無責任なアドバイス
人の相談に乗ることが多い。よくわかんないけど、キャリア、人生、恋愛、なんかいろいろある。
数多く人の相談に乗っていると、用事も無いのに「俺って若いけどすごいから会ってください」みたいな人もいる(そういう人はたいていすごくない)し、長いメールで相談に対応したのに無視する失礼な人もそれなりにいるので、こんな事して意味あるのかと思うときもある。でも、僕は人にアドバイスしてもらいながら生きているので、逆にアドバイスを求められたらできるだけ対応するようにしている。
時には、リスクをとって生きていくべきか、という相談を受けることがある。
僕はこういうとき、笑ってさくっと「挑戦してみなよ」と言うことが、たぶん普通の人より良くある。(言わないこともあるけど)
・・・ということを公に言うと、僕みたいに「やっちゃえ」というのは「やめろ」派にはとても無責任に聞こえるらしく、無責任だ、いい加減だ、安易だ、と言われる。おっしゃるとおりです!僕がするアドバイスはいつも無責任!本人が失敗した時に責任なんてとれません。
でも、これだけはわかってほしい。僕はいい加減にアドバイスをしているつもりじゃない。僕だってこのアドバイスをすることは恐ろしいし、笑顔の裏では手に汗かいてビビッているということを。
「やめろ」というアドバイスをするのは簡単だ。他人が失敗した事例のデータはいつだって豊富なので、論理的に脅かしてあきらめさせることのほうがよほど説得力があると思う。
一方、「やれ」というアドバイスをするのは難しい。僕がその人の可能性を信じている事意外に、何の根拠もない。「やめろ」派に対して説得力のある客観的なデータもロジックも何一つない。単なる主観である。
それでも僕は、本人の可能性を信じていたら背中を押してみる。うまくいかないかもしれないし、後にあんたのせいだと恨まれるかもしれない。「やめろ」というほうがお互いにとってリスクが低い。
でも、世の中には限られた可能性に賭ける人が必要なのだ。
「可能性」・・・すばらしい言葉!
芽生えた若葉のようだ。雨がふらなかったり、台風がやってきてしおれてしまうかもしれない。でも・・・・ひょっとしたらいつか美しい花を咲かせるかもしれない!
でも、この「可能性」という若葉を育むことはとても難しいし、恐ろしい。「可能性」というのは、裏を返せば「確実ではない」という意味なので、リスクを消すことはどうやってもできない。でも、こうやって、「可能性」を信じて、データで裏付けることができない事に挑戦する人にとってもっとも重要な栄養は自分の力を信じることである。言い換えれば、勇気。
未来は誰にも証明できない。すばらしい力を秘めた本人ですら、つらいことがひとつあれば自分の事を信じられなくなって迷いが生じる。こうして可能性の芽はいとも簡単に摘まれてしまう。で、僕の前にアドバイスを求めてやってきて、そのしおれかけた「可能性」は僕の前に提示される。
僕とあった人からすればヘラヘラしていたと思うが、真剣勝負である。自分の話す言葉がその人にどれぐらいの影響を与えるか把握しているわけではないけれど、ひょっとしたら大きな影響を与えるかもしれないから・・・。
短い会話の中から、その人のすばらしいところをたくさん探す。そして、その人の「可能性」を信じることができたら、僕はそれを正直に伝える。でも恐ろしいよ。知りもしない将来。でも僕は自分に言い聞かせる。本人が自分の力を信じられない時こそ、僕がその人の力を信じなければならないと。この人がこの人(自分自身)を信じているよりも、僕はこの人を信じていると。だから、いけると!そう思って、僕は「僕はあなたならできると信じています」と手に汗にぎって言っているのである。
確かに、僕が「やってみたら」といったところでその程度の根拠しかないので、うまくいくかどうかなんてまったくわからない。でも僕がその人を信じているというのは本当だ。あんまり足しにならないかもしれないが、それだけはわかってほしい。
・・・とまあ、そんな独り言を言ったところで、結局は、「リスクがあるのにいい加減な事を言うのは無責任だ」と言われる。でも、僕はこれに関してはこの日記をもって反論させて頂きたい。
あんたこそ、その手で握りつぶした可能性に責任が持てるのかと。日の目を見ることなく消えていった将来がその人にとってどれだけ大事だったのか、あんた知っているのかと。「お前の力ではできないからやめておけ」といってその人を信じなかったのがそんなに偉いのかと。恨まれることもなく、誰でもいえるようなアドバイスが、どうしてそんなに責任のあるアドバイスなのか。
twwitterからきました。
素敵な文章でしたので足跡のこさせてください。
もし私がリスクを取るべきかというアドバイスを人に求めるとしたら、それは「リスクを取りなさい」と背中を押されたい時だとおもう。
そして、相談する相手は、自分が心から信頼できる人にする。たとえそれが、全く会ったことのない人だとしても。
だからyokichiさんに背中を押された人はそれを信じて頑張れるんじゃないかなと思いました。
ただ、前提として、yokichiさんもおっしゃっているようにアドバイスする側もその人の加納性を信じることが出来ないのであればそんなアドバイスするべきではないし(yokichiさんはもちろんしないと思いますが)、アドバイス受ける側も背中を押してもらったあとは悪い結果は全て自分に責任があり、いい結果は両者のおかげという暗黙の?了解があったほうが良いとは思いますが。。
何が言いたいのかわからなくなってきましたが、全面的にyokichiさんの考えに心震えました!!
