オフィス

うちの会社はボストン最古の公共建築物である「旧マサチューセッツ州会議事堂」に隣接しており、建物から出るといつもアメリカ人観光客だらけである。

 

うしろの黒いビルが、うちの会社。

 

 

会社のすぐそばに、クインシーマーケット(またはファニエル・ホール)と呼ばれる、これも歴史的な建物があります。中は売店がぎっしり。僕の昼食は大抵ここで何かを適当に買って食べています。時間があるときはストリートパフォーマンスを見ながら食べてます。 

 

 

 

これ、僕の部屋。

 

僕の部屋から見た景色。よく外を見て考え事をしています。窓の外にはチャールズ川。右端のまんなかにちょっと見えている白い建物がTD Banknorth Gardenという建物で、そこにバスケットボールチームのBoston Celticsの応援に行っているわけです。

 

 

夕焼けもきれい。

 

そのうち、iPhoneじゃなくてちゃんとしたカメラで撮ってアップしたいな。

カーシェアリングサービス Zipcarが便利!

ついにZipcarの会員になってみました。いい機会なので、今回は私たちのポートフォリオ(投資先)である、アメリカのカーシェアリングサービス「Zipcar」をご紹介します。

日本でもオリックスのプチレンタが伸びてきているようですが、アメリカではなんと言ってもZipcarです。

カーシェアリングサービスは、使いはじめるとレンタカーに戻るのは難しいほど便利です。レンタカー会社を経由しないので、営業時間を気にする必要もないですし、日単位ではなく時間単位で借りられますし、保険やガソリン代もあらかじめ含まれているので面倒な手続きがありません。

では、Zipcarの使い方を・・・。

 

まず、ウェブサイトにログインして、何時から何時まで使いたいか指定します。

 

場所を確認します。ちかくに、Zipcarがありますね。大手の駐車場には大体入っているので、大体歩いてすぐのところで借りられます。これだけあると、自分の家の駐車場より近いということもよくありますね。今回は、100メートル先と、150メートル先ぐらいに空いてますね。

 

車種を選んで予約完了。車種によって時間あたりの値段が違います。全部こみこみで10数ドル。一定時間以上借りると一日料金になります。保険代・ガソリン代込み。

 

歩いていくと、Zipcar発見。

 

ついさっきインターネット予約した車に会員カードを当てると、ロックが外れてドアが開きます。あとは運転するだけ。

 

ちなみに、社内にZipcar専用クレジットカードが置いてあります。ガソリンが1/4切ったら、次の人のためにこれで満タンにします。

 

クレジットカードを通すと会員番号を聞かれますが、自分でお金を払う必要はありません。

  

後は元の駐車場に車をもどして、車の中を片付けるだけ。

 

Zipcarは北米・ヨーロッパで色々な都市に拡大中です。まだ・・・というアメリカ在住の皆さんは、もうしばらくお待ちを・・・。

 

ビジネスモデル雑感

Zipcarはレンタカーに競合している部分もありますが、基本的には「車の所有」に競合しています。たいていの人にとって、車を購入して高い月賦、駐車場代、維持費、保険代を払うことに比べると、使いたい時間にだけお金を払うカーシェリングサービスのほうが安くつくわけです。というのも、都会に住んでいるほとんどの人は、車を持っていても乗っている時間は短い(週末の3時間とか・・・)ため、時間当たりで換算するとかなりのお金を払っているからです。

 

こうした資産のサービス化は、不況であることを踏まえても、今後もトレンドとしては伸びそうです。これは最近アメリカで流行っているCloud Computingも同じです。Cloudは、サーバー資産を所有し、データセンターで場所代・ネットワーク接続費・電気代を支払い、メンテナンス担当者を雇っても、結局サーバーやネットワークの使用率が30%ぐらいしかないのなら、3人で同じサーバーを使ってコストをシェアしたほうが安い、というのが基本的な考え方です。カーシェアリングも全く同じで、車資産を所有し、駐車場代を支払い、メンテナンスコストを払っても、結局使用率が10%ぐらいしかないのなら、10人でシェアしたほうが安くなります。

