人間の価値は平均とのずれから生まれる

あなたが、一番すきな食べものは何ですか?

それが世の中で一番おいしい理由を、論理的に説明してみてもらえますか?

そして僕を説得してみてください。それが僕にとっても世界で一番おいしいと。

絶対無理だから。

あなたが、一番すきな人は誰ですか?

その人が世界で一番魅力的である理由を、論理的に説明してみてもらえますか?

そして僕を説得してみてください。その人が僕にとっても一番魅力的であると。

絶対無理だから。

あなたが、一番やってみたい仕事はどんな仕事ですか?

その仕事が世界で・・・(略)

はい無理。

本当に自分を幸せにする事のほとんどが、論理的には説明できないと思うし、むしろ、論理的に証明できるなら、別にあなたがやる必要はないと思う。

好き、嫌いって、根拠もなく人によって違う。だからこそ、世界は鮮やかで素晴らしい。

人を笑わせるのが好きな人、困った人を助けるのが好きな人、人を支えるのが好きな人・・・いろんな人がいる。

そして、好きこそものの上手なれ、ということで、好きなものというのはみんな楽しく、上手になるものだ。好きな事をしている人は生き生きとして、輝いていているものだ。

僕は、人の価値は、そういう、論理的には説明できないけど、ただそこにある、平均的な人間とのしかないと思っている。そのあなたらしい「差」を、育てなければならない、と思う。あなただからこそ笑える、そして素敵だって思えることをやることで、あなただけが生み出せる「差」を世の中に生み出さなきゃいけない。

あなたが、あなたらしさに着目せずに、「平均的な人間であればやるであろう事」しかせずに死んでいくのであれば、あなたはこの世に生まれても生まれなくても世界にとって一緒である。それと同時にあなたはあなたの生まれ持ったすばらしい価値を捨てているに等しい。(注: 何をしても平均的な人など存在しない。よって、すべての人に生きている価値がある。)

あなたが笑う瞬間がある。それは、きっとほかの人と少し違う。まさに、そこがあなたの素晴らしいところだ。理由はどうでもいい。とにかく、その瞬間がいつなのかを、見逃してはいけない。あなたのパワーの源泉がそこにある。あなただけが生み出せるすごい価値を作り出すエネルギーがそこに眠っている。

いろんな人の相談にのるが、そういう素晴らしいところを忘れている人が多い。ちょっと話を聞いただけで、こんなにいい所がたくさんあって、素敵な人なのに、どうしてそんなに他人の目を気にして恐れながら暮らしているんだ!と。好きで得意な事がいっこもない人なんて世界に絶対にいないのだが、好き嫌いの激しいひとに限って、嫌いな事ができないことのコンプレックスですっかり弱ってしまっている(個性は、人によっては良く見えたり悪く見えたりするだけ。すべてひっくるめて、すばらしい「あなたらしさ」である)。かわいそうに、自分が自分の素晴らしさを忘れて、自分を見捨ててしまっただけである。思い出さなければならない。自分が輝く瞬間がいつなのかを。

どんな小さな事だっていいんだ。あの人に料理を作って出した時に、おいしいって喜んでもらえるのが最高に嬉しいんだとか。そういうのだってあなたらしいではないか。もちろん、大きな事だって素晴らしいよ。世界で飢えに苦しむ子供たちを守るために途上国開発に心血を注いでいる瞬間が満たされるんだという人もすばらしい。でも、他人からみたスケールはいい。どんな事であろうと、ハートが動くその瞬間を、決して無視してはいけないんだ。

他人の声を聞いてはならない。自分らしさを探すためには、石にかじりついてでもこだわって、自分の心の声を追い求めなければならない。

しつこいけど。

あなたが笑う、あなたの瞬間、それがあなたらしい、あなたの価値だ。

その、あなたの価値を、価値感を、育てなければならない。

そして、あなただけが残せる、あなたらしい「差」を世界に残さなければならない

人間の価値とは、その人が生まれた世界と、生まれなかった世界の差だと思うから。

いいんだ、人と違って。そのズレがあるからこそ、あなたには生きている価値があり、あなたにはすごい可能性が秘められているんだから。

9 replies
  1. 健治
    健治 says:

    「差」という言葉がでてきてすぐに、以前のエントリーを思い出して、そのことを考えながら全文を読みました。なんというか、なんども読み返したいし、友達みんなにシェアしたいエントリでした。自分のポリシーも本当にこの「差」ですね。「人間の価値は、平均とのずれだと思う」。名言登録です!

