最近の学生と直接交流してみると、僕が想像していたよりもかなり安定を重視しているように感じる。だから、クビになったり転職したりしながら生きている僕の人生はやたらリスクが高いように見えるらしく、「そんなリスクとって不安じゃないんですか」「古賀さんの考え方は変わってる」みたいな話をいっぱいもらう。それを見て、正直言うと、「なんだか今の学生は老人になってしまったな」と思う。(もちろん人によるので「学生」とひとくくりにするのは問題があるとは思うけど、割合として)。心配なのはよくわかるし、合理的だと思う。しかし、安定を求める方法が「過去に安定してた企業に今になって入る」じゃ、むしろ不安定まっしぐらに見えるわけでありまして。
そこで今回は、ちょっと「安定」について話をしてみたい。なんか長くてまとまってないけど、週末にあまり時間使いたくないので許してください。笑
経済が不安定なんだから、不安になるのは当たり前
もちろん不安の原因は、経済・企業がこれから不安定になるからに他ならないだろう。不安定だから不安に思うのは当たり前だと思うので、これはよくわかる。これから、安定していたはずの企業がつぶれたり、統合されて重複が切り捨てられたり、海外に買収されていろんな部門がつぶされたり、いろいろするでしょう。それは残念ながら、現在の政治・経済の情勢や、少子化、世界における相対的な地位の低下だけでなく、そうした状況をなかなか変えられない日本の様々な組織への落胆など、いろんなものがあるのだと思う。
それはそれでしょうがないのだが、もしそうやって企業が不安定になっていくと思って不安なら、過去のデータとかランキングとかを見ながら「安定した企業」とやらにに守ってもらることに集中し、そこに雇ってもらえればもう安心と思うのは、矛盾していると思うわけです。いやだから、そういう企業も不安定になるかもしれないという環境を心配しているんですよね、と。
「人気企業」が大規模レイオフをするようになる時代が来る?
過去においては、日本は経済も伸びて雇用も増えてきたわけだから、安定した企業に入れば雇用は増え続けるので解雇もなく安泰だった。でも、将来は、経済が伸び悩み雇用も減るわけだから、安定していた企業が大規模なレイオフをする時が来るというのがとっても自然な考え方だと思う。
そう、レイオフ。
過去に安定していたはずの企業が、10年とかすれば、大規模なレイオフを行わなければならなくなるかもしれない、と思う。そうしないと会社がつぶれてしまう、という二択を迫られれば、解雇規制を変えてでも、やるしかなくなる時が来るのではないだろうか。
安定を求める人が集まる企業は数十年後はヤバイ気がする
企業は、これまでと同じ事をやっていたら縮小していくのだから、リスクをとって新しい事をするしかない。そんな状況で、「安定を求めて入社しました」というタイプの学生が集まるような会社で、大丈夫なのだろうか?そんな安定志向の学生が30年後に経営者になったころ、リスクをとって利益を生み出せているだろうか?むしろ、逆な気がするんですが・・・。安定を求めて入る学生が多いような組織は弱体化するだけではないだろうか。
もちろん、「安定した企業は必ずレイオフする」とまでは言えない。しかし直感的には「安定したい」みたいな人が集まる共産主義的な企業はその時点でかなり衰退の匂いがしていて、将来の大規模レイオフ候補企業に見えてしまう。企業なんてしょせんは人間が経営してるんだから、そんなもんだと思うんだよね。皮肉にも、「安定を求める人が集まる企業だから不安定になる」なんてことになるかもしれない。
安定を求めて入るような人が集まる会社はもう、大胆な自己変革ができずに傾き始めているのでは、というウワサもありますが・・・。
と、ここまでが、長い前置きで、以下が僕の考えです。
若い時に、企業に安定を求めるのはリスクが高すぎる
振り返ってみると、そもそも出発点として、日本のマクロの経済要因のせいで、企業に安定して勤める事ができるか不安だ、というところから始まっている。それが正しいとすると、
- 「日本の企業はこれから不安定になる、だから安定した企業に入る」というのは説得力があるように感じられない。(そういう企業が危なくなるかも、という話なので・・・)
- 「日本の企業はこれから不安定になる、だから企業に守ってもらう事を前提とするのは危険」というのならば、わかる。
つまり、「不安だ」はわかるが、「不安だ→安定した企業に就けば大丈夫」という論理は、とてもヘンだと思うのである。
そもそも、ビジネスにおいて絶対の安定なんてものはない。さっきも書いたが、日本は経済も伸びて雇用も増えている特別な時代はとっくに終わったわけで、競争力が低下している大企業がレイオフしないで生き残れるとも思えないんだから、レイオフなんてもんは、一定の割合でされるもんだ、と思っている。