この資産のサービス化は、家、レンタカーやDVDを借りるのと一緒なので、別に新しいコンセプトではありません。しかし、インターネットやワイヤレス技術により資産を共有するプラットフォームを簡単に実現できるようになったために、今までよりはるかにフレキシブルにサービス化できるようになってきています。他に、使用率が低くて、実はプラットフォームさえあれば資産化する必要のないものは何か、と考えると面白いかもしれませんね。

 

どうでもいいんですけど、ボストン周辺の投資先に仕事で行くときはZipcarで行っていますが、Zipcar本社に行くときは近いので電車を使ってます・・・。

奥さん、初めてのネットワーキング の巻

ボストンで日本人の奥さん友達が欲しいということで、元祖ひきこもりのうちの奥さんが勇気を出して、オンラインコミュニティであるミクシィで、ボストン在住の日本人の奥様方に挨拶のメールを送ったらしい。

うちの奥さんは知らない人に連絡するとかすごく苦手なので、こんなことをするのは初めてらしく、緊張して丁寧な文章を書いたようだ。うまくいくといいね・・・とかげながら応援していたのだが、せっかく勇気を出してメールをしたのに返事すら来ないらしく、本人はがっかり・・・。

 

なぜだろう、自己紹介文は普通なのに。

 

念のために、彼女のプロフィールを今一度見てみた。

 

 

注)

 

これは、「あたかもこの人はねずみ講にはまっている人だ」と思わせるように、イタズラで書いた紹介文です。

引越ししていたら・・・

腰を痛めちゃった。

その結果・・・

目の前に広がるのはひたすら天井。まだ天丼だったらいんだが。

朝起きてから、ベッドから動くこともできず、おなかの上でメールを書くことぐらいしかできない。トイレに立つのが最大の難関となっております。僕は子供のときから背骨のひとつがずれているので腰を痛めやすいのだが、今回のが一番痛い・・・。明日は動けますよーに。

というわけで、ダウンタウンの仮アパートを引き払い、引っ越しました。新しいアパートは、ハーバード大学のすぐ裏です。最寄り駅もHarvard。卒業生に図書館とか使わせてくれるといいな。

人生はドラゴンクエストである。

はい今回も駄文です。しかもドラゴンクエストシリーズをやったことがない人には全く意味がわからないと思いますので覚悟してください。

けっこうゲーム好きの僕は、子供のころ、ファミコンのドラゴンクエストが大好きだった。特に転職したり、仲間を入れ替えたりできるという画期的システムがつまったドラゴンクエスト3は面白くて、スーパーファミコンでリメイクされたときも何度もやってしまった。そんなわけで、大学生になってもドラクエをやっていたのだが、レベル上げというのはひたすら同じような敵を何時間も倒しつづけるという繰り返し作業で、あんまり面白くない。

そうして何時間も、ひたすら時間をつかってレベル上げをしているときに思った。「せっかく時間をかけて、レベルを上げて、いい武器を買って、呪文を覚えて、すごく強くなってもゲームが終わったら何も残っていないじゃないか。だったら、現実世界でレベルを上げたほうが、かっこいいんじゃないのか?でも現実世界で強くなるって何?」

うーむ。

お金をかけて強い武器を買うより、お金をかけて専門学校に通って強い資格とか取った方が、人生のレベルあがんない?イオナズンとか覚えるより、英単語いっこ覚えたほうが強くない?装備という意味では、いいパソコンあればいいよね。

そう思ったら、ひょっとしたら仕事という面において人生はドラゴンクエストみたいなものではないか、と思い始めた。それから、卒業する前まで、簿記とか情報処理技術者の資格とか取る度、ひそかに「ちゃらららっちゃっちゃっちゃーん。レベルがひとつあがった!」と、思っていた。

