に分析できるか、というとそうでもないと思います。分析力があれば「何をすべきか」はわかりますが、「何をしたいか」はわからないと思います。「好き・嫌い」は論理的に分析できる対象ではないと思いますので、別の能力が必要だと思います。
そして、別の能力だからこそ、「頭がいい=自分の価値観で我が道を生きる力、ではない」ということになるのだと思いますよ。
留学というのは、「日本人はこうやって生きなければならない」という既成概念を取っ払うような底力がある人にとっては、とてもよい経験になりますよね!
> アッキーさん
あくまでこれも僕の周りのサンプルのお話ですが、現実的には、家庭崩壊については、家庭崩壊していること自体気にしなくなる人も多いと思います(そうでない限り、崩壊する前に手を打つ)し、体調不良の場合は体調が崩れる寸前でバランスを取れるように学習する人が多いと思います。もしこれを繰り返して仕事を変えても、対策として「家庭崩壊しない、体調を崩さない仕事」を選んだだけで、「やりたい仕事を見つけた」わけではないケースをよく見ます。
いろいろと相談を聞いている限りでは、素直に他人の人生を生きることに徹底してきた人を突然百姓レベルまで方向転換させるのはかなり難しいです。そういう意味では、その人はすごいか、もとから他人の人生を生きていなかったか、ですね。
どうでもいいですが、僕も百姓を1年ぐらいやってみたいです。おいしいものいっぱい食べられそう。