Expecting a baby

最近どうも奥さんの具合がずっと悪いと思ったら、どうやらちぇん太(1)に兄弟ができるっぽいです!たぶん来年の3月ごろが予定日になると思います。とっても楽しみです。

七夕の夜に、「ちぇん太に妹を!」と短冊?に書いて、部屋の観葉植物に飾った翌日に判明したので、女の子かもしれませんね~。

ちぇん太のときは、ジョジョの奇妙な冒険ファンの奥さんが「承太郎にしよう」と本気で主張し続けて大変だったというのを読者の皆さんは覚えていると思いますが、今回は「あなたはゆかりごはんが好きだからゆかりにしよう」とまたいい加減な事を言っています。もし男の子だったら承太郎熱が復活するかもしれないことをひそかに恐れていますが・・・。

奥さんはつわりでがんばっているので、僕も週末の家事と子育てがんばります!

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日本語が世界の公用語だったら

ある日、アメリカ、イギリス、オーストラリア、インド、カナダ、シンガポール、香港、ニュージーランド、南アフリカなどの公用語が日本語になりました。

もう日本語は世界のビジネスの公用語となったので、母国語が日本語でない国同士の会話も、大抵日本語です。

そうしたら、すっかり世界は変わりました。

まず、日本語教育業界は世界の大きな産業となりました。母国語が日本語ではない先進国の子供たちは、幼稚園のころから日本語スクールに行っています。教育ママは大変ですね。それから、どの国でも大抵、中学校から大学まで日本語は必須。先進的な大学はなんと母国語ではなく日本語で授業をしているところもあるそうです。

日本語検定試験でいい点を取らないと、海外の大学に留学したり、グローバル企業で昇進することはできません。グローバルな企業で仕事をしていない人たちも、資格手当ての為に日本語会話スクールに通っています。もちろんリタイアした人たちも趣味の旅行のためにがんばっています。

世界中で日本語が通じるようになったので、いきなり地球が小さく感じるようになりました。海外旅行に行くにしても、空港も交通機関もすべて日本語のサインがありますし、いいホテルでは必ず日本語が通じます。これまでは大変だった海外旅行も、ちょっと飛行機の時間が長い国内旅行の感覚になってしまいました。とても気楽です。日本語が話せる人は、もう他の言葉を勉強する必要はあまりありませんね。

そうそう、日本語が世界のビジネスの公用語になった結果、海外での仕事は格段に簡単になりました。そもそも、重要な出張先であるアメリカ、イギリス、シンガポール、香港などでは普通に日本語が通じるので、ほとんどの主要な国際取引では言語を気にする必要すらありません。他の国との取引でも、現地のトップクラスのビジネスマンや官僚はみんな日本語を流暢に話します。資料も日本語で提出されるし、メールも全部日本語なので取引がどんどん進みます。

公用語が日本語になった結果、会社の人材の幅が一気に広がりました。どの国のオフィスでも日本語ができて優秀なら社長を狙うことができますので、色々な国からレベルの高い人が集まるようになりました。役員会議の半分以上が外国人で構成されています。

なんだか、グローバルなんて、たいした話ではなくなりました。子供のころから色々な国の人と触れ合っているので、そもそもグローバルという事の意味もよくわかりません。日本語が全然使われない国もあるのでしょうね。でも、そんな遠い世界のことはニュースで見る以上は想像もできませんし、そんな国には行く必要も仕事上はなさそうです。

というわけで、世界の公用語が話せない不自由さというものについて考えるために、普通の話を、ただ状況を逆にして考えてみました。

人生の成功

僕は「失敗ばかりしている」という話をよくするが、成功について話をしたことがほとんどない。

これはある意味当たり前で、僕が成功していないからである。

そもそも一般的な成功の定義を借用したとしても、成功者といわれるほど稼いでいないし借金も残っている。

そしていつもどおり、僕は一般的な成功の定義など興味無い。

僕にとっての成功の定義とは単純に、

死ぬ直前に「ああ、いい人生だった」と思うこと

である。

理由は、成功したかどうかというのは結果の話だと思うからである。人生が成功したかは人生の結果がわかる時(死ぬ時)までわからない

もちろん、人生の成功は大切なことで、そのために生きているわけだが、生きている限り成功したと思うことはないだろうし、死んだら成功もクソもないので普段気にしてもしょうがない。そもそも事故死したら成功したかなんて考える時間もないし。

