守られたら弱くなる
風邪引いたっぽく、寝込んでます。寝込んで何がつらいって、ヒマなんだよね。家族にうつさないように、仕事部屋に隔離状態で、テレビも見られない・・・。
そんなときはブログでも書いてみる。←寝ろよ!
さて、僕は夢見がちである一方で、本質的にグータラである。迫りくる危機がなければ絶対に何もしない。子供のころから試験勉強は例外なく一夜漬けである。
よって、守られる環境に身をおかれたら、僕は現状に満足し、グータラしはじめ、チャレンジを続けたいなんて夢見がちな事を思わなくなるということは、誰よりも自分が知っている。
そんな僕が一番恐れているのは、安定した資格を持つことと、安定した職を手に入れることである。なぜかというと、そういうすばらしい守れらた立場にいながら頑張るほど、ぼくは強くないからである。
もし、難関の資格(医者、弁護士、公認会計士など、何でもいい)に合格して、「規制(=自由な競争を曲げるもの)に守られる側」になったら・・・。
もし、安定した公務員や大企業の社員になって「ワタクシは○×省(株式会社○×)の古賀でございます」と言って自分が成功した気分にでもなったら・・・。
それなりに怒られない範囲で適当に仕事しながら、絶対現状に満足してグータラしてしまう自信がある!!!
ああ恐ろしい・・・
資格の多くは、「最初がんばれば後はがんばらなくていい」という意味で、更新性のものなら「実力維持さえすればいい」という意味で、僕を駄目にする以外の効果が無い。安定した勤務先にしても、激しい倍率の入社試験を潜り抜けた末に、終身雇用+年功序列の安定した仕事についたら、その時点で会社がしいたレールに従うようになり、いつしか「若い世代はキレるべき」で書いた「 」側になるだろう。ひょぇ~
ちなみにぼくがもし、グータラでないのであれば、資格や安定した雇用が無くてもどっちにしろ実力を伸ばし続けるので、資格や安定雇用などあっても無くても一緒なのだが、グータラなのだからしょうがない。
イメージとしてはこんな感じ↓
お前MBAとったやんけと思われるかもしれないけど、MBAは資格ではないので取っても誰も全く守ってくれないだけでなく、むしろそこからが挑戦の始まりである(ハーバードのMBAを取っただけで、楽な人生が待っている・・・そんな話は聞いたことがない!)。ただ、それまでには挑戦できなかった面白そうな事に挑戦できる環境をくれる。
グータラな僕としては、「狭き門」をくぐるなら、その先自分を守ってくれるものよりも、その先に新しい挑戦をくれるもののほうがいい。
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