「安定」とかいうけど、無理だからそんなの。いや、そりゃあったら嬉しいんだけど、僕はとっくに諦めている。だから、これから経済が不安定になって、大企業でのレイオフが起こるようになるかもしれないというのに、20代で「安定を重視しています」なんて、僕にはリスクが高すぎてとても言えない気がする。僕には「安定」なんて言う精神的な余裕はないかもしれない。
社会に出ると保護者がいなくなるので、会社に保護者になってほしい気持ちはわかるんだけど、大人になったら保護者なんていないので、最終的には自分で安定を生み出すしかないと思うわけです。
安定をもたらすのは実力のみ
企業が守ってくれないならば、自分の実力だけでしょう。「はい出ました実力!」とバカにされるかもしれないけど、まあ、それが悲しい現実だと思うんだよね。
そういやこの前、GoogleのDon Dodgeという人が弊社のイベントにきていたので、世間話をしていたとき聞いた話。彼は、米マイクロソフトをレイオフされたのだが、メディアでアナウンスされた数分後にはGoogleからすごいオファーが来たらしい。スゲー!!と思った。まあ彼は米マイクロソフトで最も有名なエグゼクティブの一人だったので極端な例だとしても、僕が言いたいのは、安定してるというのは「会社に属していなくても、個人として強いという状態」だと思う。そういう実力があれば、「雇ってもらえないと不安」なんて事にはならないわけで。
これはめちゃくちゃ難しい。そう、安定するというのは、そもそも、大企業が守ってくれればOKなんて単純な話よりも、本来めちゃくちゃ難しいのだと思う。
なお、安定しているというのは、(貯蓄がすごい人を除いて)「過去の投資のおかげで困らないだけの一定収入を得られる」という状態だと思う。つまり、投資回収モードに入っても、回収量が十分にある人は安定している、と思う。自分の実力で安定するには、当然、自分に投資をしなければ無理だと思う。
(実力をつけるためにはどこで働くべきか?それが大企業かベンチャーかなんてことは小さな問題だし、どんな職種かというのも小さな問題だ。そもそもみんなと同じ事をやっていたら価値なんてだせないんだから、なんかそういう、就職先のカテゴリーっぽい「正解」があると思う事自体にすごく問題があると思う。そして、つけた実力が社会に求められるかなんてわからないので、努力さえすれば報われるとも限らない)
前述のように、会社が頼れないのであれば、安定は実力への投資回収によって生まれると思うのだが、結構大事なのは、いつ実力を求めて投資をし、いつ回収するのかだと思う。企業の安定だって、大抵は「これからこのビジネスが伸びる」と思うものに設備投資し、それが当たった時に生まれる。人間でも同じだと思う。将来の安定のために事前にリスクをとって投資せずに、将来何をもって安定を生み出せるだろうか。
僕は、今の時代は、20代とかに「安定」とか言って余裕かましている場合ではないと思う。特に、もし将来の結婚とか育児とか考えているならば、安定なんてもんは子供が大学行くころに最も必要なものである気がする。にも関わらず、20代の、傷つくキャリアすらない学生が、安定ばかり求めて生き方を決めてしまうのを見ると、すでに投資回収モードに入った撤退モードの老人みたいに見えてくるのである。
「若い時、余裕を重視し、本当に安定が必要なときに路頭に迷う」というのも、「若い時に不安定の中でサバイバルできるようにして、不安定になっても食いっぱぐれないように実力を育てる」というのも、リスクが前か後かの違いでしかないのかもしれない。しかし、投資というのは基本早期に行ったほうがリスクが低いし後から長期回収できる。さらに、日本の経済はこれからさらに不安定になるのであれば、路頭に迷ってから「手に職を」とか言っても既に手遅れになってしまうかもしれない。
だから、僕から見ると、「安定」とか言ってる学生はリスク取りすぎに見えるわけですよ。これからの日本で、「安定を重視してます」って、そこまで余裕かましていて大丈夫なのかと。
僕には「安定を求める」というリスクとる勇気は無い。今も、まだない。
そしてこの、「安定したいならば、人生の前半に投資し、経験を積んだら後半に回収すべきで、最初から回収モードになるべきではない」という話は、どんな職歴でも、学歴でも、能力でも、同じ考え方が適用されると思う。
高速に回転する駒だけが安定する。例え過去にどんなに安定して回転してきた大きな駒に身をゆだねても、減速すればあっけなく倒れる。もう、そんなの、たくさん見てきたでしょう。だから、自分自身が回転し、成長し、変化して、実力を高めることで安定を生み出すのが、最もリスクを取らない戦略だと思うのであります。