そこからの仕事人生もだいたいドラクエである。

コンサルティング会社は、まさにドラクエ3のルイーダの酒場(キャラクターの登録所)であった。

ルイーダの酒場に行くと、名前と職業が登録されたリストがある。冒険に必要なキャラクターは、頻繁に主要メンバーとして使われるため、どんどん経験値が上がっていく。経験値があがればどんどん強くなる。そのままその職業を究めることもできるし、一定レベルに達すると、転職をして新しい能力をつけられるようにもなる。一方、使われないキャラクターは冒険に誘われず、レベルが低いまま酒場で待つことになる。呼ばれないからレベルがあがらないし、レベルが上がらないから呼ばれないということで、いつの間にか登録から消されてしまう。

コンサルティング会社に入社すると、名前と過去の職業(新入社員は何ができるか)がリストに登録される。プロジェクトに必要とされている人材は、頻繁にいいプロジェクトに誘われどんどん実力をつけていく。実力があればさらにおもしろいプロジェクトに入れるようになり、さらにレベルがあがっていき、給料も上がる。そのまま昇進していくこともできるし、転職の声もかかるようになってくる。一方、優秀ではないと思われているコンサルタントは、プロジェクトに誘われず、実力がつかないまま暇つぶししながら待つことになる。呼ばれないから実力がつかないし、実力がつかないから呼ばれないということで、いつの間には「そろそろ辞めてはどうですか」と声がかかるようになる。

良くも悪くも、完全に同じシステムである・・・。

コンサルティング会社を辞めてからも色々冒険を繰り返しているが、新しく強い仲間が加わったり、仲間が抜けたり、新しい裏の世界(国とか)に行けるようになったり、結婚して子供ができたり(ドラクエ5)と、なかなか現実の人生もイベントが盛りだくさんで、なかなか飽きがこない。

10年ぐらい仕事していて最近気づいたのは、現実の人生でも、がんばってレベルを上げて次のステージにいくと周りの敵がさらに強いので(周りの人のレベルがさらに高いので)、いつまでたっても全然楽にならないということ(逆に、周りの敵が弱いと思っている場合は、倒しても経験値が上がらない敵と戦っているだけなので、いつまで経ってもラスボスには近けないだろう)。僕も早く、「これぐらいレベルが上がればラスボス戦に挑めるな」と思うぐらいのレベルに達したいものである。

といっても、現実にはラスボスへの道ははるか先だ。というのも、最近の悩みは「転職するとレベルが1に戻される」という、現実の転職でも本当に当てはまるシステムである。僕の仕事は今までの仕事とかなり違うので、まさにレベル1に戻ってしまった。早くレベル20ぐらいまでにはしなければ!と焦る今日この頃である・・・。

ところで、いつも「敵が強すぎる・・・」と実感しているのは、僕の戦い方のせいでもある。僕はどちらかというと、「レベルが十分に達する前に強い敵が出る町に行ってしまい、死
にそうになりながら苦労するタイプ
」である。人によっては、「十分レベルが上がってから堅実に次の町に進むタイプ」もいるし、「効率よくメタルスラ
イムだけ倒して、ぱっぱと先にすすむお利口さんタイプ」など、色々な戦い方があるわけだが、僕は興味本位ですぐ動くし、できそうにないことはやらないというポリシーなので、いつも残り体力が少ない。

みなさんはどういう戦い方をしているのでしょうか?