色々書いていただきましたが全部その通りだと思います。悪い結果は本人のせい、いい結果は、本人のおかげだと思いますけどね。それがわからない人には、別の類のアドバイスをしたほうがいいと思っています。
お久しぶりです。
yokichiさんから「今度はお前が後輩にアドバイスをしてやれよ」と言われたのを覚えています。
もちろん私もこれまでの人生の中でいろいろな方からアドバイスを頂いたおかげで今の私がいるので、私のような男でもできるだけ今まで学んできたことを友達・後輩に還元していってるつもりです。
こういったyokichiさんエッセンスもうまくパクリながら伝えていけたらなと思いますw そうすればみんなのうさんくさい価値観も少し広がると信じています。
何が言いたいかというと、とにかく勉強になりました。
このエントリを読んで、自分も自身の可能性を信じて生きていきたいと強く思いました。ありがとうございます。
はじめまして。Yokichiさんの仰る通りだと思います。私は現在MBA留学中ですが、留学前に「やめておけ、行ってもいい事は無い」とさんざん私に言ってきた迷惑な人のことを思い出しました(家族等でもなく、全くの他人なのに。)私は既に留学を決意していたので、その言葉に翻弄されることは全くありませんでしたが、今思い返しても全く無意味で無責任で迷惑なコメントでした。なのでYokichiさんのスタンスに大賛成です。中身のあるポジティブなコメントこそが、人を動かすし、価値があると思います。あまりにも共感したのでついコメントさせていただきました。
> kurayama くん
頼むよ~!
> ryskosn さん
きっとご自分が思われているより、すごいと思いますよ!ぜひ自分を信じましょう。
> peachさん
MBAは無駄議論はつきませんね。他人のROIを自分の基準で計る事自体意味わかんないのですが、世の中にはアンチMBAな人が多いので仕方が無いですね。そういう人には笑顔でシッシッと言いましょう!
こんにちは。先月のトークにお邪魔いたしました。
この記事にとても、心を打たれました。
私は、人に反対されることをすることが多いので、
あまり、相談をしない方なのですが、誰かに話すときには、
「やってみなよっ」って背中を押してもらいたいときなんです。
もちろん、「やってみなよっ」って言ってくれる人に話すのですが(笑
他の人は失敗したかもしれないけれど、自分は自分で失敗してみないと、やっぱり納得できないのだと思います。
そして、背中を押してもらったからには、
恥ずかしくないようにがんばりたいとも思います。
とても、心が温かくなりました。ありがとうございます。
> edocchiさん
わかります。この前相談にこられた方は、話の途中で「もうやると決めているんですけど」って言ってましたが、実際に背中押されたい時もありますよね。
edocchiさんみたいにユニークな人生だと色々ありそうですよね。一緒にがんばりましょう!
はじめまして。
友人にこちらのブログを勧められて今日から読んでいます。
自分が現在転職を決意し、友人達にアドバイスを求めていたところ、「無責任なアドバイス」の最後の5行はグッときて、そんなつもりはなかったのですが、涙がツーッと流れました。
なんででしょう、自分が求めていた言葉だったのかなと思います。私の友人達はポジティブでまっすぐな人達が多いので、
私の決意に誰も反対はせず、自分を信じろと言ってくれました。
あとはやるしかないですね。頑張ります。
※自分のブログにこの気持ちを記録として残したいので、
最後の5行達を引用させていただきます。
もしダメだったらダメと言ってください…。
ありがとうございました。
>mariaさん、
引用もちろんOKです。何かのお役に立てたのならば幸いです。ぜひ、自分を信じてください!