Drivemode設立経緯その1

これだけサポートしてくれる人たちがいる以上は、ステルスとはいえDrivemodeの一部である皆さんに何も言わないのは申し訳ないので、今日はDrivemodeの設立についてちょっと書いてみたいと思います。ちょっとっていうか、時系列でぜーんぶ書きます!

2012年末 モチベーション

1年ちょい前、ボストンの家でふつうに夕飯食べていた時のこと。

実はZipcarへの転職も考えていたのだが、色々事情がありまして(その事情で、その後もCEOとか僕が仲良くしてたマネジメントはみんな辞めたわけですが・・・)、Zipcarじゃないなら次の会社どうしようかな~、と僕が発言したところ、

奥さん「え?あなた、転職とか考えてるの?起業するものだとばっかり思ってた。なーんだ」との返事。

・・・その、驚きというか、ちょっとあなたにはがっかりしました的なニュアンスを受けて、「いや、なんか、すみません・・・」という気分になるわけですよ。男だしな!

まあ、世の中の多くの奥さんは本能的に安定重視だと思うわけだが、うちの奥さんの場合は僕に対して「あなたにはできる」というよくわからない前提がいつもあります。そして、「できるのになぜやらないのだ。家族が心配だと?失敗しても別に殺されないだろう。あなたらしく生きろ。」という一環した男らしいスタンスを貫きます。自分のことに関してはかなりスケールが小さいのですが、僕に対してはかなり大きなスケールを求めてきます。

「まわりにいる人をがっかりさせないこと」という小さいのか大きいのかわからない人生の目標を持つ僕としては、そういわれると弱いのである。起業しとくぅ?

この頃、親友が彼がやっている投資ファンドに入らないかという声をかけてくれていた。まあその、ハーバードの有名な教授が持っているファンドで、もうすぐすばらしいリターンが出ることがわかっておりまして。確かにズドーンと儲かることがわかっている以上は、お金の心配はいらなくなるんだけど、そもそもそうやって成功するのがなんか自分らしくない気もして、結局いかなかった。いけなかった。まあ、こういう生き方だからいつまでたってもお金ないんだけど(笑)

2013年2月 買った車にがっかりする

ご想像のとおりかもしれませんが、僕は何もしないというのが尋常ではなく苦手です。寝る瞬間、落ちるまでほぼ必ず何かしてる。そんな僕なので、ボストンにいるときは、いつも電車で通勤していた。電車なら移動中に仕事するとかブログ書くとかできるから。車は一台あったけど子供がいるから奥さんがメインで使用してるし。

その後、2013年のあたまにシリコンバレーに転勤しましたが、田舎なので基本的に車が無いと何もできません。なので二台目の車を買う必要があった。で、テクノロジー好きの僕としては中古の白いプリウスを買ってたくさん運転するようになった。

しかし!僕にとっては同じ道を同じように何も考えずにただ運転するということ自体が尋常ではなくヒマであり、苦痛以外の何モノでもない。そもそもそんなに車好きじゃないから運転してればハッピーとかは思わないし。3年落ちプリウスならきっとそこそこ楽しいテクノロジーが入っているかな?と思ったら普通にオフラインのカーナビ以上の事はできず。自分が車を作るならもうちょっと楽しくしたいなあ、と思った。

しばらくして、スマートフォンのカーナビを使うようになり、車内のカーナビはもはや使わなくなりました。だって無料で渋滞とかわかるし。なんかカーナビ付きのモデルにするのに20万とか払ったのに、もったいなかったなあ。この怒りはどうすればいいんだ!

2013年3月26日 HKを巻き込む

というわけで、「僕がむかつかない車とはどんなものか」という事をもっと考え始める。

そこそこネタはありました。車とスマートフォンをデータ通信させるテクノロジー系のビジネスモデルを考えましたが、結局そういう会社はバリュエーション$25Mぐらいまでしか育たないのでやらなかった(今はその僕がやらなかったモデルでスタートアップがちょこちょこ立ち上がっている)けど、それ以外も含めて技術や業界トレンドはわりと知ってはいたので、その辺をあわせて「僕がむかつかない普通のもの」について考え始めた。

