TOEFL受験完了

そもそも、ここのところずーーーーーっと、英語からすっかり離れて生きてきたので、英語力はすっかり下がっているのは確実だった。やっていたこと、と言えば、ダン・ブラウンのDa Vinci Codeと、シドニー・シェルダンのThe Best Laid Plansの小説2冊は最近読んだぐらいか。これがTOEFLの点数に影響するとは考えにくいけど。結局試験前夜も、集中力なきままPowerPrepをやったら250点台が出て、こりゃだめだーと思ってあせりながら本試験を受けにいった。ところが、なぜか点数は過去最高点となった。

L:28 S:30 R:27
TWE6.0
TOTAL: 283

僕はTOEFL向けの勉強はほとんどしていないため、過去3回の点数はずっと安定して270前後をうろついていた。Lは毎回27~28、Sは毎回27~28、Rは毎回26から27。たまたまよい組み合わせになったのと、TWEが6.0だったためSが30になったのが勝因のようだ。

とはいえ、やっぱりリーディングが足を引っ張っているのは変わらずで、課題を残した。Rをあげるためには単語力(ぼくは単語をぜんぜん知らない)の向上と、出題傾向の把握が必要なのだが・・・。とりあえず目標である280を超えたので、TOEFLの受験は今回で終わりとしよう。とりあえずGMAT優先だもんね。

甥っ子の誕生と、めぐる命

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先週のミケコの他界で悲しみに包まれた古賀家に、とっても明るいニュースが飛び込んできた。出産予定日より早く、姉の子、つまり甥の健斗ちゃんが生まれたのだ。すごくかわいいいい!!

姉はすぐに退院して、古賀家に帰ってくる。レオ(おっきいオスネコ)も一緒にくるらしい。これからしばらく、古賀家は大賑わいだね!元気がない古賀家にミケコが気を使ったのかもしれないね!

SH530012-21.JPGレオ 「ン?」

命の大切さと、動物を飼うということ

家にいる間、視界で何かが動いたように見えると、「あれ、ミケコ?」と、思う瞬間がけっこうある。そしてすぐに、ああ、そういえばもうミケコはいなんだった、と思い出して悲しい気持ちになる。

時々、死んだときに悲しいから動物を飼わないという人がいる。その気持ちは良くわかるし、僕も確かに愛する動物が死ぬのはとても悲しい。でも、子供のころから動物たちの死を目の当たりにしてきたおかげで、命は限りがあるから大切にしなければならないんだということを学ぶことができた。だから僕は、これからも動物を飼い続けると思う。

ミケコとの別れ

ミケコはあの世に行く準備を始めていた。

2週間前には、ご飯をたべなくなった。嗅覚を失って、食べ物を判別できなくなったのだ。母が、ミケコの大好物であるアジを買ってきて、においがするように暖めて出したところ、ちょこちょことは食べていたのだが、数日前からは食べいのに食べられないらしく、えさ箱の前で口をつけようとしては、あきらめていた。
数日前からトイレにもちゃんといけなくなってきた。トイレにいても、ふんばる力がなくなったみたいで、自分のふとんの上で用を足してしまうようになった。

昨日になってからは、自分の小屋をでて人の前に行っては、誰かのそばでごろんとしてまったく動かなくなるようになった。ぼくが一階に下りると、最後の力をふりしぼるように一階に一緒についてきて、自分のえさ箱にえさが入っていないのを見て、ぼうっとして10分ほどぼんやりしていて、またそこにごろんと寝る。

24年前に、大人の三毛猫がうちに転がり込んできた。

その猫はうちのそとの壁(立て直す前の我が家には高い外壁があった)にのぼって、うちの台所の窓を覗き込んで、ごはんがほしいと言ってきた。子供の僕や兄弟は喜んで、えさをあたえた。三毛猫なので、ミケコと呼んだ。そのうち、ミケコはうちに住みたくなったらしく、勝手に家の中に入ってきて、住み着いてしまった。古賀家が飼おうとしたんじゃなくて、ミケコが古賀家に住むことに決めたのだった。ミケコはすでに虚勢手術はされていて、過去に誰かに飼われていたみたいだった。家出したのか捨てられたのかはわからないが、とにかく人なつこく、おとなしい猫だった。なんとねこじゃらしにもじゃれない、おっとり落ち着きすぎて面白くないぐらいの猫だった。