それでは皆様、よい週末を。

日本を離れてはや3年

ちょうど、日本を離れて3年が過ぎた。3年前から今日まで、日本にいたのはごくわずか。3年前までずっと日本で生きてきたのに、急に日本に帰らなくなって3年もすると、不思議なことに色々な意味で日本の生活がすごく遠のいてしまって、とても非現実的な世界に思えてくる。

  • 朝起きて、テレビをつけたら、元気なアナウンサーの女性が日本語で、東京の天気を摂氏で説明する。家を出て大通りを歩くと、コンビニがところ狭しと並んでいて、ごみの日には道端にごみ袋が積みあがっている。大通りでも小さな八百屋があって、店の前には古ぼけた冷凍庫があって、ガリガリ君とかピノみたいなおいしい、小さいアイスがならんでいる。ドラッグストアには手書きで「特価」と書いたおよそ薬と関係ないものが並ぶ。壁、電信柱、看板、とにかくあらゆるところに文字が書いてある。空は建物と電線で埋まっていて見渡すことはできなくて、青空のはずのときでも白くもやがかかっている。道路には人が双方通行できっちり分かれており、身なりはきちんとした人たちが早足で歩いたり、銀行でお金を下ろすために列に並んだり、ぱっと方向を変えてコンビニに向かったり。
  • 電車に入ると、教育に悪そうな中吊り広告と、英語学校の宣伝に埋め尽くされていて、周りを見渡すと黒一色の髪の海が見える。窓の外を見ると、線路沿いにならぶ木造とトタンでできた古ぼけた家屋の外にはよく洗濯物が干されている。
  • 夜の細い道の街頭、お茶が並んだ自動販売機とその光に集まる虫。レストランに入ると、知らない人に話しかけてはいけないので、一人の人はみんな黙っている。コンビニには異常なまでに立ち読みしている人が並んでおり、外には学生がたむろしている。裏道に入ると、リスが走る姿はなく、かわりに?猫とカエルがいっぱいいて、民家の網戸の向こうには手に届くぐらいの距離に、居間でTシャツでおじさんがねっころがってテレビを見ている姿が見える。空を見上げると、やっぱり星はほとんど見えないんだけど、夜でも空が青く見えて、白い雲が浮かんでいるのがはっきり見える。なんだか、切ない日本のにおいがする。日本のテレビとか、風鈴とか、日本の音がする。
  • 家に帰ると、日本らしい小さな食器にのった日本らしい食事がでてきて、麦茶がでてくる。テレビをつけると日本語の番組が流れる。ごはんを食べたら、お風呂に肩までつかることができる。湯船を出たら、湯船の外でシャワーを使って体や頭を洗うことができる。お風呂から出て、部屋のカーテンを開けると、目の前には隣の家の壁がすぐそこに見える。ベッドに乗って、携帯電話を開くと日本の友達の名前が並んでいて、電話すると、「もしもし」と聞こえてくる。

日本のみんなは、こんな夢みたいな生活をしているんだよなあ、うらやましいなあ、と思う。本当に、全てが非現実的な、映画の中の世界のように感じられてくる。

いざ日本に戻ったら、きっと僕はたった3年の間に、僕のしらないところで起こった変化に、きっと色々と驚くんだろうし、たった3年の間に僕自身がどう日本的にズレてしまったのかも心配。どういう気分かというと、こんな感じ。ひたすら前だけ見て山の絶壁を登ってきたら、地面が遠くて振り返ると怖くなる、怖いけど地表の村に戻ったら安心して休めるだろうと思う、でもこの山を越えずには帰れないからやっぱり登り続ける・・・みたいな。

ちなみに、この山、どこに続いているのか、全然わかんない。頂上が本当にあるのか、向こう側はどうなっているのか、僕は地表(日本)に戻る日が来るのか。日本に住みたくなったら住むし、アメリカが嫌になったらヨーロッパかどこかに行くのかもね。気が向いたふうに生きると思う。

高校を出たとき、英語もできないくせに、「僕は世界のどこでもやりたい仕事ができるようになれるだろうか?」と思った。当時はその考え自体が非現実的だったが、実験している間に現実と非現実が逆転してしまい、日本の世界が非現実的になってしまったねえ。といっても、まだまだ思ったよりはるかに大変だということがよーくわかったので、これからも大変だ。だけど面白そうなので、もう少し色々やってみようと思う。

でもやっぱり、そろそろ日本が恋しいなぁ~。