アメリカでの就職の話 (2): 金融危機

3日で就職活動が終了

シリコンバレーに引っ越した3日後に、アーリーステージのモバイルベンチャーから、マーケティングディレクターの内定をもらった。

引っ越した直後に、マーケティング副社長のChrisから「今何してんの~」とメールがきた。この会社はHBSの先輩経由で紹介された会社で、TrinityやTrueなどのトップベンチャーキャピタルやAdobe等に出資を受けていた。僕は「モバイル・マーケティング・日本」という、強みを活かした仕事をしようと思っていたので、年初から日本展開の相談に乗っていたのだが、それが功を奏した。条件面も悪くなかったし、マネジメントチームも経験豊富だし、Chrisも信頼できるし、すぐに永住権を申請してくれるという事だったので、そこに決めた。その2週間後には他にもVP Business Developmentで別の会社から内定をもらったが、そちらは辞退した。そもそも一ヶ月で健康保険が切れることもあって、7月中に決めねばならなかったし、面白そうな仕事だったので、7月31日にオファーにサインした。

なお、内定辞退したボストンの会社が勝手に出してくれていた就労ビザが転用できることが判明した(ビザの問題は複雑なので割愛するが、これはかなりラッキー)。内定を辞退し無職で卒業する羽目になった時は「最低の出来事だ」と落ち込んだが、振り返ってみると、あれは最高の出来事となった。

と、ここまでは調子が良かったのだが、問題はここからだ。就職してすぐに、金融危機がベンチャーおよびベンチャーキャピタルの業界に大打撃を与えることとなる。

金融危機がシリコンバレーを襲う

金融危機の影響が急激に深刻になってきた。大手ベンチャーキャピタルのセコイア・キャピタルが、「R.I.P.: Good Times (楽しい時代よ 安らかに眠れ)」というタイトルでプレゼンしたことが話題になった。ベンチャーが資金調達するのは当分無理なので、人を解雇せよと全投資先に通達したのだ。

その頃、僕が働き始めてばかりで、引越し作業も落ち着いて、少し仕事に慣れ始めたところだった。11月には息子が無事に誕生し、みなに祝ってもらっていた。

ところが、産休から会社にもどると、会社の財務状態はすっかり変わっていた。11月までは売上の調子がよく、大きな案件をどんどんもらっていたのだが、11月に入って、なんとほぼ全ての大手の取引先が不況を理由に契約中止を通告してきた。実際、全ての取引先は急遽大規模なレイオフを発表し、完全に投資凍結状態になっていた。

しかも、うちの会社は運悪く資金調達のタイミングだった。それまで資金調達の準備はとてもうまくいっており、11月頭には投資契約にサインするだけの状態だったのに、急に全てのベンチャーキャピタルが投資抑制モードに入ってしまったのだ。Adobeも数千人のレイオフを発表しており、投資どころではなかった。

そして、週末に誕生日を控えた12月5日の金曜日に、僕を雇った上司を含め、ビジネス側の人間(マーケティングやプロダクトマネジメント)ほぼ全員のレイオフを発表した。

人生ってわかんないなぁ・・・と、ぼんやり考えているうちに僕の誕生日は過ぎ去ったのでした・・・。

つづく

4 replies
  1. mura
    mura says:

    日本にいたけど、この頃にバッサリとクビを切られました。
    今になって考えると、なりふり構わずに技術者を片っ端から
    解雇していたんですね。

    Reply
  2. yokichi
    yokichi says:

    >muraさん

    それは大変でしたね。確かに、11月・12月ごろの解雇の勢いは世界的にすごかったと思います。

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