教師というレバレッジのかかった仕事

当たり前だけど、教師って、すごく重要な仕事だなーと思う。

前に「君が生きていたということ」という日記でも書いたように、僕は人が生きているということの意味は、「その人が生まれた世界」と「その人が生まれなかった世界」の「差」であると考えている。

そういう意味では、教師という仕事は、レバレッジが効いている・・・つまり、一人が多数に影響を及ぼすが故に、通常では生み出せないような、非常に大きな「差」を生み出す可能性のある仕事である。だから非常に重要な職業であると思っている。

(参考)レバレッジ=金融用語。端的にいえば、借金して投資をすると、本来手持ちのお金で取引可能な何倍もの額の取引をできるけど、利益も損失も通常の何倍にもなるという話。最近、金融危機で巨大な金融機関があっさりぶっ飛んだのはレバレッジの威力のなせるわざ。

こうしたことから、僕は教師という仕事が素晴らしいと思う一方で、僕などがやるのは良くないと思っている。

レバレッジがかかっているせいで、生み出せる「差」が大きいのは間違いないのだが、これがプラスに働くとは限らない。教師という職業を選ぶ上での「差」とは、「自分が教えた時と他人が教えた時の差」なので、自分よりよい人がいるのに自分が教えてしまえばその差は「マイナス」であり、与える影響が多い分、通常の仕事の「何倍ものマイナス」になる。よって一般論として、どんなに自分が教師として尊敬されるべきだと信じていようと、教師としての総合力が一般社会からみて平均以下であればその人は激しく世の中に悪影響を与えていると自覚しなければならない。

ってなわけで慎重ではあるのだが、知能、技術、熱意、愛情、人間性が優れた人が教師をやることによるプラスの影響は計り知れない。時々素晴らしい教師を見ると、ああいう風になれたらな、って本当に思うよ。

最近でいうと、クリステンセン先生はとても尊敬しているなあ。

僕が最初にクリステンセン先生を見たのは、別の教授が教えているイノベーションの授業中。先生は黙って教室に現れて、席の一番後ろの空いているところに座った。そして、授業中、僕たち学生がしている議論のノートをずっととっていて、授業が終わったら黙って帰っていった。そういうのを、何度もみた。日本だと、ふんぞり返って「教えてやる」って感じの先生が多かったから、彼の本気で学生から学ぼうとする謙虚な姿勢にとても驚いた。もちろん、先生は教師としても非常に熱心である。毎日、教壇に立つたびに、生徒一人一人の顔を見て、困っていることがないか、自分に何かできることがないか心配しているといっていた。あと、「日本のイノベーションの課題 」でも書いたが、先日クリステンセン先生の去年最後の授業に参加した。実はその数日前、先生は、自身の命に関わる深刻な懸念を医師に伝えられたところで、授業ができるかも怪しかったのに、先生は授業に出てきて、「私は、君たちの成功に完全にコミットしている。いつでも私のところに戻ってきなさい」と言っていた。それぐらい、学生を大切にしているのだ。

僕もあれぐらいすごくなれたら、教師になってみたいものだなあ。

2 replies
  1. のん
    のん says:

    はじめてコメントさせていただきます。
    教師の嫁で会社員をしているのんと申します。
    主人とはお互いのカルチャーがあまりに違いすぎ衝突することも度々ありますが私も教師という職業について古賀さんと非常に近い考えを持っています。また、このような考えを主人にも持って欲しいと思っています。ただ主人は体育教師で、感覚で先走ることが多いですが、情熱は人一倍なので論理性・客観性を磨いて古賀さんの
    <一般論として、どんなに自分が教師として尊敬されるべきだと信じていようと、教師としての総合力が一般社会からみて平均以下であればその人は激しく世の中に悪影響を与えていると自覚しなければならない。
    ということをどんな立場になっても忘れて欲しくないと思います。


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  2. yokichi
    yokichi says:

    うーん、なるほど。

    先生というのは尊敬されるべきという常識があるので、自分を成長させるモチベーションを維持するのが難しそうですよね・・・。僕も教師になったら、自分が偉いと思ってしまうと思います。政治家も「先生」だから一緒ですね。

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