会社の幸せと個人の幸せ

今回は、会社の幸せ個人の幸せを混同すると、30過ぎた頃に「こんなはずじゃなかった人生」がやってきて、場末のバーで酒を片手に「現実なんてそんなもんさ」といいながら、氷がグラスに当たってカランという音がしますよ、というお話です。

僕たち人間には、それぞれ人格があり、誰一人として同じ人はいないから、他人と幸せの形が完全一致するなんてことはありえない。当たり前だよね。

一方で、会社組織というのは人間と一緒で人格を持っていると思う。それぞれの会社によって、それぞれの幸せの形をもっている。夢も、ビジョンも、プランも、性格も違う。

別人格である以上、自分の幸せと会社の幸せが死ぬまで100%一致し続けるなんてありえない(個人の起業を除く)のだが、このズレに気づかないと、人生大変な事になってしまう。そのプロセスについて、またお絵かきで説明してみたい。うまくできるかな・・・

若かりしころ、初めて就職活動をしているときを考えてみよう。

自分はどういう風に社会人として生きていったら幸せなのか誰しも考えると思う。ただ、どうやってそこに到達するのか(どの会社に入れば幸せに近づけるか)ははっきり決まっていないだろう。

そこで、僕たちは、幸せの形が近い会社を探して、一緒にすごすようになる。

しかし、会社にはそれぞれの幸せの形があり、目指す姿も、社会にどのようにインパクトを出しながらお金を得たいのかも、最終的には少しずれている。

ただ、道には幅があり、必ずしも細い一本線ではないので、方向性が似ていれば、重なった幅の中で幸せに向かって一緒に歩むことができる。会社としても、例えばGoogleのように、この幅を広くとることで重なっている期間を引き伸ばすことはできる。

ただ、そのうち、めちゃくちゃ大事な瞬間がやってくる。自分と会社の幸せに対する価値観があわなくなる瞬間である。

当然、ここで選択に迫られる。

  • 会社の幸せのために自分の人生はゴミ箱にポイして会社のために生きる 社畜コース
  • 自分の幸せのために会社から離れて自分の人生を生きる 自立コース

当然、人間が幸せになるために生きていると仮定すると、自分の幸せのために自立しなければならない。(プロなら無責任に自分の思い通りにしようとするのは勝手、みたいな話もあるが、本来プライベートな時間を誰に「プロの時間」として売ろうと勝手

が、人生の転機となる事が多い30代の前半に、勢いのあった20代の夢を忘れてくすぶっている人が多い。つまり、多くの人は社畜コースを選ぶ。なぜこんなことになっているのか?

原因は、洗脳だと思う。

僕たちは毎日、評価され、給料をもらい、昇進をちらつかされ、褒められたり怒られたりしているが、これは会社が会社を幸せにするために行う洗脳である。ひとたび会社に洗脳されれば、もう自分の幸せは見失っているので、「大事な瞬間」がいつなのかすら、気づくことは無い。

コンサルタント時代には、「コンサルタントは、こうあるべきだ」「いいコンサルタントは、こうだ」「コンサルタントなんだから、こうバリューを出せ」と言われた。当たり前だけど。黙って言うとおりにがんばる素直な皆さんは、評価もいいし、給料もあがるし、昇進もする。が、僕は「いいコンサルタント」になるために生まれてきたのではない。「仕事はアウトプットが全てであり時間は関係ない。」などという洗脳も「それ、会社の都合でしょ?僕がこの世に生まれた時に与えられた価値のあるものは時間と肉体だけ。時間のほうが大事」と思う。それで評価を下げたいならどうぞ下げて結構。給料を下げたいならどうぞ下げて結構。それでも会社が僕に合わせないならその会社はクビにすべきであり、ほかのより価値観の合う会社に移るべき。

かくして別の会社に入るのだが、やっぱり道は完全には重なっていない。長い人生の中で、いつかまたずれる日がやってくるだろう。

だが、それでいいと思う。会社が、会社員を幸せにしてくれるわけがない。もちろん会社は「社員の幸せを目指す」と言うが、それを信じているならそれは幻想である。他人の言う事を聞けば幸せになると思っていること自体、シンデレラ思想というものである。

会社は会社を幸せにする責任しかない。僕たちを幸せにする責任は僕たちにしか無い。

だから、僕たちは会社から自立して、自分の幸せの為のキャリアをマネジメントしていかなければならない。

会社の幸せと自分の幸せを混同した瞬間、人生を会社にまるごとプレゼントしているようなものである。なんという気前の良さ!

あとは洗脳されているうちに、僕たちがもっていた夢も、希望も、いつの間にか曲げられてしまう。そして、10年もすれば僕たちが最初に何を目指していたのかも、ほとんどの人たちは忘れてしまう。そう、ほとんど。そして、ふと気づくと、あまりに当初の予想とは違う自分の未来が現実となっているのに気づく。何が悪かったのかはわからないが、失った時間は帰ってこない。そして、30過ぎた頃に「こんなはずじゃなかった人生」がやってきて、場末のバーで酒を片手に「現実なんてそんなもんさ」といいながら、氷がグラスに当たってカランという音がするわけです。

というわけでかなり極端でうがった展開をしてしまいましたが、会社をめちゃくちゃ愛している人はそれでいいのかもしれません。

ただ僕が思うのは、一度しかない人生で、「こんなはずじゃなかった」「あの頃は良かった」なんてあきらめたような泣き言を言ってはいけないと思うし、自分以外の何かが悪いみたいな言い方をしたところで、自分の幸せを捨てるか捨てないかは、いつだって自分の手にゆだねられていると思うんです。

プロとしての自覚はとても大切ですが、だからといって自分の人生の手綱から手を離してはいけないと思います。一度しかない人生の、一度きりのキャリアなのだから。

13 replies
  1. tomokolea
    tomokolea says:

    お茶会のときの、「自分がどういうときに幸せを感じるかを、まわりのノイズを一切排除してよく考える」っていう話もすごく印象的でした。
    大事なことなのに、それがきちんとできてなかったから、洗脳されかけてた気がします。
    この矢印の話を聞いて、いろんなことがすごくクリアになりました!