今年の春に日本に帰ったときに、「古賀さんは自分が成功したと思いますか?」という、あまりにもへんな質問を頂いたので、ふと思い出して書いてみた。

答えはNoです。

シンガポール vs 日米

どりあん!

・・・は、タクシー持込禁止。

・・・というわけで、シンガポール出張行って来ました。

ボストンからだと移動時間が30時間ということでけっこう長いフライトだったけど、機内で寝まくったのでわりと大丈夫でした。

まる4日間ということで短かったといえば短かったのだが、どの国にいってもハーバード・ビジネス・スクールの卒業生が政府、政府系ファンド、投資ファンド、コンサルティング、大手企業の要職に必ずといっていいほど入っているので、彼らにアポを入れて会うだけで大体国の裏事情まで把握できるのでとっても助かる。HBSは人数も多いからね。

政府組織であるEDB (Economic Development Board) の建物から。

眺めがいいはずが・・・シンガポールはよく雨が降るらしい。

シンガポールのすごさはうわさどおりで、すごかった。面白かった!

先進国っぽい町並みで、

奇抜な建物がよく見受けられて(ナンカ乗ってる!!!)

ホテルの朝食も世界中の料理が食べられて、

アジア料理もおいしくて、

コンビニには日本っぽいものも売っていて、

ショッピングモールはきれいで、

店のラインナップもすばらしい!

というわけで、ユニークで、面白い国だと思う。色々面白いと思ったことはあるのだが、今回は、日本・アメリカと比較して、間逆だなーと思ったところについて書いてみたいと思います!といっても所詮4日間の知識なので、もし勘違いがあったら教えてくださいませ。

1. 日本との比較

日本と間逆のところは、語りつくされているところだが、政府の戦略性だ。都市計画から富裕層・外資企業の誘致まで、ものすごく詳細に決まっている。恣意的に作られたすべての社会インフラ。お金によるアメ(補助金・低い所得・法人税)とムチ(少しでも政府が気に入らないことにはすごい罰金や認可料金が取られる)。全てが驚くべきほど戦略的に決まっている。

都市計画は全部政府がやっとります

こんな小さな国でここまで政府を戦略的にするには人材がボトルネックだと思うのだが、これもうまいことやっている。そもそも政府のほうが民間のより給料が高く億単位になったりする。国内の優秀な学生には豊富な奨学金とトップ官僚の席が用意されており完全に囲い込まれている。国外からはクレイトン・クリステンセン教授とか大前研一さんのような経営戦略のプロ(政治のプロではない)を招聘し、コンサルタントとして使いまくって国家戦略を立てている。細部の計画でも高額な経営戦略コンサルタントを湯水のように利用しており、駅の設計すらもサプライチェーンマネジメント(流ではなく流を最適化)の計画を立てさせるので異常なまでに効率がいい。

ラッシュだが、東京よりはるかにまし。あの山手線の混雑具合は

ちゃんと計画さえされていれば避けられたのかもしれない。。。

ちなみにこうした経営戦略のプロが日本をスルーしているのではない。日本政府が彼らをスルーしているのだ。そもそも、シンガポール政府は、クリステンセン教授の「The Great Disruption」という2001年の日本のイノベーションの弱体化と建て直しの為の戦略に関する論文を読んで、「シンガポールが日本のようにならないように早急に戦略を立てて欲しい」と依頼したのだ。そして日本政府は本論文をスルー。大前研一さんもシンガポールの国家アドバイザーだがそもそも日本人だし、日本向けの提案(道州制の導入とか)もがんばっているが、日本政府にスルーされている。まぁ既得権益にすがる人たちがそんな日本のためになることは許すまい(笑)。