    Reply
  2. yutaka
    yutaka says:

    とても勇気付けられる素晴らしいエントリをありがとうございます。
    Jobsの「Stay hungry, stay foolish」スピーチを連想しました。

    Reply
  3. ままき
    ままき says:

    差も含めて、全部足して割って、平均がでるのだと思うので、平均的な人という言葉に矛盾を感じます。平均的な人、という実在モデルがうようよ存在して、具体的にそのカテゴリーに属す人達との差、ということでしょうか。。。ちなみにわたしは人の持つコンプレックスに強く魅力を感じます。個人的に、良くも悪くも「人はみな何かしらの精神病」だと思っているわたしですが、そのどこかに偏った心から、その人独自の色々な物や事が生まれ、意味、や、Yokichiさんのおっしゃる価値、が生まれるのではないか、と。

    Reply
  4. masa
    masa says:

    こんにちわ。体調は大丈夫でしょうか?
    4月に飯田橋で初めてお会いさせていただいた場違いな後輩です。
    あの時に聞いたこの言葉がとても私に勇気と感動を与えてくれました。
    あの時の僕のように悩んでる人にもこの文章を見ていただきたくて、
    ツイッターでブログ紹介させていただきました。
    お身体大事にしてください☆

    Reply
  5. yokichi
    yokichi says:

    > 健司さん

    いちはやく、コメントありがとうございます!
    今後ともよろしくお願いします。

    > yutakaさん

    そういっていただいて何よりです。
    ありがとうございます!

    > ままきさん

    なるほど、そういう風にとらえられる場合もあるんですね!

    人の価値は、平均からの距離によって決まるという意味なので、僕の主張はままきさんがおっしゃっている事そのものです。つまり、「仮想」の平均的な人間が0(=生まれなくても一緒=そんな人は存在しない)だと設定した場合、その人はいくつか、と考えることで価値が決まるという意味です。(すべてにおいて平均的な人が存在しないので0ではないという議論をすると、masaさんの「隔たった心」というのは「隔たっていない心」が無い限り存在しない、という話になりますね!。)

    ちなみに僕も、隔たり自体が個性であり、それを周りが良いと解釈したり悪いと解釈したりすることがあるだけで、その個性自体が生きる価値を生み出していると思います!

    補足つけてみましたが、まだわかりにくかったら、教えてくださいね。

    > masaさん

    それはよかったです!
    次の機会があれば、ぜひまた!

    Reply
  6. tom
    tom says:

    すばらしい。私もアメリカに長く滞在しているからでしょうか、自己のアイデンティを常に考えています。なにか文面に熱いものが感じられて、勇気づけられます。ありがとうございました。

    Reply
  7. yokichi
    yokichi says:

    tomさん、

    海外に住んでいるとアイデンティティを考えさせられますよね。私は長くないですが、これからも色々考えていければと思います。

    Reply
  8. ysd
    ysd says:

    凹む事があって悩んだ挙句ここにたどり着きました。少し救われた気がしました。ありがとうございます。知りたいのですが、洋吉さんは例えば行動に対して目的がはっきりしてる事は必要だと思いますか?例えば留学する目的とか。ノリで決めたというのは知ってはいるのですが、お時間あれば教えて頂ければありがたいです。

    Reply
  9. shiroh
    shiroh says:

    拝見しました。素晴らしいブログ有難うございました。
    読んで最初に自分の娘の事が頭に浮かびました。首が据わる時期、ハイハイを始める時期、立って歩き出す時期、言葉を話し出す時期、全て周りの子と比べて半年~1年遅く成長をしていました。ただし英語と数字を目にすると物凄く興味を持ち、4歳になった頃には二桁程度の数字はペラペラ口にするようになりました。それでも周りの子との平均的なモノが違うという事で「発達障害」と診断されました。幼稚園もいけるかどうか?と言われ、療育センターにも通う事になりました。周りと違うプレッシャーで妻は心療内科に通う必要があると診断される位悩んでしまいました。それでも、医学的な専門家ではありませんが、僕自身は「個性」であると自然に確信しました。
    娘はもうすぐ今年で5歳になります。周りの子と比べて少々会話は遅れていますが、幼稚園でも沢山の友達が出来ています。たまたま通りがかった英会話スクールの前で「自分も遊びたい!」とダダをこねて大泣きしたので通わせることにしました。今では家で英語のやり取りが飛び交っています。僕は今でも娘の「個性」だと思っています。

    ブログの内容と違うかも知れません。長文失礼しました。

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