    Reply
  2. HY
    HY says:

    洗脳とまでいいきっちゃうとはまたまたスゴイ。経営者がこれ見るとドキッとしちゃうんでしょうね。ただ、上記の考え方を結婚生活に厳格適用すると、アブナクなっちゃうのかなという気がしました(経験者)。

    Reply
  3. yokichi
    yokichi says:

    > tomokolea

    そうだね。んじゃ、幸せを感じることをやろうというお話でも書こうかな?

    > HYさん

    「会社をめちゃくちゃ愛している人はそれでいいのかもしれません」と書きましたが、愛情がある場合は別だと思います。

    というのも、愛情というのは、自分単体の幸せを、相手との共同の幸せのほうが上回る状態に変化するのが「通常」の状態かと。だから、自分の幸せ自体を方向修正できないと、結婚生活も厳しくなるんじゃないかと思います。

    Reply
  4. RYU
    RYU says:

    いつも拝見しています。
    はじめてコメントします。
    今回の記事、めちゃくちゃ同感です。

    私は、最近クラウドやiPhoneなど、安価で強力なウェブサービスが発展していることで、個人だけでビジネスができる可能性が高まっているので、あきらかに会社という存在の重要性が低下していると思います。

    会社自体が在宅勤務を導入したりしてますし、派遣社員を入れたりと経費削減しています。会社は、経営的判断に関われる能力のある人だけを正社員にし、あとの雑務のような仕事はすべて、派遣にするという流れになると予想します。

    会社に頼らなくても自分の力で稼げる能力が必要になってくると思います。

    会社は組織ですから、一つの方向に向かわせるべく、経営者がビジョンの共有を唱えたり、研修をやって、社員を会社人間にさせなければまとめられないのでしょう。

    むしろ、個々人のやりたいようにやるのが自然の本性だと思います。ウェブサービスの発展で個人が力を持てる現在は、会社という集団につなぎ止めようとしても難しくなっていると思います。

    おおげさにいうと、ベルリンの壁崩壊で共産主義国が西側に移る前夜の状況と似ていると考えます。

    毎度、刺激を受ける内容ありがとうございます。今後もおもしろい記事を楽しみにしています。

    Reply
  5. O
    O says:

    いつも楽しく拝読してます。
    ぼんやりもんもんと考えていたことがこのエントリーを読んでスッキリしました。
    ありがとう。
    同感です。
    絵がいいですね。
    わかりやすい。
    巷には自己啓発本が溢れていますが、今必要なのってむしろこういうことに気づかせてくれる本なのかな、と思いました。
    感謝。

    Reply
  6. にょ
    にょ says:

    おひさしぶりです。

    研修でほとんど同じお話を部長級の方から聞いたので、
    非常に驚きました。

    あれ?スケジュールには商品デザインについてレクチャーがあるのに?自分の幸せと企業の幸せのベクトルの向きついて?
    という具合です

    新入社員むけの話で、みなさんも将来もし転職するとしたら…と話され
    内容もこの記事のように深いものだったので、感心しました。

    自分の頭で考える方々が行き着く幸せのあり方は
    ほとんど同じなのだろうか、と思いを巡らせています。

    Reply
  7. yokichi
    yokichi says:

    >にょ

    お久しぶり!そうなんだー、その部長の方とは気が合いそうです!(笑)

    >mi

    ニックネームに統一感ないね(笑)。とりあえず・・・メモありがとう(?)

    Reply
  8. yokichi
    yokichi says:

    >Ryuさん

    仰るとおりで、ビジョンを社員と共有し、同じ方向に纏め上げることがマネジメントには必須ですよね。会社としては、社員との方向性がずれないように、方向の近い人を雇うこと、そして、そういった人が離れないように、できるだけベクトルの幅を確保するのが大事だと思います。Googleなんてうまくやってますよね。でも、それを会社が幸せにしてくれるという勘違いをしてはいけない、というだけですね。

    >Oさん

    そういって頂けて、よかったです!

    Reply
  9. やすたか
    やすたか says:

    ここにあるように”幸せ”の尺度を自動的に職業的軸のみに結びつけること(雇われ,自営にかかわらず)って、いまの日本人によくある囚われた考えですね。

    Reply
  10. 樫村
    樫村 says:

    基本的には同意ですね。しなしながら古賀さんも認識されていると思いますが、会社と自分の価値観の分岐点での選択肢は社蓄と自立の2つのみではなく、その間にもう一つあると思います。自立を目指したいんだけど、冷静に判断すると自分の能力その他の問題でリスクがあると判断したときに、「今の会社で自分はもっと成長できるか?」と考え、Yesであればもう少し会社にいるという選択をするだろうし、成長で着ないと思えば、別の選択をすることになると思います。ま、細かい話ですけどね。

    Reply
  11. kitar
    kitar says:

    はじめまして。

    10年前この記事に出会い感銘を受けた1人なのですが(当時社会人3年目、その後スタートアップ創業を経て現在スモールビジネスを営んでいます)、久しぶりに読み返したいと思い探していたら偶然リンク切れを見つけました。

    些末なことで恐縮ですが、どうご連絡すると良いか分からずひとまずこちらに残させて頂きます。もしよろしければご参考くださいませ。↓

    ・Essayページから本記事へのリンクが別ページに飛んでいるようです
    http://yokichi.com/essay.html

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