で、テスラという電気自動車メーカーでモデルSという最新の人気モデルの立ち上げを担当したハーバードの後輩に相談に行ったら、工場見学をさせてくれて、その後タイ料理屋さんに行って、なんか面白いことやりたいという相談をしたら、「協力したい」と言われ、ちょこちょこ会うようになった。

HKはアメリカ人なんだけどご両親が普通の日本人なので日本語も完璧に話せるため、なんかハーバードの日本人の飲み会みたいなやつで会ったことがあった。ハーバードの前にも車系のエンジニアをしていて、ハーバードのMBA時代にテスラがまだ20人ぐらいしかいないときにインターンをして内定を取り、そのままModel Sの担当になっている。Elon Muskと一緒に工場立ち上げからコスト削減まで何でもやっているツワモノなのだけど、謙虚でクールなナイスガイである。しかし彼はマジの格闘家である。ボブ・サップに関節技を教えたら弱くなった、ボブは真面目だからすぐ試合で実践しようとするんだよね、手をぶんぶん回しているだけなのが一番いいのに・・・みたいな話が日常会話に出てくるなかなかのレベルの変人である。野球の話をすると、イチローの運転手を務めていたことが発覚するなど、かめばかむほど味が出る。

2013年5月6日 プロジェクト名(後の会社名)をDrivemode決めた

このあたりから、知り合いであったカーナビ会社の社長と良くごはんを食べるようになって、色々アドバイスをもらっていた。そんな中で、プロジェクト名をDrivemodeに決めて、もっと検討してみることに。また、僕は資金調達みたいなものはしていないのだが、それでも昔から信頼しているメンターの方々から、「君がなんかやるなら良くわかんないけどお金出す」といって頂けるようにもなってきたりして、なんだかプロジェクトが勝手に回り始めてきてしまった。僕はなんとなく「どうやったら面白くできるかな~」とランチがてら相談して回っていただけなのだが、「手伝いたい」「手伝いたい」といわれているうちに、僕が持っているちっちゃい雪玉がなんか勝手に雪だるま式に肥大化していき、「やるんでしょ?」という雰囲気が勝手に作られてきた。

2013年6月5日 Zipcar CEOとビジネスモデルを議論

とりあえず同窓会でボストンに行ったついでに、仲良しだったりZipcar CEOとビジネスモデルなどを議論してみたが、わりと盛り上がったので、なんかやってみるかという気がさらにしてきた。「アドバイザーにしてやるぞ」と言ったら「お前まだ会社も無いくせにふざけんな、もっとちゃんとやってから帰って来い」といわれ、「ふざけんなお前必ずアドバイザーにするからなこのやろう」と言い放ってしまう。

2013年6月18日 中河さんを巻き込む

知り合い経由でたまたま知り合ったミクシィの切れ者エンジニアである中河さんが僕のアイディアに対し「これこそが車の未来だ!」ということでプロジェクトに興味があるという話を聞いて、Skypeで最初のミーティングをしてみた。(事実上)中卒であるという事を聞いて、うん、ハーバードMBA二人ではアレなので中卒が必要だということで中河さんにも協力をお願いする事にした。というか車両整備士やってハードウェアやってスマートフォンのエンジニアでサーバーもわかるといわれたので、なんかよくわかんないけどお願いした。結論から言うと、中河さんをCo-founderに選んだことは最高の選択だったんですけど。

2013年6月25日 退職

ベンチャーキャピタルで取締役をしていた投資先のEXITを終えて取締役を辞任した。その時点で、もはやいつの間にか大きくなった雪だるまについて対処をしない理由が存在しなくなってしまい、とりあえず即日退職し、プロジェクトを一緒に検討してくれる仲間をブログで募集してみたら、あっという間に50人以上の皆さんからフルタイムやパートタイムで一緒にやりたいというご希望を頂き、あまりの数の多さに募集をすぐに締め切るという事態になった。しかも応募してきた皆さんのバックグラウンドは米国トップスクールの卒業生ばかりという謎の状況になりました。このブログ一発でCo-founder候補とアドバイザーがほぼそろう。

ただ、退職をノリノリで発表したその日の夜は、なんかあまりよく眠れなかった。広がる夢もある。支援してくれる多くの人がいる。背中を見てくれる人たちもちょっとはいる。でも、僕はどうなっちゃうんだろう?という、漠然とした不安があって。

次回:2013年7月 中河さんに会いに日本に行く に続く

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