その後、僕らはいろんな猫を飼った。子猫が我が家にくるたびに、ミケコは子猫をおなかの中であたためて寝かせ、毛づくろいをし、やさしく育てた。子猫が大きくなって、ひどくかまれても、逃げ回るばかりでやり返したりしない、気弱でやさしい猫だった。ほかの猫は結局家出してしまったり、病気で死んでしまったり、隣の犬にかまれて死んでしまったりしたが、ミケコは最後までうちにいた。うちが大好きだったみたいだった。

僕は記憶のある時間のほとんどをミケコと過ごした。子供のころ、けんかの弱いミケコが外でけんかしている声を聞くと、敵の猫を追い払いに行った。ミケコはそうすると、うれしそうに僕について帰ってきた。けんかに負けて、おびえて帰ってきて、しばらくはショックで動かないかわいそうなときもあって、ぼくはなんとかミケコにやさしくしてあげようとしたものだった。ある日ミケコが帰ってこない雨の日があって、とても心配したのだが、小学校に行くため外に出たら、隣の家の二階の屋根の隙間で、降りられずにいるミケコをみつけ、雨の中隣の家の屋根の中にもぐりこんで助けたこともあった。でも、お兄さんにいじめられたとき、ぼくはいじめる相手がいないから、ミケコにあたってしまってかわいそうなことをしたと思っていたりもするのだった。とにかく、ミケコとの思いでは山のようにある。ぼくが大人になるまでにミケコは僕にいろいろなことを教えてくれたし、僕にとってミケコはとにかく、特別な存在だった。

死ぬ前の夜、ミケコはぼくを見て、やっとこさ自分の小屋から這い出して、ぼくのそばにきて立ち止まった。ミケコは自分が死ぬのを悟っていたし、ぼくもミケコがもう死ぬことはわかっていた。ミケコは最後に、僕に頭をよせてきた。最後に、さよならの挨拶をしたかったんだろうと思う。ぼくは、ミケコが好きな「あごのしたをゴリゴリなでる」やつをやってあげたら、ミケコはうれしそうだった。

ミケコは自分の小屋の中で死んだ。最期に、ミケコはうちの両親の部屋にいたがったらしいのだが、ミケコは自分でトイレに行けない。だから母は小屋から出たがるミケコを何度も小屋にもどしたらしい。母は、最期に自分のところで死にたかったのだろうに悪いことをしてしまったと、自分を責めていた。そんな母もかわいそうだった。猫は死ぬとき、誰にも見られないように姿を消すというけれど、ミケコの場合は一番お世話になった母のそばがよかったんだろうね。そんなところも古賀家を選んで、古賀家を愛したミケコらしい。

ミケコの死に顔はとても美しかった。死んでも美人だなぁ、と、関心した。僕は、ミケコが好きだったチーズ鱈とチーズ入りかまぼこを買い、ミケコの寝ている箱の中につめた。それから外をであるいて、目白の町に咲く花を摘み、束ねてミケコの顔の隣に添えた。

君は、僕にも、ほかの猫にも、誰にも、いつもやさしい、最高の家族だったよ。幸せに長生きして、よかったね。

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左から僕、姉、兄とミケコ。僕が10歳ごろの写真。

バルセロナ研修

仕事の研修で、スペイン・バルセロナへ一週間行ってきた。うちのコンサルティング会社では、昇進する前に必ず海外研修に行かなければならないことになっている。以前もフランス・パリやアメリカ・シカゴに行ったが、今回のバルセロナもその一環だ。

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ホテルの部屋。なかなかきれい。

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研修で同じグループの仲間たち

こうした海外研修は、本来の目的は経営学の勉強。でも、僕からすると、ふだんは忙しくて戦争のような仕事場を抜けて、リラックスできる楽しいイベントなのだ。世界中のオフィスから集まったコンサルタントたちと一緒にわいわいとトレーニングを受けるというのはとても楽しいし、研修中に仲良くなった仲間と夜のバーを回るのも楽しい。

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サグラダファミリア大聖堂にて。

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ガウディが作ったグエル公園。なんか有名なトカゲらしい。

おまけ。ホテルの外のビーチに続く道で見た看板。胸が当然のように露出しています。当然ホテル前のビーチにはトップレスのお姉さんたちがお・・・じゃなくて、いっぱいおりました。日本ではありえませんな。
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