ミケコとの別れ
ミケコはあの世に行く準備を始めていた。
2週間前には、ご飯をたべなくなった。嗅覚を失って、食べ物を判別できなくなったのだ。母が、ミケコの大好物であるアジを買ってきて、においがするように暖めて出したところ、ちょこちょことは食べていたのだが、数日前からは食べいのに食べられないらしく、えさ箱の前で口をつけようとしては、あきらめていた。
数日前からトイレにもちゃんといけなくなってきた。トイレにいても、ふんばる力がなくなったみたいで、自分のふとんの上で用を足してしまうようになった。
昨日になってからは、自分の小屋をでて人の前に行っては、誰かのそばでごろんとしてまったく動かなくなるようになった。ぼくが一階に下りると、最後の力をふりしぼるように一階に一緒についてきて、自分のえさ箱にえさが入っていないのを見て、ぼうっとして10分ほどぼんやりしていて、またそこにごろんと寝る。
24年前に、大人の三毛猫がうちに転がり込んできた。
その猫はうちのそとの壁(立て直す前の我が家には高い外壁があった)にのぼって、うちの台所の窓を覗き込んで、ごはんがほしいと言ってきた。子供の僕や兄弟は喜んで、えさをあたえた。三毛猫なので、ミケコと呼んだ。そのうち、ミケコはうちに住みたくなったらしく、勝手に家の中に入ってきて、住み着いてしまった。古賀家が飼おうとしたんじゃなくて、ミケコが古賀家に住むことに決めたのだった。ミケコはすでに虚勢手術はされていて、過去に誰かに飼われていたみたいだった。家出したのか捨てられたのかはわからないが、とにかく人なつこく、おとなしい猫だった。なんとねこじゃらしにもじゃれない、おっとり落ち着きすぎて面白くないぐらいの猫だった。
その後、僕らはいろんな猫を飼った。子猫が我が家にくるたびに、ミケコは子猫をおなかの中であたためて寝かせ、毛づくろいをし、やさしく育てた。子猫が大きくなって、ひどくかまれても、逃げ回るばかりでやり返したりしない、気弱でやさしい猫だった。ほかの猫は結局家出してしまったり、病気で死んでしまったり、隣の犬にかまれて死んでしまったりしたが、ミケコは最後までうちにいた。うちが大好きだったみたいだった。
僕は記憶のある時間のほとんどをミケコと過ごした。子供のころ、けんかの弱いミケコが外でけんかしている声を聞くと、敵の猫を追い払いに行った。ミケコはそうすると、うれしそうに僕について帰ってきた。けんかに負けて、おびえて帰ってきて、しばらくはショックで動かないかわいそうなときもあって、ぼくはなんとかミケコにやさしくしてあげようとしたものだった。ある日ミケコが帰ってこない雨の日があって、とても心配したのだが、小学校に行くため外に出たら、隣の家の二階の屋根の隙間で、降りられずにいるミケコをみつけ、雨の中隣の家の屋根の中にもぐりこんで助けたこともあった。でも、お兄さんにいじめられたとき、ぼくはいじめる相手がいないから、ミケコにあたってしまってかわいそうなことをしたと思っていたりもするのだった。とにかく、ミケコとの思いでは山のようにある。ぼくが大人になるまでにミケコは僕にいろいろなことを教えてくれたし、僕にとってミケコはとにかく、特別な存在だった。
死ぬ前の夜、ミケコはぼくを見て、やっとこさ自分の小屋から這い出して、ぼくのそばにきて立ち止まった。ミケコは自分が死ぬのを悟っていたし、ぼくもミケコがもう死ぬことはわかっていた。ミケコは最後に、僕に頭をよせてきた。最後に、さよならの挨拶をしたかったんだろうと思う。ぼくは、ミケコが好きな「あごのしたをゴリゴリなでる」やつをやってあげたら、ミケコはうれしそうだった。
ミケコは自分の小屋の中で死んだ。最期に、ミケコはうちの両親の部屋にいたがったらしいのだが、ミケコは自分でトイレに行けない。だから母は小屋から出たがるミケコを何度も小屋にもどしたらしい。母は、最期に自分のところで死にたかったのだろうに悪いことをしてしまったと、自分を責めていた。そんな母もかわいそうだった。猫は死ぬとき、誰にも見られないように姿を消すというけれど、ミケコの場合は一番お世話になった母のそばがよかったんだろうね。そんなところも古賀家を選んで、古賀家を愛したミケコらしい。
ミケコの死に顔はとても美しかった。死んでも美人だなぁ、と、関心した。僕は、ミケコが好きだったチーズ鱈とチーズ入りかまぼこを買い、ミケコの寝ている箱の中につめた。それから外をであるいて、目白の町に咲く花を摘み、束ねてミケコの顔の隣に添えた。
君は、僕にも、ほかの猫にも、誰にも、いつもやさしい、最高の家族だったよ。幸せに長生きして、よかったね。
左から僕、姉、兄とミケコ。僕が10歳ごろの写真。
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