いやーしかしこりゃ、シンガポールでビジネス立ち上げるなら、政府が嫌がっている事をやったら瞬殺されますな、これは。立ち上げるなら僕たちのようにベンチャーをやるというより、投資の仕事をお勧めします(笑)。

2. アメリカとの比較

アメリカと間逆のところ国民の幸せを政府がコントロールしている事である。アメリカでは、個人の自由意志によって決められている。

前述の政府のアメとムチはシンガポール社会に浸透した幸せの道しるべである。どう合理的に考えてもムチよりアメを受け取るべきであり、アメをたくさん受け取ったものが成功者でなので、要するに政府の言うとおりに生きることが幸せへの最短距離である。お金だけではない。シンガポールでは、どんな家に住んで、どこでどんな買い物をするのか、どこでデートするのか・・・ほとんどが政府によってコントロールされている。

国民にものすごく厳しい一方で、ふとゆるい部分が見受けられるが、これは意図的に作られたガス抜き用の抜け穴である。例えば、アジア人は路上の屋台が大好きだが、政府は露店のようなコントロールしにくい商売行動を許す理由がないので、ごく一部のエリアでだけ許可をし、残りの場所を全部禁止する。文化すら操作対象

カジノも一部では合法

シンガポールの幸せコントロールは露骨である。駅についていたのでちらっと寄ってみた政府の住宅ギャラリー(注:90%は政府が作った集合住宅)では、「あなたがここに住めばこんなに幸せです」という洗脳感まるだしの幸せそうな家族の姿がこれでもかとばかりにあちこちの壁一面に描かれている。こうやってあらゆるところで人々をコントロールするんだな。

        なにこのハッピー感

ちなみに、アメリカ人から見ると、「こんな飼育されているような人生は、本当の幸せではない」と思うであろうし、シンガポールで行われている政府による規制の多くがアメリカでは人権侵害で違法になるだろう。例えば集合住宅の話を続けると、各棟ごとに「人種別の残り収容可能人数」が決まっている(中国人何人、マレー人何人、インド人何人・・・)。人種によって家を決めるのはアメリカではEXTREMELY ILLEGAL・・・めちゃくちゃ違法!である。(アメリカでは差別を防止するために、すべての人種を平等に扱わなければならない)。

 

ハウジングオフィスの右上、電光掲示板をよく見ると・・・

上のほうに、Ethnic Available(入居可能な人種の残数)とある。

だが、本当に個人に任せる事が正しいのだろうか?結局アメリカでは人種による差別を禁止し、個人の自由意志に任せた結果、白人が住む地域と黒人が住む地域がハッキリ分かれてしまっている。シンガポール政府は強制的に共存させて政治的対立が起こらないようにしているのだがむしろこのほうが差別防止のためにはいいかもしれない。

なんにせよ、個人の自由意志に任せるからこそ社会が不幸になることもあるし、だからと言って何でも政府が決めるのが人権侵害というのは間違いではないし、結局どちらが正しいという問題ではなく戦略の問題であろう。ただ、とにかく間逆であるのが面白い。

というわけで、日本ともアメリカとも全然違う、とってもユニークな国なので色々な意味で非常に刺激を受けた。やっぱり現地に直接出向いてみないと本当の国の姿は見えないね。もっといろんな国で仕事をしないと、成長速度が鈍るばかりだなあ、と痛感した出張でした。

ちなみに、最近若い人がよくシンガポールに脱出するのもうなずける。シリコンバレーに匹敵する国際性で、日本食やアジア食もおいしい。英語も通じるし。別にどこの国でもよくて、手軽に国外脱出したいなら、たぶんシンガポールが楽だと思います。(最近は昔ほどは楽ではないみたいですが、それでもアメリカよりはずっと楽だと思います。)

余談:

奥さんに、「マーライオンを釣って刺身を持って帰ってきてね」頼まれていたので現地の会社の人にジョークでマーライオンのサシミをくれと頼んでみたら、「Mr. Koga、マーライオンは実在しないんです」と言われた。

すみません。