僕のブログは、最近まで家族の事(写真つき)をたくさん書いていたが、アクセスが増えてから家族のことが心配になる出来事があり、昔の日記も含めて家族に関わることはほとんどみんな消した。家族のことについて書かなくなったので、「最近面白くなくなった」という意見も頂いておりますので、ひさびさに家族について、おそらくすげー当たり前のことでも書いてみる。
息子のちぇん太(注:ブログ用のニックネーム)はもうすぐ1歳半。子供と一緒にいるのは楽しいが、特に子供が新しいことを学ぶ瞬間の喜びは何とも言えない。立ち止まって知らない人に手をふったり、自分のベビーカーを押したり、だっこしてほしくて両手を上げたり、ということを覚えるようになってきた。そのちょっとした成長が、なぜか、親にとってはこの上ない幸せなのだ。
なぜかは、よくわからない。本人にとっては生物的生長なのでうれしいことでも何でもないはずだ。でもなぜか僕はものすごくうれしい。本当は成長してるのが僕だからなのかもしれないとすら思う。
僕が今持っているあらゆるものが、親から、家族から、友人たちから与えられたものであることを、子供は毎日のように教えてくれる。僕が、無力な存在から、どのようにまわりの力で強くなってきたのかを毎日見せられる。当たり前であったものが、実は与えられたものであった事を、これでもかというばかりに学ばされる。自分が「人間」になったプロセスを、再構築しながら学ばされるような気分なのだが、それは自分にとってもすさまじい成長である。いろんなことがわかる。親になる前には、自分がスプーンを使えるようになる前に、お母さんが何回スプーンでごはんを口に運んでくれたのかすら知らなかった。僕たちが当たり前にできたことなど、何一つなかったことが、論理的にしかわからなかった。
子供と成長を共にすることは本当に楽しく、一緒にいないときにはいかに自分が子供に依存しているのかを感じるよ。もう親孝行は十分にしてもらったし、これ以上子供から望むものは無いので、これから僕が死ぬまでの間、この恩を返していかなければならない事を、忘れないでいよう。